第11課 城美崇光

2016年 第2期 マタイによる福音書

第11課 終末時代の諸事件

はじめに
 マタイによる福音書23章には、一部のユダヤ人指導者に対するイエスキリストの最後の訴えがなされています。それは、悔い改めて救いの唯一の希望であるイエスキリストを受け入れなさい。という訴えです。今週は終末時代の諸事件について学びます。まさにこの終末時代に生きる私たちに語られているメッセージです。

日曜日 「ものの見えない案内人」
 イエスキリストは、マタイによる福音書23章で『「ものの見えない案内人」(新共同訳)』と言う表現をしています。ここでいう案内人は、律法学者やファリサイ派の人たち、つまり聖書を研究し聖書が教えるように生きることを実践し、そのように教える人です。その人たちが見えていないと言うのはどういう意味なのでしょうか。マタイによる福音書23章26節で言っています。「まず、杯の内側をきれいにせよ。そうすれば、外側もきれいになる。」私たちは、人から見られる外側を一生懸命に磨いて、内側は泥だらけになっていないでしょうか。神様は全てを見ておられます。

月曜日 終末のしるし
 先日、町内会のソフトボール大会に参加しました。その時ある方と熊本で起こった地震の話題になりました。その方は私が教会で働いていることを知っていたので、なぜこのようなことが起こるのか意見 を求めてきました。私は応えました。「もうすぐイエス様が戻ってこられます。その前には、地震や戦争、犯罪が増える。ということが、聖書に書いてあります。」その方は言いました。「地震も戦争も犯罪も、大昔からあったけれど、情報として自分達のところに届かなかった。それだけです。昔も今も大してかわりません。」ここで申し上げたいのは、聖書の価値観とこの世の価値観は全く異なる。ということです。そして、マタイによる福音書24章14節には、「御国の福音は全世界に宣べ伝えられる」と記されています。日本でも本格的にホープチャンネルが開始されました。インターネットをとおして、個人主義で常にスマートフォンと向き合っている人にも福音が届く時代になっています。少なくとも日本においては、すぐ手に届くところに福音は届けられています。知らなかったとは言い訳出来ないでしょう。

火曜日 エルサレムの崩壊
 エルサレムがローマ軍に包囲された時、逃げ出したクリスチャンが命を失わなかったのは、忠告に従った、警告に耳を傾けた、ということです。エルサレムで亡くなったユダヤ人は推定で100万人以上だと言われています。
 ソドムとゴモラ、ノアの洪水。聖書の中には警告が記されています。私たちは福音によって励まされます。それと同じように、警告に耳を傾けることを怠ってはいけません。ソドムとゴモラが滅ぼされた時、救われたのはロトとその家族だけでした。ノアの洪水ではノアとその家族だけが救われました。キリストの再臨も福音であり、その中に警告が含まれていることを忘れてはならないのです。

水曜日 イエスの再臨
 教会の共同墓地に行く機会がありますが、ここから大勢の人がどのように蘇るのだろうと思うことがしばしばあります。それほど、まだ見たことがないこと、体験したことがないことにおいては、想像の範囲でしか考えることができないということではないかと思うのです。キリストの再臨は誰も経験していません。いつイエスの再臨があるのか天の父なる神様の他はしらないのです。明日、再臨があってもあわてることのない備えが出来ているでしょうか。

木曜日 目を覚まし続ける
 もし、キリストの再臨がなければ、私たちの働きは虚しいものです。教会自体意味のないものです。今までキリストの再臨の日付が設定され、それが伝道の原動力ともなってきていました。アドベンチスト教会の始まりは、ウィリアム・ミラーから始められた再臨運動でした。しかし、設定された日付はどれも間違っていました。私たちは、キリストの再臨がいつあっても、慌てることなく、昨日と同じ生活を今日することができるでしょうか。祈りとみ言葉を最優先しキリストの心と聖霊の力を求める牧師と教会であり続けることができますように。日々献身を新たにいたしましょう。