第12課 聴覚しょうがい者用:山路俊晴

2016年 第2期 マタイによる福音書

第12課 イエスの最後の日々

今週のテーマ
 今週は「選択(せんたく)」、すなわち「選(えら)ぶこと」についてのイエス様の願いについて学びます。私たちは、毎日選びながら生活をしています。朝、起きようか、もう少し寝(ね)ようか選択(せんたく)をします。今日はどの服を着るか、何をするか、何を食べるか、など選択をして生活をしています。私たちはたえず選択を続けているのです。その選択の中でも大切なことは、イエス様を信じる選択です。アダムは選択をまちがえ、罪を犯してしまいました。イエス様が正しい選択をして私たちに天国への道を開(ひら)いてくださいました。最後の日々にあったことを通して、イエス様が望(のぞ)まれる選択はどのようなものかについて学びましょう。

2.「良(よ)いこと」 6月12日(日)
 ナルドの香油(こうゆ)という、現代(げんだい)の香水(こうすい)と呼(よ)ばれるようなとても良い香(かお)りのする、高い油が聖書の時代にはありました。ダイヤモンドより高かったという人もいます。王様や祭司(さいし)がその仕事を与えられるときに、頭にこの油が注(そそ)がれました。または、お金持ちの人がお墓(はか)に入るときに体にぬられることがありました。マリアという女性は苦労(くろう)してためたお金を使って、この油を買い、イエス様の頭に注ぎました。まわりにいた弟子たちは、「なぜそんなことするの」、「もったいないじゃないか」などとつぶやきました。しかし、イエス様はマリアのしたことは、「良いこと」であるとおっしゃいました。マリアが心からイエス様に感謝をこめてしたことであったからです。これから十字架で死のうとしているイエス様にとって、また私たちを救ってくださる本当の王様であり、神様との間に立って働いてくださる本当の大祭司(だいさいし)としてのイエス様に香油(こうゆ)が注(そそ)がれることはとてもふさわしいことでありました。神様は、わたしたちがどのようなことでも心こめイエス様のためにすることを喜び受け入れてくださいます。
3.「新しい契約(けいやく)」  6月13日(月)
私たちの教会では、3か月に1度、聖餐式(せいさんしき)という儀式(ぎしき)を行っています。その時に食べるパンと飲むブドー液はどちらもイエス様の十字架での死を忘れないようにするためのものです。私たちは、聖餐式(せいさんしき)に信仰をもって参加することは、神様の前にすべての罪が赦(ゆる)されたものとなったことを信じることです。また、イエス様と再(ふたた)びお会いする日が必ず来ることを信じることでもあります。聖餐式(せいさんしき)は、イエス様が永遠の命を与えてくださる「新しい契約(けいやく)」を信じて、その契約(けいやく)を続けていくことです。

4. ゲッセマネ 6月14日(火)
イエス様には大きな苦しみの時が2回ありました。1度は十字架でした。もう1つは、ゲッセマネと呼(よ)ばれるところでの苦しみでした。イエス様は十字架にかかる前の夜、最後の食事の後、エルサレムの町の外にある、ゲッセマネとよばれるぶどうの木がたくさんある園(その)で、お祈りをしました。
その時、大きな選択をイエス様はしなければなりませんでした。私たちを救うために自分が死ぬかどうか。イエス様にとって死ぬということは、永遠に天の神様とのつながりを失(うしな)うことでした。神様とつながって毎日過ごしてきたイエス様にとって、永遠に神様と別れなければならないことの苦しみは、わたしたちには理解(りかい)ができません。しかし、すべてを神様におまかせして、十字架で私たちのために苦しみ、死ぬ道を選択(せんたく)されました。私たちも、イエス様を信じて、従うクリスチャンとして、自分のことではなく、神様のことを考えていつも選択をするように、イエス様は命がけでお手本(てほん)を示してくださいました。
5.ユダ、魂(たましい)を売る 6月15日(水)
 ガイドの最後のところに、「ユダは永遠の命のすぐ近くにいましたが、彼はそれを無駄(むだ)にすることを選びました。」と書かれています。ユダはなぜ魂(たましい)を売るような選択をしたのでしょうか。ユダはイエス様を売って銀貨(ぎんか)30枚(どれい一人分のお金)を手に入れましたが、それを使うどころか、首をつって自殺(じさつ)をしてしまいました。聖書には「ユダの中に、サタンが入った」と恐(おそ)ろしいことが書かれています。それは、ユダが自分自身をすべてイエス様にまかせることをしなかった結果でした。イエス様を信じる信仰は、イエス様に自分の命をささげることです。それは、イエス様が私たちのために、ご自分の命を十字架でささげてくださったからです。ユダはささげていましたが、ぜんぶではありませんでした。自分の計画や考えに従ってイエス様に従っていましたので、ユダよりも頭の良(よ)いサタンが、ユダの心をまちがった選択(せんたく)へとみちびいてしまいました。信仰はゼロか百(ひゃく)です。永遠の命か永遠のほろびかです。毎日イエス様にお祈りして、すべてをイエス様におまかせする信仰生活を送りましょう。
5.ペテロの否認(ひにん) 6月16日(木)
 だれよりもイエス様に従っていくように見えたペテロも、イエス様を裏切(うらぎ)ってしまいました。ユダを先頭(せんとう)にした人々が、イエス様をつかまえに来たとき、ペテロは剣(けん)をぬいて、敵(てき)におそいかかりました。しかし、その後、イエス様をおきざりにして、他の弟子(でし)たちとともににげてしまいました。また、三回もイエス様のことは知らないと語ってしまいました。ペテロは人々につかまってしまう弱いイエス様を見た時、自分が想像(そうぞう)していた強い王様としてのイエス様ではないので、わけが分からなくなってしまったのでした。ペテロのようにどんなにすばらしい奇跡(きせき)やしるしを経験(けいけん)していても、自分をすべてささげていない人は、いざという時にイエス様を捨(す)ててしまうようになるという教訓(きょうくん)が示されています。今週は選択について学びましたが、毎日の信仰生活で大切な選択をする必要(ひつよう)があります。それは、自分を捨ててイエス様に従う選択です。この訓練(くんれん)を今私たちは、神様から与えられています。イエス様は、神様でしたが、わたしたちのために天のすべての栄光(えいこう)を捨(す)てる選択をなされました。また、この世界に来て、わたしたちのために神様に信頼する選択をなされて、罪のない生涯(しょうがい)を送られました。最後には、自分を捨て十字架で命をささげ、天の神様との永遠の別(わか)れを選択されました。イエス様のようにすべてを神様にささげる愛の選択が、マリアにナルドの香油(こうゆ)をイエス様に注(そそ)ぐ選択を与えました。今でも、イエス様は、わたしたちのために天において働いてくださっております。それは、わたしたちが正しい選択を毎日するためです。食べることや、着ることの選択ではなく、イエス様にすべてをささげて生きる選択です。たとえ、わたしたちが選択を失敗(しっぱい)するときがあっても、イエス様の私たちへの愛はかわることはありません。イエス様はわたしたちを天の神様の子供として、神の国を相続(そうぞく)するようにすでに選択してくださっております。ただ感謝して、イエス様を信じて歩む選択を日々していきましょう。