第10課 聴覚しょうがい者用:英田恭司

2016年 第2期 マタイによる福音書

第10課 エルサレムでのイエス

はじめに
 今週は、イエスがエルサレムにやって来られたときの主な出来事(できごと)と教えに焦点(しょうてん)をあてて研究をします。このエルサレムでの記録は、イエスの地上での働きの最期(さいご)の部分を扱っているのです。私たちが学んでいるマタイの福音書は、このイエスの最期の数週間の出来事(できごと)(エルサレムでのイエス)に約三分の一のスペースを当(あ)てています。
 ガイドに「もしあと数日(すうじつ)しか生きられないとしたら、あなたはその数日を用(もち)いて何をするでしょうか。イエスがなさったことの一つは、聞く者たちに大きな影響(えいきょう)を残す物語(ものがたり)を語(かた)ることでした」(ガイド71頁)と書いてありました。イエスの最期の期間の出来事(できごと)、福音書の三分の一を使って記録しているエルサレムでの出来事とその教えはとても重要だと感じさせます。

1.預言されたメシアの到来(とうらい)
 ソロモンが建設したエルサレムは、バビロンによって破壊(はかい)されました。バビロンの次のペルシア時代に破壊された神殿(しんでん)は建て直(なお)されます。神殿が建て直される時、二人の預言者(よげんしゃ)(ハガイとゼカリヤ)が神の言葉を伝(つた)え、建設に携(たずさ)わるものたちを励(はげ)ましました。ソロモンの神殿を知っている者は、新しいもの(第二神殿)がそのすばらしさにおいて遠く及(およ)ばないことに気(き)づき大声(おおごえ)をあげて泣きました。
 ハガイは「まことに、万軍(ばんぐん)の主はこう言われる。わたしは、間(ま)もなくもう一度(いちど)/天と地を、海と陸地を揺(ゆ)り動かす。諸国(しょこく)の民をことごとく揺り動かし/諸国のすべての民の財宝(ざいほう)をもたらし/この神殿を栄光(えいこう)で満(み)たす、と万軍の主は言われる。銀はわたしのもの、金もわたしのものと/万軍の主は言われる。
この新しい神殿の栄光は昔の神殿にまさると/万軍の主は言われる。この場所にわたしは平和を与える」と/万軍の主は言われる。」(ハガイ2:6-9)と言って励(はげ)ましました。事実(じじつ)、栄光の主であるイエスがこの神殿に立たれたのです。
 またゼカリヤは「娘シオンよ、大いに踊(おど)れ。娘エルサレムよ、歓呼(かんこ)の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者/高ぶることなく、ろばに乗って来る/雌(め)ろばの子であるろばに乗って。」(ゼカリヤ9:9)と預言しました。マタイはこのすばらしい預言が、イエスのエルサレム入場において成就(じょうじゅ)したと記録(きろく)しています。(マタイ21:1-11)

2.イエス、いちじくの木を呪(のろ)う
 マタイ21:18-22を読んでください。
滅ぼすためではなく救うために来られたイエスがいちじくの木を呪い、その木がたちまち枯れてしまったことに弟子たちは驚きました。イエスは空腹(くうふく)を覚え、葉の茂(しげ)ったいちじくの木に近寄(ちかよ)られました。葉が茂(しげ)っていれば当然(とうぜん)、初(はつ)なりの実が実(みの)っています。
 イエスはこの初なりのいちじくを期待(きたい)されたのです。しかし、木には実はありませんでした。そこで期待(きたい)はずれのいちじくに「今から後いつまでも、お前には実がならないように」(マタイ21:19)と宣言(せんげん)されたのです。葉の茂るいちじくの木は、神殿をさしているのです。
 イエスがエルサレムに来(こ)られ神殿(しんでん)の境内(けいだい)に入られたとき、期待されたのは熱心に祈り礼拝をささげる人々でした。しかし、イエスの目に映(うつ)る神殿は、祈りの家ではなく、強盗(ごうとう)の巣のようでした。それは期待した実のない神殿の姿でした。イエスはいちじくの木になさったことをとおして、このような神殿はやがて滅(ほろ)びるとはっきり宣言されたのです。

3.「ぶどう園(えん)と農夫(のうふ)」のたとえ
 マタイ21:33-46を読んでください。神殿で行われていたことに対してのお気持(きも)ちを、イエスはいちじくの木になさったことによって、宣言(せんげん)されたように、当時(とうじ)の指導者に対する見方(みかた)を、たとえを用(もち)いてはっきり語(かた)っておられます。「祭司(さいしちょう)長たちやファリサイ派(は)の人々はこのたとえを聞いて、イエスが自分たちのことを言っておられると気(き)づき、イエスを捕(と)らえようとした」(マタイ21:45-46)と書かれているとおりです。
 たとえに出てくる主人は、父なる神を表(あらわ)しています。農夫たちは、民の指導者たち、(祭司長(さいしちょう)、長老など)を。主人の僕(しもべ)たちは、神から遣(つか)わされた使者(ししゃ)(預言者(よげんしゃ)など)を。そして、主人の息子(むすこ)は、イエス・キリストを表(あらわ)しています。
 イエスは詩篇118:22.23の言葉を用(もち)いてこれから起こることを、宣言(せんげん)されました。その意味は次のとおりです。
「家を建てる者」(民(たみ)の指導者)が「捨(す)てた」(受け入れなかった)「石」(イエス・キリスト)は、やがて「隅(すみ)の親石(おやいし)」(救いの土台石(どだいいし)、救いを完成する象徴石(しょうちょういし))となります。

4.「婚宴(こんえん)」のたとえ
 マタイ22:1-14を読んでください。
 イエスは民の指導者に対してたとえをとおして語(かた)られたように、救いに招(まね)かれている人々(私たち)にも、「婚宴(こんえん)」のたとえをとおしてはっきりと語っておられます。
 王子(おうじ)のために催(もよお)される婚宴は、すべての準備(じゅんび)が整(ととの)い、すっかり用意ができていました。これは、神が私たちのために、十字架におけるイエスの犠牲(ぎせい)によって、罪と死の混乱状態(こんらんじょうたい)から抜(ぬ)け出せる方法を十分に整(ととの)え、提供(ていきょう)していることを表しています。すべての人がこの救いに招かれているのです。神はさらにこの婚宴に参加できるようにすべての物を準備なさっているのです。
 イエスはたとえで、この神の招(まね)きに応(おう)じない人には、容赦(ようしゃ)のない対応(たいおう)(滅(ほろ)び)が待っていることを示されました。それはすべての人がこの招きに応じて欲しいとのイエスの切(せつ)なる願いでもあるのです。わたしたちは素直(すなお)にこの招きに応じて、用意された礼服(れいふく)を着て神の国に入りたいと思います。