第7課 聴覚しょうがい者用:浦島智加男

2016年 第2期 マタイによる福音書

第7課 ユダヤ人と異邦人(いほうじん)の主(しゅ)

はじめに
 聖書の立場(たちば)から人類(じんるい)を分けると、大きく2種類です。創造主(そうぞうしゅ)である神を信じる人と信じない人です。創造主を信じる人の代表(だいひょう)がユダヤ人(現在ではクリスチャンも)、信じない人たちを異邦人(いほうじん)と呼びます。ユダヤ人は、神様がユダヤ人だけを愛して、救い、異邦人は救いの外(そと)にあると考えました。しかし、キリストがお出(い)でになってから、神様はユダヤ人も異邦人も等(ひと)しく愛されて、救いの対象(たいしょう)(相手(あいて))であることを示されました。
 そして、多くのユダヤ人たちは、信じませんでしたが、キリストはこの地上の人間の主であるだけではなく、宇宙全体の創造主であり、主であることも明(あき)らかにされました。
 今週は、キリストが「主」であるということは、どんな意味があり、どのようなことをなさる方(かた)であるかを学びます。

2.空腹(くうふく)な者たちへの給食(きゅうしょく) 5月8日(日)
 イエス様が、ガリラヤ湖畔(こはん)で説教なさるということが知れ渡(わた)って、それを聞きに集まった人が、男だけで5,000人いました。その頃(ころ)は、人数を記(しる)すのは大人の男だけを数えましたので、この5,000人に、おとなの女性や子供も加えて数えたとしたらその4倍の2万人はいたと考えられます。その中でお弁当を用意していたのは、子供でしたから、実際(じっさい)に子供もたくさん来ていたでしょう。
 話が長くなったのでしょうか、お昼(ひる)すぎになっても説教が終わらなかったので、皆空腹(くうふく)を覚(おぼ)えました。その頃(ころ)の食事は、主(おも)にパンとおかずは魚でした。主(しゅ)が、一人の子供のお弁当、パン5個と魚2匹を借りて、祈られると不思議な事が起こりました。
 イエス様の、手の中でそれがどんどん増えて行きました。弟子たちが、それを皆に配(くば)り2万人の人が、満腹(まんぷく)になっただけでなく、12の籠(かご)いっぱいに残るほどでした。
 この奇跡(きせき)は、キリストが地上のすべての人を毎日養(やしな)っておられる神であること、私たちが捧げるものは、イエス様の手に包(つつ)まれ祝福されると、ありあまるほどの糧(かて)となることなど多くの教訓(きょうくん)と共に、このような方を「主」と呼ぶのだと教えられました。

3.すべての被造物(ひぞうぶつ)の主  5月9日(月)
 食事の奇跡の後、群衆(ぐんしゅう)を解散(かいさん)されたのちに主は、弟子たちをガリラヤ湖から、舟でカファルナウムに帰るように命令され、自分は現地に残って祈っておられました。先に舟に乗っていた弟子たちは、途中(とちゅう)湖で嵐に遭(あ)い、必死(ひっし)に漕(こ)ぎましたが、今にも沈(しず)みそうになっていました。
 それを知ったイエス様は、水の上を歩いて弟子たちの舟に追いつかれました。夜も明(あ)けて明るくなったころ、水の上を歩いて近づいて来られる主が、幽霊(ゆうれい)かと思って「恐ろしさの余り叫(さけ)び声をあげた」と書いてあります。「安心しなさい。わたしだ」(マタイ14:27)と声をかけられました。この「わたしだ」という言葉はギリシャ語の「エゴーエイミ」の訳(やく)ですが、この言葉は、昔、モーセがホレブ山で出会った神様の名前を聞いた時「私の名はエゴーエイミ」と答えられた言葉と同じです。つまりイエス様は、天地を創造された神「ヤハウエ」そのものであると宣言(せんげん)されたのです。その時は、人間の姿をしておられましたが、天地万物を造り、支配しておられる創造主(そうぞうしゅ)であられます。

4.偽善者(ぎぜんしゃ)の心 5月10日(火)
 ここで言われている「偽善(ぎぜん)」というのは、心は清くなっていないのに、体を清めれば、あるいは修行(しゅぎょう)して、心が清(きよ)まったと勘違(かんちが)いしているあり方を指(さ)します。当時(とうじ)は、手を洗うこと、沐浴(もくよく)する〈髪、体を洗う〉こと、心は神様に従っていないのに、口先(くちさき)で神様を礼拝しているふりをすることなどがそれであると、主は言われます。日本でも、白装束(しろしょうぞく)で滝に打たれたり、危険な山に登る荒修行(あらしゅぎょう)などがありますが、イエス様は、そのようなことをしても心は清くされないと言われます。
 イエスは、ナタナエルと言う弟子を見たとき「見なさい。まことのイスラエル人(じん)だ。この人には偽(いつわ)りがない。」(ヨハネ1:47)と言われました。「彼らではなく、わたしたちこそ真(しん)の割礼(かつれい)を受けた者です。わたしたちは神の霊によって礼拝し、キリスト・イエスを誇(ほこ)りとし、肉に頼(たよ)らないからです。」(フィリピ 3:3)キリストを誇りとし、肉(人間の行い)を誇らないことこそ、偽りのないクリスチャンです。

5.食卓(しょくたく)から落ちるパンくず 5月11日(水)
 イエス様が外国のティルスと言う町で、娘が病気だから治(なお)して下さい、と必死(ひっし)に追いすがる一人のカナン人の女性と向き合われました。でも、イエス様は、救いや病気の癒(いや)しは、まず選民のイスラエル人に与えるもので、異邦人のあなたにそれを施(ほどこ)すわけにはいかないと、わざと冷たい態度(たいど)をよそおって、この女性の信仰を試(ため)されました。
 イスラエル人の豊かな食卓の下にいる子犬でも、そこから落ちるパンくずを拾って食べています、私も異邦人でメシアの救いの外に置かれている子犬のような存在(そんざい)ですが、私もそのおこぼれをいただきたいと、食(く)い下(さ)がります。イエス様は、彼女の謙遜(けんそん)さと、メシアの力を信じている信仰により、女性の悩(なや)みを解決されました。異邦人でも、メシアの偉大(いだい)さとその力を認め、信じる者は救われます。

6.異邦人(いほうじん)の主(しゅ) 5月12日(木曜日)
 日曜日の学びで見た、5,000人に給食された場面(ばめん)と似ていますが、今度は場所(ばしょ)が違います。前は、ガリラヤ湖の西岸(せいがん)だったのですが、この場所は、その反対側の東岸(とうがん)です。ここは、デカポリスという、外国人たちが多く住んでいました。同じような書き方をしていますが、良く見ると違いもあります。まず、集まった人たちが4,000人です。前はパン5個でしたがここでは7個です。残ったパンは7つの籠(かご)です。
 主の説教を聞きに来た人たちは、イエス様の弟子を除(のぞ)けば、ほとんどが異邦人です。イエス様は、ユダヤ人にも異邦人にも区別(くべつ)なく話し、行動(こうどう)されて、彼らも救いの対象(たいしょう)であることを示されました。