2016年第2期1~13課 話し合いのための質問

2016年 第2期 話し合いのための質問

第1課
話し合いのための質問
①今週触れたように、ヘロデは預言について大きな思い違いをしており、それが原因で、彼はとんでもないことをしてしまいました。預言に関する現代の誤解について考えてみてください。例えば、多くの人が次のようなことを信じています。「忠実なクリスチャンは密かに天に引き上げられ、あとに残された家族や友人は、どうしてその人たちが跡形もなく消えてしまったのだろうかといぶかしむだろう」。このような誤った預言の解釈を持つことの潜在的な危険性には、どのようなものがありますか。あるいは、エルサレムの神殿は再建され、地球史の最後の出来事の一つとして動物のいけにえが復活されるに違いないといった考えはどうでしょうか。預言に関するほかの誤解で、預言の正しい理解がいかに大切であるかということを私たちに印象づけるのに役立つものはありますか。
②しばしば多くの文化や社会において、あなたの両親がだれかということや、あなたがどの階級に生まれたのかということが、極めて重要視されます。これは、どの時代にも見られ、多くの場所に(現代でも)深く根づいている伝統です。このような世俗的考え方は、なぜ福音が支持するあらゆることに反するのでしょうか。また、「生まれ変わり」という考え方は、私たちやほかの人が、どの階級、どの社会組織に生まれたのかということに対する私たちの見方に、いかに影響を及ぼしますか。

第2課
話し合いのための質問
①私たちは、サタンがイエスを誘惑したさまざまな方法や、また、その都度いかにイエスがいずれの誘惑やその誘惑の背後にあった欺きに陥られなかったかを見ることができます。その際に、神の言葉がいかに中心となっていたのかにも注目してください。主御自身、今や「罪深い肉と同じ姿」(ロマ8:3)であられたイエスは、悪魔の誘惑に対する防御の手段として聖書をお用いになりました。もしイエス御自身がそうなさらなければならなかったのなら、このことは、聖書が私たちの生活の中で、とりわけ私たちが誘惑と戦う際に、いかに中心でなければならないかということについて、何を物語っていますか。私たちは誘惑との戦いの中で聖書を用いなければならないことを建前としては知っているかもしれませんが、実際に、私たちはどのようにしたらよいのでしょうか。私たちが直面する攻撃に耐えるのに役立つ聖書の用い方には、どのようなものがありますか。
②クリスチャンの特質として、なぜ謙遜は重要なのですか。私たちはどうしたら謙遜になり、また謙遜であり続けることができるのでしょうか。この重要な領域において私たちを助けるために、十字架はどんな役割を果たしていますか。

第3課
話し合いのための質問
①だれもが山上の説教の中に見いだされる原則に従っている世界に生きるというのは、どういう感じでしょうか。
②イエスは、家を建てた賢い人と愚かな人のたとえ話(マタ7:24~27)を、ガリラヤ湖の岸辺が見える場所でお語りになりました。乾季には、岸辺の岩や砂の外観の違いはわずかで、人は岩だと思って砂の上に家を建ててしまうことがありえました。しかし雨季がやって来ると、砂の土台が明らかになり、家は倒れてしまいました。イエスは、御自分の言葉を聞くけれども実践しない人たちを砂の土台になぞらえておられます。私たちの人生の嵐は、私たちの土台が岩の上のものか、砂の上のものか、どう明らかにするでしょうか。最悪の試練の中にあっても私たちを安定、堅固に保つ土台を、私たちはどうしたら手に入れることができますか。

第4課
話し合いのための質問
①上述のことを念頭に置きつつ、父親の埋葬に関してイエスが男にあのように言われたマタイの物語に立ち戻って、それを読み直してください。私たちが何をするにしても、(文字どおり、「全体」という意味での)全体像を心に留めておくことがいかに重要であるかについて、私たちはこの物語から何を学ぶべきですか。この像がどれくらい全体的なものであるかを理解するうえで、私たちの神学はいかに助けとなりますか。
②肉体的ないやしに対する神の御心は必ずしもわかりませんが、霊的ないやしに対する御心ならいつでもわかります。このことはあなたの祈りの生活に、どのような影響を及ぼすでしょうか。
③あなたにとって最も重要なものは何ですか。リストを作って、安息日学校のクラスに持って行きましょう。ほかの人の優先順位から、あなたは何を学ぶことができますか。私たちの優先順位は、私たち自身、私たちの世界観、神や他者に対する見方などについて、どんなことを教えていますか。もし無神論者のグループが同じことをするなら、そのリストはどのように異なるでしょうか。

第5課
話し合いのための質問
①私たちの周りに存在する物理的な実体で、私たちの感覚ではまったく捉えらえられないものには、どのようなものがありますか。このような現実は、私たちが見ることのできない勢力や力の存在に対して、私たちの心をいかに開いてくれますか。このような目に見えないものの存在を自覚することは、大争闘の現実を理解するうえで、いかに助けとなりますか。
②多くのクリスチャンは大争闘の世界観を信じないか、あるいはまったく知りません。彼らがそれを理解しない理由には、どのようなことがありえますか。彼らはどんな反対論をぶつけてくる可能性がありますか。あなたはそれらにどう答えますか。もしあなたがだれかに大争闘に関する聖書研究を授けるとしたら、どの聖句を用いるでしょうか。
③イエスが十字架で勝利されたあと、なぜ私たちはこれほど長く地上にとどまっているのかという疑問に、あなたはどう答えますか。死、復活、昇天のあと、イエスはなぜすぐ戻って来て悪魔をすっかり滅ぼされなかったのでしょうか。

第6課
話し合いのための質問
①「わたしが求めるのは憐みであって、いけにえではない」(マタ12:7)とイエスが言われたのは、どういう意味ですか。答えを練る際に、次の聖句も考えてみてください(マタ9:10~13、ホセ6:6、イザ1:11~17)。
②私たちが持っている聖書からの有力な証拠を考えるとき、なぜこれほど多くのクリスチャンが(イエスを愛する非常に忠実な多くの人たちでさえ)安息日を断固として拒否するのだと、あなたは思いますか。聖書からの証拠を示すことに加えて、このような人たちの心を安息日の真理にもっと開かせるために、私たちはどのようなことができるでしょうか。
③あなたはどのように安息日を守っていますか。安息日を順守することからもっと深く、豊かな経験を得るために、あなたはさらにどのようなことができますか。
④イエスは、「わたしの軛[ルビ:くびき]は負いやすく、わたしの荷は軽い」と(マタ11:30)言われました。次のように自問してみてください。「自分の荷を軽くし、くびきを負いやすくするために、私はどう協力できるのだろうか」。

第7課
話し合いのための質問
①マタイ16:1~12を読んでください。「ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種によく注意しなさい」(マタ16:6)とイエスが言われたとき、それはどういう意味だったとあなたは思いますか。最初、弟子たちは、イエスが文字どおりの「パン種」を意味されたのだと考えました。過越祭の間、ユダヤ人は注意深く酵母を取り除きました。それゆえに彼らは、イエスが酵母入りのパンを買わないよう、彼らに指導しているのだと思いました。しかし、イエスの心には、もっと深いものがありました。それは何でしたか。
②キリスト教が何よりもまず発するメッセージは、すべての人に対するキリストの愛です。何しろ、私たちは苦しみもがいている罪人だからです。不幸なことに、私たちが発するメッセージは、ときとして、裁き、傲慢、優越のメッセージに思えることがあります。イエスの導きに従いつつ、私たちは教会として、どうしたらあらゆる人に対する憐れみを、よりよく示すことができるでしょうか。

第8課
話し合いのための質問
①自分の意志を神にささげるというペトロのもがき苦しみは、私たちの苦しみでもあります。このようなもがき苦しみの象徴が、マラキ1章の中に見つかります。そこでは神がユダヤ人たちに、献[ルビ:ささ]げ物として最善の動物だけを携えて来るように求めておられます。「あなたたちが盗んできた動物、足の傷ついた動物、病気の動物などを献げ物として携えてきているのに、わたしはあなたたちの手からそれを快く受け入れうるだろうか、と主は言われる」(マラ1:13)。神はなぜ、私たちがどんな種類の献げ物を携えていくかということを気になさるのでしょうか。なぜなら、神は私たちに、私たちが最も頼り続けたいと思うものを神に委ねてほしい、と願っておられるからです。あなたの生活の中で、あなたが最も頼り続けているものは何でしょうか。どうしたらそれらのものを主に向かって手放せるでしょうか。
②神殿税に関わる問題をイエスがどう扱われたか、その仕方について考えてください。彼は問題を激化させるのではなく、鎮静化なさいました。私たちが巻き込まれるかもしれない日常的な争いに関して、このことは何を教えていますか。語るべきときと、黙るべきときとを、あなたはどうしたらわかりますか。

第9課
話し合いのための質問
①私たちを傷つける者をみな赦しなさいと、イエスは私たちに命じておられます。そこには私たちの家族も含まれます。あなたを傷つけたことのある身近な人について考えてみてください。あなたの傷は残っているかもしれませんが、赦すことができるようになるには、どうしたらよいのでしょうか。
②社会の価値と聖書の価値との衝突に関する日曜日の質問に、あなたは何と答えましたか。その答えを安息日学校のクラスで話し合ってください。私たちクリスチャンはこのような違いを、どのように克服すべきですか。
③子どものような謙遜さを持つことによる偉大さという考え方について、さらにじっくり考えてください。私たちクリスチャンにとって、これは何を意味しますか。
④アドベンチストである私たちは、神の律法、つまり十戒に従うこと(しかも正しく従うこと)の重要性を信じています。しかし金持ちの議員の物語は、たとえ神の律法に外面的に従うことがいかに重要であるとしても、なぜそれでは不十分なのかということについて、また、神の律法の順守だけでなく、真のキリスト教にはもっと多くのことが含まれるということについて、何を私たちに教えていますか。

第10課
話し合いのための質問
①死がどれほど決定的、かつ強力であるか、また、何千年にもわたる人間の努力がいかに無益であるかということについて、考えてみてください。私たちにできる精一杯のことは、ある程度私たちの死体を保存することぐらいで、それでは、エンジンが焼きついた車に新しい塗装を施しても二度と道路で走らないように、死を負かしたことにはなりません。ですから、死を克服するために神の御子の死と復活という強烈で劇的なことが必要とされたというのは、まったく不思議ではありません。私たちはこのことから、十字架が私たちの希望や私たちの信じるあらゆることの中心でなければならないということについて、何を学ぶべきでしょうか。
②イエスの義に覆われるということの意味を、さらにじっくり考えてみてください。この重要な概念を適切にバランスよく理解することで、私たちはいかに、安価な恵みや律法主義に陥ることから守られますか。また、そのような両極端を避けることは、なぜ極めて重要なのですか。

第11課
話し合いのための質問
①私たちアドベンチストは、明らかな遅延と思われるものにどう対応したらよいでしょうか。これまでの世代のアドベンチストは、イエスが彼らの生きている時代に戻って来られると信じていたのではないでしょうか。そして、私たちの多くも、私たちが生きている時代にそれを期待しているのではないでしょうか。その一方で、ある期間の間にイエスが戻って来られるのを期待することは、一種の日付の設定ではないでしょうか。再臨への対応において、私たちはいかに適正なバランスを見いだしたらよいのでしょうか。「悪い僕」の態度を避ける一方で、同時に、新聞のすべての見出しにこの世がすぐ終わるしるしを見る人々の態度を、どう避けたらよいでしょうか。再臨を待っている私たちの間における態度は、どのようなものであるべきでしょうか。
②再臨の様子に関するイエスの描写を読み直してください。それは、再臨について世間一般に知られている考えと、どう違いますか。この聖句はとても明瞭なのに、なぜ多くの人は聖書に反することを信じるのでしょうか。彼らは自分の見解を擁護するために、どんな論拠を持ち出しますか。私たちはいかに応じるべきですか。
③私たちはどうしたら遅延に耐えられるようになるでしょうか。聖書の登場人物で遅延に耐えたのはだれですか。私たちは彼らから何を学ぶことができますか。例えば、ヨセフ、アブラハム、サラ、カレブ、ヨシュアなどは、どうでしょうか。また、黙示録6:9、10は、遅延について何と記していますか。

第12課
話し合いのための質問
①C・S・ルイスは、「すべての回心の物語は、喜ばしい敗北の物語である」と書きました。これはどういう意味でしょうか。あなたは、「敗北」が何であるかを体験したことがありますか。何が敗北し、何が勝利するのでしょうか。
②ゲツセマネでのイエスの物語において、彼は、「できることなら」この杯を過ぎ去らせてください、と願っておられます。この言葉は、もし人類が救われるなら、御自分の命を諦めなければならないということ以外に、何を意味しているのでしょうか。なぜイエス(罪を担う方)の死が絶対に必要だったのですか。大争闘を踏まえるとき、神が罪の問題を解決する別の方法は、なぜありえなかったのでしょうか。

第13課
話し合いのための質問
① イエスが死んだ瞬間、古い契約に基づく神殿の垂れ幕は上から下まで裂け、新しい大祭司イエス・キリストによって執行される新しい契約が始まりました。「それで、兄弟たち、わたしたちは、イエスの血によって聖所に入れると確信しています。イエスは、垂れ幕、つまり、御自分の肉を通って、新しい生きた道をわたしたちのために開いてくださったのです。更に、わたしたちには神の家を支配する偉大な祭司がおられるのですから」(ヘブ10:19~21)。キリスト御自身が私たちの大祭司として現在働いておられるということを知って、あなたはどのように感じますか。
②マタイによる福音書は、非常に多くの主題や話題を扱っていました。そこでのイエスの提示のされ方について、特にどんなことがあなたの印象に残りましたか。この福音書を研究することは、クリスチャンであることの意味、イエスの教えに従うことの意味を理解するうえで、いかに助けとなりえますか。