第4課 聴覚しょうがい者用:山地 宏

2016年 第2期 マタイによる福音書

第4課 「起きて歩け」――信仰といやし

1.はじめに
 私が子供の頃(ころ)のことです。夜、寝ているときに、前にも見たことのあるような、いやな夢を見ました。そして、苦しくなって目が覚めると、とても高い熱が出ていたのです。夢を見ているときに感じた、いやな感覚を今でも思い出すとゾッとします。もしかしたら、あの時、私は自分の命の危険を感じていたのかもしれません。
 苦しい思いをするのは、誰でもいやなものです。また、自分の死や、愛する人の死について考えると、恐(おそ)ろしくなる人も多いのではないかと思います。病気は、私たち人間に、自分が死ぬということを考えさせる、いやなものです。
 イエス様は、この世界におられたときに、たくさんの人たちの病気をいやされました。いやされた人たちは、そのときは元気になりましたが、それでも、死ななくなったわけではありませんでした。今週はマタイによる福音書8章と9章の中で、イエス様がなさった、いやしの働きを見ていきます。体の病気だけでなく、霊的な死に向かっている人たちを深く憐(あわ)れまれるイエス様の心を感じていきましょう。
 
2.触(ふ)れがたい人々に触れる 4月17日(日)
 まず、マタイによる福音書8章1節から4節を読んでください。ここに1人の重い皮膚病(ひふびょう)をわずらっている人が出てきます。その人は、イエス様のところに来て、「主よ、御心(みこころ)ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言って、イエス様からいやしていただきたいことを訴(うった)えました。ここでこの人が言った「おできになります」という言葉は、「デュナマイ」というギリシャ語で、英語の「ダイナマイト」という言葉と関係のある言葉で、力にあふれているという意味(いみ)です。つまりこの人は「御心ならば、力にあふれているあなたは私の人生を変えることができます」と言っていました。イエス様はすぐにその人に触(さわ)って、「よろしい。清くなれ」と言われました。
 私は以前(いぜん)看護師(かんごし)をしていました。私が働いていた病院は、皮膚科の病気の人がたくさんくる病院でした。時々、皮膚科の病気をもっている人に塗(ぬ)り薬をつけることがありました。そういう時は、必ずビニールの手袋をするように、先輩(せんぱい)の看護師から言われていました。患者(かんじゃ)さんの皮膚病が自分にうつらないようにするためです。皮膚の病気は、触(さわ)るとうつることが多いからです。
 イエス様の時代の人たちも重い皮膚病は触るとうつると思っていました。それなのにイエス様は、まるでわざわざその重い皮膚病の人の体に触ったようです。その理由についてガイドの26ページの最後の段落(だんらく)には次のように書かれています「おそらくイエスは、重い皮膚病の人に触(ふ)れることで、私たちの罪がどれほどひどかろうと、それからの清め、いやし、ゆるしを願う者たちに近づくことを示されたのでしょう」。

3.ローマ人とメシア 4月18日(月)
 マタイによる福音書8章5節から13節を読んでください。ここに百人隊長(ひゃくにんたいちょう)がでてきます。当時の百人隊長というのは、80人から100人ほどの兵隊を持っている、ローマ軍の隊長でした。当時のローマの兵士は、20年間兵役(へいえき)についていたので、家族を持つことは法律で許されていなかったと言われています。そのかわり百人隊長になると普通の兵隊の15倍の給料をもらえたそうです。家族は持っていないけれどもお金はたくさん持っていたので、この百人隊長は、そのお金で僕(しもべ)を雇(やと)っていたのかもしれません。もしかすると、たった一人の家族のように、僕のことを大切に思っていたのかもしれません。
 その大切にしている僕が病気になったので、百人隊長はイエス様に助けを求めてやって来ました。話しを聞いたイエス様は「わたしが行って、いやしてあげよう」と言われました。すると百人隊長は「ただ、ひと言(こと)おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕(しもべ)はいやされます」と答えました。この百人隊長の信仰を、イエス様はほめられました。そして、「あなたが信じたとおりになるように」と言われ、ちょうどその言葉が語られたときに、僕の病気はなおったのです。

4.悪霊と豚 4月19日(火)
 マタイによる福音書8章28節から34節を読んでください。ここには、悪霊(あくれい)に取り付(つ)かれた2人の人がいやされた物語(ものがたり)が書かれています。マルコによる福音書5章とルカによる福音書8章にも同じ物語が書かれています。マルコやルカを読むと、マタイには書かれていないいくつかのことが書かれています。一つは、彼らに取り付いていた悪霊は、自分たちを「レギオン」と呼んでいたことです。軍隊の言葉でレギオンというのは6千人の軍団のことでした。この大勢(おおぜい)の悪霊は、近くにいた2千頭の豚に乗(の)り移(うつ)らせてほしいとイエス様に願いました。どうして悪霊たちがそんなことを願ったのかということについて、おもしろい説(せつ)がガイドに書かれていますので、読んでみてください。しかし、一番自然(しぜん)な答えは、悪霊たちが豚に乗り移れば、豚が湖になだれ込んで死んでしまうことがわかっていた悪霊たちが、その町の人たちからイエス様がきらわれるようにするために、そう願ったのだということです。事実、町の人たちは豚がみんな死んだのを見て、イエス様に、ここから出て行ってほしいと言いました。しかし、悪霊から解放(かいほう)されてまともになった2人の人は、その町に残って、イエス様から救われたことを人々に伝える伝道者となりました。
 
5.「起きて歩け」 4月20日(水)
 マタイによる福音書9章1節から8節を読んでください。ここには中風(ちゅうぶ)の人のいやしの物語が書かれています。イエス様が中風の人を見られたとき、イエス様はその人を一番苦しめている問題を見られました。この中風の人の一番の願いは、罪の重荷(おもに)からの解放(かいほう)でした。罪のゆるしを求めているこの中風の人の願いを見て、イエス様は「あなたの罪は赦(ゆる)される」と言われたのです。罪が赦されたと言われても、本当(ほんとう)に赦されているかどうかを見ることは、ふつうはできません。でも、イエス様は、ご自分が言われた罪の赦しの言葉が、本当であることをその人が確(たし)かに信じられるように、「起き上がって床(とこ)を担(かつ)ぎ、家に帰りなさい」と言われました。このイエス様の言葉の通りのことが自分の体に起これば、「罪が赦された」というイエス様の言葉も本当だということの証拠(しょうこ)になります。次の瞬間(しゅんかん)、彼は床を担いでいました。そのとき、自分の罪は本当に赦されたんだという喜びを感じながら、彼は家に向かって歩き始めました。

6.「死んでいる者たちに……死者を葬(ほうむ)らせなさい」 4月21日(木)
 マタイによる福音書8章18節から22節を読んでください。ここにイエス様に従いたいという願いをもっている2人の人が出てきます。2人とも本当にイエス様に従いたいと思っていました。しかし、イエス様はそれぞれの人に従う覚悟をたずねるようなことを言っておられます。最初の人には、すべてのものを心からあきらめて従えるのかを問(と)うているようです。2番目の人には、家族よりもイエス様を優先(ゆうせん)できるかを問うているようです。彼らがこのあとどうしたのかは、聖書には書かれていません。しかし、マタイによる福音書9章9節には、イエス様から「わたしに従いなさい」と言われて、すぐに立ち上がって従った人のことが書かれています。その人とは、マタイによる福音書を書いた徴税人(ちょうぜいじん)マタイです。このあと9章の13節までを見ると、マタイのような徴税人や罪人(つみびと)と言われていた人たちを弟子にして、一緒に食事をしているイエス様が、ファリサイ派(は)の人たちから責(せ)められています。それに対して、イエス様は「医者を必要とするのは、丈夫(じょうぶ)な人ではなく病人である」と答えられました。
 病人には医者が必要なように、人間はみな、罪人だから救い主が必要なのです。だから救い主イエス様が罪人を招くのは当(あ)たり前です。あとは、私たち人間がイエス様の招きに答えて従うかどうかです。