第1課 聴覚しょうがい者用:浦島智加男

2016年 第2期 マタイによる福音書

第1課 ダビデの子

はじめに
 マタイによる福音書(ふくいんしょ)を今期(こんき)は学びます。「福音」とは「良いニュース」という意味(いみ)です。新約聖書を開いた人は、どんな好いニュースが書いてあるのかと期待(きたい)をもって読み始めると、ところがいきなり系図(けいず)が書かれていて、とまどいを感じるのではないでしょうか。しかし、マタイにはここに系図を置く大切な意図(いと)がありました。
 一つは、このニュースは、作(つく)り話(ばなし)ではない、おとぎ話でもない、誰が見てもれっきとした〈確かな間違いのない〉戸籍(こせき)をもつ実在(じつざい)の人の話である、ということをマタイは言いたかったのです。もう一つは、この系図(けいず)の中にも素晴(すば)らしい「福音」を読み取ってほしいのです。それは、本文(ほんぶん)のなかで説明します。
 ルカの福音書にも、イエスキリストの系図が書かれていて、人類の祖(そ)アダムから書き始めてありますが、マタイはアブラハムから、キリストまでを数えて十四代(じゅうよんだい)ずつ、三つに分けました。ところが十四代に分けると、実際(じっさい)の歴史上の事実(じじつ)から言えば、名前が余ったり、足りなかったりしています。
 なぜ、マタイはアブラハムの前にも、沢山(たくさん)の人がいたのにそれをあえて省(はぶ)いたり、アブラハムの後も、足(た)したり引いたりして十四代に切りそろえたのでしょうか。聖書には、「七」という数字が沢山出てきます。これを「完全数(かんぜんすう)」と言います。十四は、七の二倍で完全の上に完全である、と言いたいのです。 つまり、マタイはアブラハムから、ダビデまでが一つの完全な一期間であり、ダビデ王からバビロン捕囚(ほしゅう)までがこれまた完全な一期間であり、それからキリスト誕生(たんじょう)までがもう一つの完全な期間であると言っているのです。

2.起源(きげん)の書 3月27日(日)
 旧約聖書にも、新約聖書にも「系図(けいず)」という言葉が沢山出てきます。「系図」はある人の家の祖先にどのような人がいて、どんな名前であったかを今日までその家系を表にして表(あらわ)したものです。または、一つの部族(ぶぞく)の主(おも)だった人の名前を先祖(せんぞ)から子孫を書き連(つら)ねたものもあります。マタイの系図は、この後者(こうしゃ)のものと言ってもいいでしょう。
 「系図(けいず)」という言葉は、幾(いく)つか意味(いみ)があってガイドにあるように「子孫(しそん)」「世代(せだい)」とか「起源(きげん)」とも訳(やく)せるのです。創世記が神の創造によって、世界の起源が始まったのですが、その世界は罪によって破壊(はかい)され、汚(よご)されてしまった。新約聖書は、神の子キリストによって、もう一度再創造(さいそうぞう)される「起源の書」として位置(いち)づけられると言っています。

3.王家(おうけ)の血統(けっとう) 3月28日(月)
 何もないところから、アブラハムに救いの約束を与え、それを次々に実現(じつげん)していかれました。グラフにすればグラフの線が上向(うわむ)きになってついにダビデ王の子である救い主の約束までたどり着(つ)きました。しかし、ダビデ王の後の王たちは、神に背(そむ)くばかりで、王座は覆(くつがえ)されてしまいました。救いのグラフの線はダビデ王の時代を頂点(ちょうてん) 〈てっぺん〉にして下降線(かこうせん)をたどるばかりです。バビロン捕囚(ほしゅう)から戻ってきた人たちも救い主の約束を忘れ去り、旧約聖書も400年間書かれなくなり、王家の末裔(まつえい)のヨセフなどは、貧(まず)しい大工に身をやつして〈身を落として〉、救い主の約束も消え去ったかと思われました。
 下向(したむ)きのグラフがどん底(ぞこ)に達したと思われたその時、神は救い主を送られたのです。人間の歴史の浮き沈みにかかわらず、神の誠実(せいじつ)さは貫(つらぬ)かれ、王家の血統(けっとう)を持つ、ヨセフとマリヤの子としてイエスキリストがお生まれになったのです。

4.イエスの初期(しょき)の家系図(かけいず) 3月29日(火)
 ユダヤ人たちは、自分の家系図を大事にしていました。現代人も血統や家柄(いえがら)を大切にしています。有名な人や功績(こうせき)を上げた人が先祖に居れば、系図(けいず)はその家の誇(ほこ)りです。
 ところがイエス様の系図は、それはありませんでした。ここに名を連(つら)ねている人は、できれば書き残したくない人が多すぎるのです。ユダヤ人は系図に女性の名前は書き残さないのです。しかし、4人の女性が名を連(つら)ねています。これも異例(いれい)なことです。
 しかも、その女性たちもユダヤ人から見れば、好(この)ましくない人たちばかりなのです。
 
5.わたしたちがまだ罪人(つみびと)であったとき 3月30日(水)
 四人の女性を見て見ますと、タマル、ラハブ、ルツそしてウリヤ妻、皆恥ずかしい経歴(けいれき)を持っています。タマルは、父ユダと関係してパレスとザラを生みました。ラハブは遊女(ゆうじょ)でした。ルツはモアブ人でユダヤ人にとっては敵国(てきこく)の女性、ウリヤ妻(つま)は、夫の留守中(るすちゅう)にダビデと不倫(ふりん)をしています。ですから、この系図(けいず)は、恥(はじ)と汚(けが)れに満ちています。不信仰と邪悪(じゃあく)の王たちが一杯(いっぱい)です。このような系統(けいとう)の末にイエス様は誕生されたのです。
 イエス様は、血統(けっとう)が良いから、先祖が立派だったから、救い主になったのではありません。
 神が約束に忠実だったから、人間の悪の歴史を支配しておられたから、どんな罪びとも御手(みて)の中ににぎっておられたからこそ与えられた救い主なのです。
 救いの約束がダビデ王以来(いらい)グラフの線が下がりに下がり、汚れに汚れたその果(は)てに、神の約束は、実現(じつげん)されたのでした。ですから、私の家柄(いえがら)がどんなに悪くても、自分がどんなに悪に染(そ)まっている罪びとだとひしゃがれている〈押しつぶされそうになっている〉人にも、この救い主の到来(とうらい)は、まさにおおきな福音(グッドニュース)なのです。

6.ダビデの神聖(しんせい)なる子の誕生 3月31日(木)
 「母マリヤは、ヨセフと婚約(こんやく)していた」(マタイ1:18)と書いてありますが、婚約ではなく、結婚していたのです。ユダヤでは、結婚しても同棲(どうせい)し始めるのは、1年後からという習慣(しゅうかん)がありました。結婚して一年目に、別居(べっきょ)している夫が妻の家に迎えに行って、それから同居(どうきょ)生活が始まるという民法(みんぽう)がありました。
 ヨセフは「正しい人」であったとは、そのような民法にも忠実(ちゅうじつ)であったという意味です。二人が別居している間に、天使が現(あらわ)れて、マリヤが聖霊によって身ごもるという出来事が起こりました。ヨセフは、自分の与(あずか)り知らない〈かかわりなく知らない〉ところで身ごもったマリヤを妻とすべきか迷いましたが、彼にも天使が現れて「ダビデの子ヨセフよ」と呼びかけられて、そのいきさつがすべて分かり、マリヤと事実上(じじつじょう)の夫婦となりました。