第12課 青年用:松本 裕喜

2016年 第2期 マタイによる福音書

第12課 イエスの最後の日々

青年用:松本 裕喜

 今週のポイント
① 今週のテーマ:今週扱う物語から様々な教訓が得られると思いますが、ガイドでは「自由と自由意志」に焦点を合わせるようなので、そのような理解のもとで学ぶことにします。
② 日曜日:イエスの頭に高価な油を注いだ女は、イエスへの感謝の思いをもって油を注ぎ、それが「良いこと」としてイエスに受け入れられました。
82ページ下の質問を考えてみましょう。「自分の自由意志を用いて、私たちはイエスのためにどんな『良いこと』をすることができますか。」
③ 月曜日:洗足・聖餐式は、イエスから私たちへの求婚の行為です。イエスは私たちを救うために死なれました。そのことを表すパンと杯をいただく時に、私たちはイエスからの呼びかけがあることを覚え、自由意志を神に従わせてその呼びかけに応えることを選びたいものです。
副読本96ページによれば、イエスが足を洗ったことも私たちの罪の責任をイエスが取ることを示しています。洗足式の時には互いに謙遜を学ぶということもありますが、相手の罪の苦しみや悩みのために祈ることをも覚えましょう。私たちには相手の罪の責任を取ることはできないかもしれませんが、相手のために祈ることはできます。
④ 火曜日:ゲツセマネでイエスが祈られたことについては、各時代の希望74章を読んでいただきたいと思います。聖書に記された短い祈りの時は、私たちの運命を決定づけるとても重大な時でした。
⑤ 水曜日:「その行為はなかったことにしたいと思って、・・・ユダは最後まで事態を我が物にしようとしていたのです」(副読本98頁)。結果的に、ユダは自分の魂をもサタンに売ってすべてを失うことになりました。
⑥ 木曜日:ペトロがイエスを「知らない」と言ったのは、恐らくペトロがイエスの使命について何も知らなかったからではないかと考えられます。私たちがイエスを「知っている」と言えるのは、イエスを信じ、イエスが自分にとって価値のある存在であると信じることができた時ではないでしょうか。

 ディスカッションのためのテーマ:
① 私たちが失敗するときでさえ、神が私たちを愛しておられることについて、どのような希望を得ることができますか。(木曜日の質問より)
② なぜイエス(罪を担う方)の死が絶対に必要だったのですか。大争闘を踏まえるとき、神が罪の問題を解決する別の方法は、なぜありえなかったのでしょうか。(金曜日の質問より)