第13課 聴覚しょうがい者用:浦島智加男

2016年 第2期 マタイによる福音書

第13課 十字架、そして復活

1.はじめに
 マタイの福音書をはじめ、ほかの三つの福音書も主の十字架、復活、昇天(しょうてん)でその記録は終わりです。弟子たちにとっても、自分たちが愛し、仕えてきたイエス様が十字架で死なれ
た時、み国の建設の希望、自分たちの持っていた一切(いっさい)のものを捨ててその目的のために懸命(けんめい)に働いてきた意味も一切(いっさい)が打ち砕(くだ)かれ、世界はもう終わったと思われました。
 でも、主が死んで葬(ほうむ)られた墓から復活されたというニュースを聞き、主は再び生きて姿を現された時から、世界の舞台が一大(いちだい)転換(てんかん)(大きな変化)を遂(と)げたのです。弟子たちの心に、再び希望の灯がともされ、大きく輝(かがや)き始めました。
 弟子たちだけではありません。新しい世界の歴史が動き始めたのです。福音書も終わったのではありません。このときから、福音書が新しく輝き始めたのです。

2.イエスかバラバか 6月19日(日)
 イエス様を亡(な)き者にしようと、日ごろから企(たくら)んできた律法学者やファリサイ派(は)の人々は、裏切り者ユダの手を借りて、イエス様を捕(と)らえ裁判の場に据(す)えることに成功しました。しかし、ローマの支配下にあるイスラエルでは、彼らの最高(さいこう)裁判所(さいばんしょ)でも、人を死刑にする権限(けんげん)は、与えられていませんでした。国の最高裁判所で、イエス様が有罪(ゆうざい)と断定(だんてい)できませんでした。ローマから派遣(はけん)されていた総督(そうとく)がローマ法に従って最終的(さいしゅうてき)には、審判(しんぱん)がされるのです。
 時の、総督は、ポンテオ・ピラトでした。総督ピラトはかなりの乱暴者(らんぼうもの)であったようです。「ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混(ま)ぜたことをイエスに告げた。」(ルカ13:1)とあるのはほんの一例(いちれい)で、聖書以外の歴史書を読むと、ユダヤ人をあちこちで虐殺(ぎゃくさつ)しています。そんな乱暴者(らんぼうもの)のピラトですが、イエス様に並々(なみなみ)ならぬ関心(かんしん)を持っていました。そして彼の妻(伝説(でんせつ)では名をクラウディヤ・プログラと言い、ユダヤ教に改宗(かいしゅう)していたと言われています)も前の晩、夢を見て、イエス様は「義人」であるという確信(かくしん)を得ていましたので、夫のピラトに頼ん(たの)で「あの義人」には関係しないで下さいと言われたことも覚えていたのでしょう。
ピラトは、初めからイエス様を無罪(むざい)とみていました。ピラトの官邸(かんてい)の周(まわ)りには、キリストの裁判が、行われると知って、大勢(おおぜい)の群衆(ぐんしゅう)が押し寄せていました。ピラトがイエス様に質問した結果、宗教的にも倫理的(りんりてき))(どうとくてき)にも無罪(むざい)であると群衆(ぐんしゅう)に向かって宣言(せんげん)します。すると、群衆はキリストの死刑を強要(きょうよう)します。「ピラトは、それ以上言っても無駄(むだ)なばかりか、かえって騒動(そうどう)が起こりそうなのを見て(マタイ 27:24)あの慣習(かんしゅう)を思いつきます。「ところで、祭りの度(たび)ごとに、総督(そうとく)は民衆の希望する囚人(しゅうじん)を一人釈放(しゃくほう)することにしていた。」(マタイ 27:15)そこで、もう一人裁判中のバラバ・イエスという悪人を引き出して「イエス・キリスト」か「バラバ・イエス」のどちらを許すかを群衆に問いかけました。すると「バラバを」をゆるせ!という叫びが勝利(しょうり)しました。
そこに、私がいたらどのように判断(はんだん)したでしょうか。「バラバの方を」と叫んだのはほかでもない私であったと、私の罪が罪のない神の子を十字架につけたことを知るべきです。

3.十字架につけられた私たちの身代(みが)わり 6月20日(月)
4つの福音書には、合計で7つの十字架上のイエス様の言葉があります。マタイは十字架上でのイエス様の苦痛(くつう)の有様(ありさま)をあまり詳(くわ)しくは書きませんでした。でも、「エリエリ レマ サバクタニ」という叫びを原語(アラム語=当時の日常の話し言葉)のままで書いています。 いつもは、優(やさ)しい父として、イエス様を支えて来られた父なる神様が、この時ばかりはご自分のひとり子を見捨てられたのです。この時、イエス様は、世界中の罪を背負(せお)っておられました。罪びとに成りきっておられたのです。神様は、罪が憎(にく)いのです、罪がもたらす死も憎いのです。そこで私の罪と共に死んでいかれるイエス様を承認(しょうにん)されたのです。つまり、十字架上で私の罪もともに死んだことを言い表しています。
 
4.裂(さ)けた垂(た)れ幕と岩 6月21日(火)
 聖所(せいじょ)の構造(こうぞう)は、何度(なんど)も学んできましたので、よく理解(りかい)しておられると思いますが、
この垂れ幕は、聖所と至(し)聖所(せいじょ)を隔(へだ)てる仕切りの幕でした。神様は、この幕のかなたに置かれた契約の箱の上にあった贖罪所(しょくざいじょ)のケルビムの間から大祭司を通して何度も神の民と語って来られました。
 この幕は、罪びとが神様に近づけないこと、大祭司を通して贖(あがな)いの必要なことをおしえてきた幕でした。イエス様が十字架で贖いのわざを終えられた以上、幕が裂け、神と人とが 隔(へだ)てなく交わる道が開けたことを意味します。そして、エルサレムの神殿で行われて来た贖いの儀式が必要でなくなったことも意味します。
 イエス様の死こそ、旧約聖書が教えてきたいけにえの儀式(ぎしき)がここに完成したのです。
 もう一つは、「地震が起こり、岩が裂けた」できごとですが、イスラエルの神殿は、大きな一枚岩の上に建っていました。この岩の層(そう)が裂けたということは、エルサレムが神の礼拝の中心ではなくなったこと、イスラエルの民が選民(せんみん)ではなくなったことのしるしと見ます。
 「墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。」(マタイ 27:52)のは、イエス様の死が、人間は死んで墓に入ってそれで終わりではないこと、もう一つはこのあとキリストが復活されて、眠れる聖徒(せいと)に永遠の命があることをはっきり示されたのでした。

5.復活(ふっかつ)されたキリスト 6月22日 (水)
 金曜日の夕方、墓(はか)に収(おさ)められ、政府の役人たちによってしっかり封印(ふういん)されたイエス様の墓に日曜日の朝異変(いへん)が起こりました。横穴式(よこあなしき)の墓には、大きな丸い石の戸があって、一人や二人の力では開けられません。見張(みは)りの番兵(ばんぺい)もいます。女弟子たちが、金曜日に用意していた香料をもって、イエス様の墓に急いでいきました。まだ、愛する主の葬(ほうむ)りの体に塗るのが十分でないと思ったからです。でも、自分たちではとても開けられません。「彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた」(マルコ 16:3)
 しかし、墓にたどり着くと光り輝く天使が二人いて、あの重い墓石(はかいし)は軽々と開け放(はな)たれ、墓のなかを覗(のぞ)くと中は空(から)っぽでした。天使たちは、こう告げます「あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体(いたい)の置いてあった場所を見なさい」(マタイ 28:6)
 「それから急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』」マタイ 28:7
 弟子たちにこの急を知らせるために走って行った。すると女たちの行く手にイエス様が立ちふさがれて、あの懐(なつ)かしい声で「おはよう」と声をかけられました。彼女らは、近寄(ちかよ)ってイエス様の脚(あし)をいだいて礼拝したのでした。
 弟子たちに何度もご自分が復活するという予告をされましたが、誰一人真剣(しんけん)に信じたものはいませんでした。弟子たちには、突然(とつぜん)の信じられない出来事(できごと)になったのです。それから、弟子たちを初めとして多くの人たちに復活の体を表(あらわ)され、昇天(しょうてん)されるまでこの地上に留(とど)まられました。

6.大宣教(だいせんきょう)命令(めいれい) 6月23日(木)
 「そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』(マタイ 28:7)復活されて、弟子たちより先にガリラヤに行き、弟子たちを待っておられたイエス様は弟子たちを伴(ともな)って山へ登られました。そこで、改めて11人の弟子たちは復活された主を礼拝します。そして、彼らの目の前で天に昇(のぼ)って行かれました。その際、最後の語られた言葉が「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼(バプテスマ)を授(さず)け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。」(マタイ 28:19、20)これを大宣教(だいせんきょう)命令(めいれい)と言います
 「教え」そして「バプテスマをほどこす」この二つの方法で、すべての国民をイエス様の弟子にしなさいと言う命令です。