第10課 青年用:柴田 寛

2016年 第2期 マタイによる福音書

第10課 エルサレムでのイエス

青年用:柴田 寛

 今週のポイント
① 「いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい」(マタイ20:27)というイエスの教えは、神がやがて実現される世界と、人類救済のために神がお立てになった計画、すなわち十字架への道を理解する鍵です。
② 預言者ゼカリヤはキリスト誕生の約500年も前にメシアの到来を預言し(ゼカリヤ9:9)、そのとおりイエスは「子ろば」に乗ってエルサレムに入城なさいました。これは私たち人類をサタンの手から買い戻すためのご計画が、確実に進行していっていることを物語っています。
③ 動物のいけにえが絶えず献げられていた神殿(聖所)は、「世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ1:29)による救いを学ぶべき礼拝所でした。しかしそれが「強盗の巣」(マタイ21:13)と化しているのをごらんになったイエスは、ご自分の神性と召しをあかしする2つのみ言葉を引用(イザヤ56:7と詩篇8:3、口語訳は2節)しながら宮きよめをおこない、真の礼拝の回復を教えられました。
④ 実のならないいちじくを呪われた場面(マタイ21:18〜22)は非常に厳粛な事実を伝えています。神の救いの計画が進んでいるということは、裁きの日が近づいていることでもあるからです。「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」(ヨハネ15:5)と言われたイエス様の思いを瞑想しましょう。イエスが「空腹を覚えられた」時とは、主が期待された時、すなわち収穫の時(世の終わり)を思わせます。その時、実をつけている者は幸いです。
⑤ 「(礼服を着ていない)名ばかりのクリスチャン」とならないためには、十字架にかかるとわかっていながらエルサレムに入城されたイエスの徹底的な自己犠牲に思いを馳せる必要があります。私たちが決して恵を要求するだけのクリスチャンとなることがありませんように。計り知れない神の御愛に感謝し、信仰により与えられるキリストの義(礼服)をいつも身につけていたいものです。

 用語解説
① 「異邦人の庭」:神殿の境内の一番外側。いけにえの動物が売られ、両替が行われていた。神殿の奥に入ることが許されない異邦人にとって唯一の礼拝の場所。ユダヤ人にとっては重要でなくても、異邦人にとっては重要な場所。イエスがここで宮清めを行われたのは、異邦人を含む全ての人の救い主だから。
② 「隅のおや石」:建物全体を一つに結び合わせる大切な石のこと。
③ 「礼服」:婚礼のための服(マタイ22:11)であり、「信仰により与えられるキリストの義」を象徴。

 ディスカッションのためのテーマ
① 「ほかのだれによっても、救いは得られません」(使徒言行録4:12)という御言葉の意味を瞑想してみましょう。私たちは「キリストによる救い」抜きの生活を送っていないでしょうか。キリストをいつの間にか「退けた石」(水曜日を参照)にしていないでしょうか。