第6課 聴覚しょうがい者用:山路俊晴

2016年 第2期 マタイによる福音書

第6課 キリストにある安らぎ

1.はじめに
 アダムとエバは罪を犯す前は、神様といっしょにいて、いつも心に安らぎと喜びをもって過ごしていました。罪によって、私たち人間はその安らぎを失い、心が混乱してしまいました。イエス様は、わたしたちがその大切な安らぎをもう一度もてるようにしてくださいました。天国に行ってからではなく、今の私たちの人生の中で持つことができるようにしてくださいました。今週は、イエス様が教えてくださった神様からの心の安らぎについて学びます。安息日の目的を正しく理解して、イエス様が望まれるように安息日を大切にするとき、天国で体験できる神様の安らぎを与えていただくことができます。
 
2.キリストの軽いくびき 5月1日(日)
 イエス様は世界中のだれよりもたいへんな人生を送られました。きたなくて臭い馬小屋から始まり、十字架で苦しめられて殺されてしまった人生。30年以上ありとあらゆる苦しみとの戦いをなされました。しかし、いつでも、神様と心をしっかりつなげて、平安と確信と希望を失うことはありませんでした。もっともつらい人生を神様と共に歩まれ、最後まで勝利の人生を送られたたイエス様が、生きるのに疲れている人、苦労が多くて大変な人たちに、だれでも私のところに来て、どのように生きたらいつも心に安らぎと元気を持てるか学びなさいとおっしゃっておられます。「くびき」とは、牛やロバの首につけて、畑をたがやしたり、車をひっぱったりする木でできた道具のことです。大工だったイエス様が作られたくびきはとても評判のよいものだったといわれています。キリストのくびきを負いなさいということは、イエス様を信じて共に生きれば、良いくびきを付けた動物と同じで、大変な人生も楽になり、安らぎと勝利ある人生が送れるということを教えています。

3.休息の日を巡(めぐ)る騒動(そうどう) 5月2日(月)
 イエス様が生きておられた時代のイスラエルの人々は、安息日を清く守ることにおいて大変おおきな間違いをしていました。それを正すためにイエス様はいっしょうけんめいに取り組みをしました。イスラエルの人々、特にファリサイ派という信仰に熱心なグループの人々は、安息日を清く正しく守るために、400以上のやってはいけないことを分類して決めました。さらにそれを細かくわけてたくさんの規則を作り、熱心に守ろうとしました。規則を守ることが大切にされ、色々なへんてこな規則が作られました。安息日に産まれた卵は食べていいかどうか、鏡で安息日に自分を見ることは良い事かどうか、安息日につばを吐くことについてどうか、安息日は何歩まで歩いてよいのか、安息日に火事になったらどれだけ家から持ち出していいのかなど、このようなたぐいのことについて、細(こま)かな規則をたくさん作って守ろうとしました。これは、安息日をわたしたちのために作ってくださったイエス様が本当に望まれた安息日の守り方ではありませんでした。当時の人々に間違っていることを教えようとしたイエス様にたいして、彼らはぎゃくにお前が間違っていると思い、イエス様を殺そうとしました。彼らはそうすることが神様に喜ばれる正しいことと、本気で信じていました。大切な真理から離れた信仰とは、本当に恐ろしいものです。

4.イエスの答え 5月3日(火)
 安息日が私たちに与えられている目的をしっかり知る必要があります。真理を知らないでいると、イスラエルの人々と同じ間違いを、わたしたちもしてしまう危険があるからです。
安息日が私たちに与えられた目的は、以下の通りです。
1. 安息日は神様を礼拝するために与えられました。神様にさんびをささげ、献身して神様とつながることのためです。
2. 安息日は同じ信仰の方々と交わるために与えられました。教会でいっしょに礼拝をささげ、お交わりをすることは、この地上において天国の体験をするためです。
3. 安息日は家族で楽しく過ごし、交わるために与えられました。神様の深い愛の経験をするためです。
4. 安息日は神様が世界を創られた方であることと、わたしたちをすべての罪とその世界から救ってくださる方であることを、しっかり信じるために与えられました。全世界を支配なされておられる神様がいつもまもり、わたしたちを天国へと導いてくださっていることを心でしっかり信じ、大変なことがあっても心に安らぎと希望をもって毎日を過ごせるようになるために与えられました。

 安息日は何かをしない日、してはいけない日ではなく、むしろ、する日、すべき日なのです。神様を礼拝する日、友や家族と交わり奉仕をする日、信仰の確信と喜びを持つ日なのです。

 5.安息日になされたいやし 5月4日(水)
 イエス様は規則ずくめで安息日について間違った考え方をしている人々が集まる当時の教会(会堂とよんでいました)で、手の病気の人を治してあげました。他にも、パリサイ派の人の家で、病気の人を安息日に治してあげ、また病気の人々が集まっているベトザタの池で、38年間病気であった人を安息日に治してあげました。安息日は、愛の心を持って神様の喜ばれること、人の救いにかかわることを熱心に取り組む日なのです。このことを、イエス様は自らの行動を通して教えられています。イエス様だったらどうするかを考えて、イエス様と心をひとつにして行動することが大切です。

6.安息日を順守する 5月5日(木)
 以前、安息日に数名の教会員の方々と、草刈りをしたことがありました。村に一人で住んでおられるおばあさんの家の玄関前と庭の草刈りをしました。そのおばあさんは腰を悪くして草刈りができずに、家のまわりに草がぼうぼうとしげって、とても困っておられました。当時平日はみんな忙しくて時間が取れないときでした。安息日に共に礼拝し、午後からみんなで奉仕の働きをしました。とってもおばあさんが喜んでくださり、わたしたちも汗をかきましたがうれしくなりました。近所の方からも飲み物をいただき、感謝されました。忘れることのできない安息日でした。イエス様は言われます。「だから、安息日に善いことをするのは許されている」。

7.さらなる研究  5月6日(金)
 イエス様がマタイの福音書で2回、「わたしが求めるのはあわれみであって、いけにえではない」(マタイ9:13、12:7)とはどのような意味か学びなさいと言われています。イエス様がおられた時代、昔からの儀式としてイスラエルの人々はたくさんの羊や牛を神様へのいけにえ(ささげもの)としてささげていました。本来は、自分の身代わりとして殺されるいけにえの動物に申しわけないという気持ちを思って、自分の犯した悪いことを深く反省すべきでした。しかし、いつの間にか、ささげることだけに熱心になり、気持ちも心もともなわなくなってしまいました。イエス様は憐れむ心(かわいそうだと思う心)を失って、どんなにたくさんのいけにえを神様にささげても、何の意味もないことを教えられました。わたしたちも、同じです。安息日を習慣としてどんなに熱心に守っていても、また感謝の心がともなわない献金や什一をたくさんささげたとしても、神様は喜んで受け入れてくださらないのです。生きた神様との心の交わり、命のつながりがあってはじめて、神様へのすべての行いが受け入れられ、祝福されるのです。そうするときに、イエス様の安らぎを見いだすことができます。どんなに困難の中にあっても、心が支えられ、しっかりと前に向かっての生き方をすることができます。これからの時は、ますます信仰の戦いが大変になり、生きることが大変になります。だからこそ、しっかりと心で神様とつながり、イエス様が大変な人生を見事に勝利して生きられたように、わたしたちもイエス様の跡をたどり、イエス様から与えられる安らぎと信仰をしっかり持って歩んでいくことが神様から期待されています。