第10課 聴覚しょうがい者用:武田将弥

2016年 第3期  地域社会における教会の役割

第10課 イエスは人々の信頼(しんらい)を勝ち取られた

1・『今週のテーマ』『信頼を勝ち取る(日)』
 世の中はインターネットが普及(ふきゅう)し、このお店(みせ)の評判(ひょうばん)はどうだろうか? とか、この商品は本当にオススメだろうか? とか、あの有名人はどういった評判なのだろうか? など、自分の知りたい様々(さまざま)な情報(じょうほう)が簡単(かんたん)に手に入る時代になりました。インターネットはとても便利で素晴らしい機能ですが、同時に気を付けなくてはならない点も多くあります。例(たと)えば変な噂(うわさ)が立ってしまったら、それを消すのにとても苦労する点などです。たしかに「火のないところに煙は立たない(噂が立つのは何か理由があるという意味)」という諺(ことわざ)がありますが、今は恐ろしい時代ですから、好き勝手に悪い噂を書き込む人もいるのです。
 人からの信頼というのは得られるまでに時間がかかりますが、失う時は一瞬(いっしゅん)です、びっくりするぐらい簡単に崩(くず)れてしまうものです。どうにかして人からの信頼を一生(いっしょう)保(たも)ち続けられないものだろうかと苦心しますが、残念ながらそれは出来ません。なぜならば聖書は「神様以外に、絶対の信頼を置けるものは、この世に1つもない」と教えているからです。たとえ家族や親友(しんゆう)であっても完璧(かんぺき)に信頼を置くことは出来ないのです。しかしだからと言って、信頼を築(きず)く努力をしなくても良いということではありません。「他人に親切にしてあげなさい」という、神の掟(おきて)があるからです。だからクリスチャンは見返(みかえ)りを期待(きたい)しないで、人々と接する必要があるのです。
 それと評判というのは、現代のインターネットであろうと、電気のない昔であろうと、結局(けっきょく)は人々の「言葉」によって伝えられるものです。入ってみたお店の料理が、自分の口に合わないこともあるでしょう。みんなが便利というから買ってみたけれど、自分には使いにくいと感じることもあるでしょう。でも自分と他人とは違って当(あ)たり前(まえ)なのです。たとえ自分が美味(おい)しくないと感じても、その料理を愛している人だっているのです。
 ですから我々クリスチャンは神様の掟(おきて)に従って、悪い噂(うわさ)(言葉)はなるべく使わないように心掛(こころが)けましょう。嫌(いや)な噂や悪い評判を立てられて嬉しい人は誰も居ないと思います。神様もそういう人間を嫌います。人の評判を下げる人は、同時に自分の評判も自分で下げているのです。神様を悲しませるのではなく、喜ばせる人になってこそ、恵みとして人々からの信頼も、そして何より神様からの信頼を得られるようになるでしょう。じつは神様との信頼関係を築(きず)くのが一番大事なことなのです。

2・『慎重(しんちょう)なバランス(月)』
 伸びている教会、成長している教会というのは、地域の人達に向かって奉仕をしているかがとても関係しているようです。イエス様も地上で活動された時、多くの人達が困っているのを察(さっ)して、一人ひとりの必要を満たしていきました。その小さな苦労と積み重ねが、口(くち)コミとなって評判となり、みんなの信頼を勝ち取られたのです。そしてイエス様は必ず感謝してくる人達や、周囲(しゅうい)に集まった人に向かって「天上(てんじょう)の父である神様」を指(さ)し示(しめ)すことを忘れませんでした。
 これは私達も絶対に見習(みなら)わなくてはならない点です。私達はイエス様と違って罪人なので、絶対に悪いところがある不完全(ふかんぜん)な存在です。だからせっかく信頼を得られた人達の注目(ちゅうもく)を自分に集めていたら、いつか自分が失敗した時にはガッカリされて、皆は去って行ってしまうでしょう。だから私達は必ず自分のところで止(や)めないで、神様の所に注目を向けてもらうことが大事です。
 また教会員のみんなが奉仕や目標に向かって一生懸命であれば、実は教会の中で起こる言い争いや揉(も)め事(ごと)はあまり出て来なくなります。言い換えると教会の中で頻繁(ひんぱん)に争いが出てくるということは、それだけ暇(ひま)な(十分に行動を起こしていない)教会とも言えるかもしれません。何にせよ神様の働きをお手伝いするために存在(そんざい)しているのに、その教会が何もしないでのんびりサボっているならば、それでは存在する意味が無いのです。

3・『社会資本(しゃかいしほん)(火)』『社会資本の価値(かち)(水)』
 困った人を助けたり地域の奉仕をしたりすることは、苦労するし大変で骨が折れると感じるかもしれません。しかしそういう姿を見ている人は必ずいるものです。その結果みなさんの評価(ひょうか)が上り、地域やその周辺(しゅうへん)の人々にとって、なくてはならない掛(か)け替(が)えのない存在(そんざい)となるのです。
 そして教会だけが1人で頑張(がんば)らないといけない決(き)まりはありません。もし可能(かのう)であれば教会と地域が一緒になって活動をすることは良いことです。人間は同じ経験を共有(きょうゆう)すると、心の距離(きょり)が近付(ちかづ)くものだからです。きっと良い関係が築(きず)けることでしょう。また神様のために働こうとしているならば、助けを祈り求めることです。そうすると神様は応援してくださいますから、地域の人達の心に働きかけてくださることでしょう。
 そして忘れてはいけないのは、もし自分の頑張(がんば)っているところを誰も見てくれていなかったり、一生懸命やっているのに正しく評価されなかったりしても、天の神様はしっかりと見ておられるということです。本当に大事なのは、この御方(おかた)に見ていただき、正しく判断(はんだん)してもらうという事が、実(じつ)は一番良いことなのです。
 
4・『民衆全体(みんしゅうぜんたい)からの好意(こうい)(木)』『さらなる考察(こうさつ)(金)』
 神様を信じるクリスチャンは、昔から数えきれない多くの祝福を受けてきました。それはもちろんイエス・キリストの福音です。罪を犯(おか)して滅(ほろ)びることになった人間は、主の十字架によって再び天国に入れる機会(きかい)をいただけたことや、天地創造や安息日を設(もう)けてしまうくらいに人間のことを愛しておられることなど、主が預言者や聖書を通して教えて下さらなかったら全(すべ)て分からなかったことです。
 その中にホワイト夫人を通して伝えられた健康のメッセージがあります。これは現代に与えられた希望の光です。なぜならば神様を知らない人達でも、健康に興味(きょうみ)のない人は殆(ほとん)どいないからです。誰もが健康は大事だと分かっているのです。そんなアドベンチストに、神様の教える生き方をすれば、身も心も健康に過ごせることを伝えられるのです。だからこの光(メッセージ)を使って世の中の人達と上手(うま)く付き合っていくキッカケに使わせていただけば良いのです。その為に与えてくれたと言っても良いかもしれません。 
 結果的(けっかてき)にみんながこの教えによって幸せになれるわけですから、神様としても望まれていることに繋(つな)がるわけです。キッカケは何でも良いと思います。大事なのは教会(あなた)が、他の人達と少しでも交わりをもっているかが問われているのです。祈りつつ何か実践(じっせん)してみましょう。