第2課 聴覚しょうがい者用:磯部豊喜

2016年 第2期 マタイによる福音書

第2課 公生涯(こうしょうがい)の始まり

1.はじめに
 マタイによる福音書(ふくいんしょ)は、ユダヤ人を対象(たいしょう)に書かれた福音書であると言われます。というのは、冒頭(ぼうとう)のイエス様の系図(けいず)が、「アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図」として書かれているからです。ユダヤ人は、米国の歴代(れきだい)の大統領(だいとうりょう)がアブラハム・リンカーン大統領を敬(うやま)うように、アブラハムを尊敬しています。アブラハムは「神の友」と呼ばれた人(ヤコブ2:23)であり、「信仰の父」としての評判の高い人物でした。イスラエル国家が建てられ第二代目の王様として選(えら)ばれたダビデは、ユダヤ人にとって国を強くした特別な王様でした。これについては、すでに第1課で学んできましが、イエス様はこの二人の名の連(つら)なる系図を持つ父ヨセフの子として、母マリヤ(【新共同訳】ではマリア)に聖霊によって宿(やど)り、お生まれになりました。さて、第2課では、大人に成長なさったイエス様が公(おおやけ)に名乗(なの)り出られたことから「公生涯(こうしょうがい)」(マタイ3~4章)が始まります。丁度(ちょうど)、偉人(いじん)物語(ものがたり)の子役(こやく)の時代から、ポンと飛んで大人になった主人公(しゅじんこう)が登場(とうじょう)する姿を見るようです。
 
2.バプテスマのヨハネと「いま持っている真理(しんり)」 4月3日(日)
 イエス様の公生涯の始まりにおいて、世界歴史の主役(しゅやく)であるイエス様の登場(とうじょう)の前に、この主役を引き立てるために登場していた人がいました。その人の名は、ヨハネ。でもユダヤではヨハネという名は、よくある名でした。そこで彼が荒(あ)れ野(の)に住み、ヨルダン川でバプテスマを授(さず)けている人でしたから、この人のことを「バプテスマのヨハネ」と聖書は書いています。彼の教えは、「悔(く)い改(あらた)めよ、天国は近づいた」でした。「悔い改め」という言葉は、「メタノイヤ」という言葉で、「方向(ほうこう)を変える」ことを意味しています。神様に背(そむ)けている生き方を変えて、神様に面(めん)を向けて生活することを迫(せま)った言葉です。これは人祖(じんそ)アダムとエバが、罪を犯して神様に対して背(せ)を向けたとき以来、ずっと神様が人間に向かってお語りになられた大切な言葉です。
 バプテスマのヨハネの評判(ひょうばん)は高く、大勢(おおぜい)の人々が彼に近寄(ちかよ)って来ました。ユダヤの指導者たちも近づいて来ました。しかしヨハネは相手がだれであれ、恐れずにメッセージを届けます。「まむしの子らよ」とか「良い実を結ばない木はことごとく切られ」とかきつい言葉を語ります。まむしの子は、普通は親の口から生れ出ますが、胎内(たいない)で大きくなりすぎて出られない時は親のお腹の中で成長し親の腹を破って出てくると聞きます。そして子であってもすでに猛毒(もうどく)を持っている。そのような「まむしの子ら」に例(たと)えられた人は、あまり良い気持ちはしないでしょう。それでも、彼(ヨハネ)は救い主が与えられる希望と、裁(さば)きがあるという二つのことを頭の中に置き、「…わたしのあとから来る人はわたしよりも力のあるかたで、わたしはそのくつをぬがせてあげる値打(ねう)ちもない。このかたは、聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授(さず)けになる」(マタイ3:11)またこのお方は「麦をふるい分け、麦は倉に納め、からは消えない火で焼き捨てるであろう」と語りました。

3.荒れ野での著(いちじる)しい違い、 4月4日(月)
 このバプテスマのヨハネのもとへ近づかれたイエス様は、彼の手によってバプテスマをお受けになられました。それは私どもの信仰の模範(もはん)となるためです。こうしてバプテスマを受けられたイエス様は、次に荒(あ)れ野(の)へ行きます。そのわけをマタイは「さて、イエスは御霊によって荒野に導かれた。悪魔に試みられるため」(マタイ4:1)と書いています。悪魔にとって、キリストの姿は、天で戦いの起こった時の場面(ばめん)と著(いちじる)しい違いがあることを知り、キリストを打ち負かすチャンスが来ました。

4.誘惑(ゆうわく) 4月5日(火)
 このように主が歩(あゆ)まれたのも、私たちに無関係(むかんけい)なことではありません。私たちが神様を信じて従おうとするときに、悪魔が熱心に信仰生活を妨害(ぼうがい)することの実例(じつれい)がここにあります。しかしまた、イエス様の誘惑(ゆうわく)に対する勝利の秘訣(ひけつ)(神の御言葉に信頼すること)をここで学ぶことが出来ます。「~と書いてある」と言って悪魔の誘惑に勝利した「キリストは…アダムの失敗をあがなわれるので」(希望への光p720)した。私たちもクリスチャンになるときに、悪魔の誘惑が待っていることを覚えなくてはなりませんが、み言葉によって勝利することができます。
 
5.ゼブルンとナフタリの地方 4月6日(水)
 イエス様にバプテスマを授(さず)けたヨハネは、やがて悪徳(あくとく)の王ヘロデに捕(つか)まえられました。そのバプテスマのヨハネの働きに後にマタイはイエス様の行動を、「さて、イエスはヨハネが捕(と)らえられたと聞いて、ガリラヤへ退(しりぞ)かれた」(マタイ4:12)と記(しる)しています。イエス様は、ガリラヤのどこで活動なさったのでしょうか。「そしてナザレを去り、ゼブルンとナフタリとの地方にある海(うみ)べの町カペナウムに行って住まわれた」(同13節)とあります。旧約聖書のイザヤ書にも、「しかし、苦しみにあった地にも、やみがなくなる。さきにはゼブルンの地、ナフタリの地にはずかしめを与えられたが、…異邦人(いほうじん)のガリラヤに光栄(こうえい)を与えられる。暗(くら)やみの中に住んでいた民は大いなる光を見た。暗黒(あんこく)の地に住んでいた人々の上に光が照(て)った」(イザヤ9:1,2)とある預言のごとくです。神の光は、必ずしもバランスのとれた人々の中にばかりでなく、暗黒の中にも輝くのです。そういう意味では、わたしたちも福音宣教をする場合、人や場所を選んではいけないと言うことになります。とくに粗暴(そぼう)な人々ほど、神様の愛と救いを必要としている人はいないのですから。

6.漁師(りょうし)たちの召(め)し 4月7日(木)
 イエス様のメッセージも「悔い改めよ、天国は近づいた」(マタイ4:17)でしたが、ヨハネと同じく悔い改めへの呼びかけで始まっています。私どもの本当の必要は、神様との友情(ゆうじょう)の回復(かいふく)です。そのために自分が神様から離れていることを知る必要があります。ところでこの地に、イエス様に最後まで従うことになる二組(ふたくみ)の兄弟がいました。キリストはこの弟子たちと、神の国を広げていくことになります。この出会いもまた素晴(すば)らしい出来事(できごと)の一つです。ペトロとアンデレは「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」(マタイ4:19)というイエス様の言葉を聞き網(あみ)を捨て、またゼベダイの子ヤコブとヨハネに至(いた)っては舟と父とをおいて、従って行きました。その結果、彼らの眠っていた才能(さいのう)が目覚(めざ)めるのです。