第11課 聴覚しょうがい者用:武田将弥

2016年 第2期 マタイによる福音書

第11課 終末時代の諸事件

 イエス様が我々人間を再(ふたた)び迎えに来て下さる「再臨(さいりん)」は、世界最大の山場(やまば)であり最高(さいこう)の出来事(できごと)です。なぜならば苦しみも悲しみも、その時に終わりが告(つ)げられるからです。そして「十字架(じゅうじか)」と「再臨」はセットになっており、片方(かたほう)だけでは正しく神様のご計画(けいかく)をあらわしません。この2つは神様の計画によって立てられたものであり、深く関係しているのです。この十字架による救いは、再臨というゴールによって完成するのです。
まだ再臨は起(お)こっていませんが、絶対(ぜったい)に嘘(うそ)や思(おも)わせぶりな事を言うことのない「神様」がこう断言(だんげん)しておられます。「然(しか)り、わたしはすぐに来る(黙示録(もくしろく)22:20)」と。ですから我々はいつになるかは分かりませんが、いつ主人が戻(もど)られても良(よ)いように、万全(ばんぜん)の準備(じゅんび)をして待つのが我々の正しい姿勢(しせい)となります。
皆さんも御存知(ごぞんじ)のとおり世界は一見(いっけん)普通に見えるかもしれませんが、混乱(こんらん)と苦労(くろう)が渦巻(うずま)いている状態(じょうたい)です。人によってはこの酷(ひど)い状態が増々(ますます)強くなっていくことに耐(た)えられない気持(きも)ちになり、暗くなる人もいるかもしれませんが、最後には再臨という神様の迎えがあって必ずハッピーエンドを迎えられるという希望を、決(けっ)して忘れないでいただきたいと思います。

2・『ものの見えない案内人(あんないにん)(日)』
 旧約聖書の物語(ものがたり)を読むと、イスラエルの民が危機(きき)を迎(むか)える度(たび)に、いつも導(みちび)き救ってくださる存在(そんざい)がありますが、その正体(しょうたい)は誰(だれ)であろう「イエス様」でした。人々はイエス様に助けられながら、神様のことを少しずつ理解(りかい)していき、やがてどこの民族(みんぞく)よりも神様の素晴(すば)らしさを、身(み)をもって詳(くわ)しく知る者(もの)達(たち)になりました。しかし自分達は特別に選(えら)ばれた存在(そんざい)なのだ!という「選民(せんみん)意識(いしき)」をやがて持つようになり、それはいつの間にか他(ほか)より自分は優(すぐ)れているのだ!という偏(かたよ)った考え方になっていきました。これはまさに悪魔(あくま)サタンの考え方と同じです。
神様の愛は全(すべ)ての人に注(そそ)がれていますが、特別に気にかけてもらったイスラエルの者達が、いつの間(ま)にか勘違(かんちが)いを膨(ふく)らませていったその結果(けっか)、マタイ23章でイエス様が指摘(してき)されたように、堕落(だらく)・偽善(ぎぜん)・高慢(こうまん)な状(じょう)態(たい)という間違った状態になってしまったのです。もちろんイエス様はこれを正(ただ)そうと何度(なんど)も試(こころ)みてきましたが、残念ながらイスラエルの民は心を入れ替(か)えませんでした。そこで神様のことを正しく証(あか)しするという責任ある役目(やくめ)は、イスラエルの人達から全世界にいる異邦人(いほうじん)へとバトンタッチされました。

3・『終末(しゅうまつ)のしるし(月)』『エルサレムの崩壊(ほうかい)(火)』
 人間が神様を信じている・信じていないに関係なく、いつか世界の終わりがやって来ることは科学者の研究でも分かっています。しかしそれがいつになるのか予想(よそう)は出来ても正確(せいかく)には誰も分かりません。しかしイエス様は科学が発達(はったつ)していない遥(はる)か昔、実(じつ)はすでに終末がかなり近いことと、その時が迫(せま)って来たらどの様(よう)な兆(きざ)し(前兆(ぜんちょう))が現(あらわ)れてくるかを教えて下さっています。世界中で争いや天災(てんさい)が頻繁(ひんぱん)に起こるようになり、みんなの心が弱っているタイミングと混乱(こんらん)に乗(じょう)じて「私には皆を束(たば)ねる力があるから助けてやる。だから私の所(ところ)に集まれ!」と、ただの人間のくせに救世(きゅうせい)主(しゅ)気取(きど)りになった者がアチラコチラに現(あらわ)れてくるというのです。しかし我々は忘れてはいけません。『この方(かた)以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名(みな)のほかに、私たちが救われるべき名は、人に与えられていないからです(使4:12新改訳)」』という聖書の言葉があります。少しくらい才能(さいのう)やカリスマ性〈奇跡などを起こす神秘的な性質〉があり、頼(たの)もしそうに感じたとしても、その人物(じんぶつ)は神様ではなくただの人間であるということを忘れてはいけないのです。みんながそういう人物の下に集まり始めた時、我々は一緒(いっしょ)に付(つ)いて行ってはいけません。後で必ず後悔(こうかい)することになるからです。そして周(まわ)りからは世間(せけん)に逆(さか)らうような感じに映(うつ)るあなたを、白い目で見たり、場合によっては意地悪(いじわる)したりするかもしれません。いえ、必ずそうなるでしょう。しかし人間を恐(おそ)れる必要はありません。本当に心配しなくてはならないのは「他人(たにん)の目」ではなく「神様の目」を気にするべきなのです。
 イエス様は「神様に従おうと努力する者達の苦労は、残念ながら最後まで続く」とハッキリ断言(だんげん)しておられます。要(よう)するに最終(さいしゅう)ゴールである再臨(さいりん)が起こるまで、酷(ひど)い状態(じょうたい)は良くなるどころか、どんどん悪くなり続けるというのです。しかし神様を最後まで信じ続ける人は、苦労はするかもしれないが、絶対に不幸にはならないのです。なぜならば主を信じ続けた者は、必ず神の御国(みくに)に招(まね)き入れてくださるからです。人間にとってこれ以上の幸せがあるでしょうか?だから絶対に不幸と呼ばれる人には成り得(え)ないのです。

4・『イエスの再臨(水)』『目を覚(さ)まし続ける(木)』『さらなる考察(金)』
 再臨の時にはわざわざイエス様ご自身(じしん)が、地球まで我々を迎えに来て下さいます。その時に人類(じんるい)はひとり残らず手を止(と)めて、天から降(お)りてこられたイエス様を見上げることになります。その時には(順番(じゅんばん)はあるようですが)日本人も外国人も、老若(ろうにゃく)男女(なんにょ)も、目や耳の不自由だった人も、皆が復活させられますから「私は耳が聞こえないから、イエス様の再臨に気が付(つ)けなかったなぁ…」とガッカリする人はいないので安心してください。繰(く)り返(かえ)しになりますが再臨はいつ起こるのか分かりません。「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである(マタイ24:36)」と聖書で言われているように、再臨は神様がお決(き)めになるからです。もしも再臨の正確(せいかく)な日時(にちじ)が前もって分かってしまえば、その日に向かってほぼ全(すべ)ての人間が一生懸命(いっしょうけんめい)に準備するでしょう。しかし前もって日時が分かってしまったら訓練にもテストにもなりません。もしかしたら再臨の数日前まで好き勝手(かって)に過(す)ごし、再臨の直前(ちょくぜん)になって「神様を信じます!」と急に言い始めるチャッカリ者(抜目(ぬけめ)のないズルい人)も出てくるかもしれません。とにかく言えることは、私達はいつ再臨が来ても良いように、常日頃(つねひごろ)から準備しておくということです。「イエス様は当分(とうぶん)帰ってこないだろうから、今の内に好き勝手なことをしておこう♪」という考えは危険です。突然(とつぜん)に主は戻ってこられるからです。また誰も見ていないように思っても、神様や天使たちはあなたの行動をバッチリ見ておられる事も忘れてはいけないでしょう。他人はごまかせても、自分と神様をごまかすことはできません。神様の前に正しい姿勢(しせい)で祈りつつ待ち望みましょう。