第12課 聴覚しょうがい者用:浦島智加男

2016年 第3期  地域社会における教会の役割

第12課 終末時代(しゅうまつじだい)の都市伝道(としでんどう)

1.今週のテーマ
 人間が都市(とし)(街(まち)・町)を作ることは、神様のみ心ではありませんでした。神の造られた美しい動植物、素敵(すてき)な環境(かんきょう)に包(つつ)まれて、神様を賛美しつつ過(す)ごして欲しいと願っておられました。街を作ったのは、弟を殺して良心を責められる暗い過去を人ごみの中に身を隠そうとしたカインでした。
 創世記(そうせいき)を読むと、殺人を犯(おか)した前科者(ぜんかもの)は、復讐(ふくしゅう)を免(まぬが)れるために「逃(のが)れの町」に逃げ込めば、死刑を免れることを知っています。カインは、自分の暗い過去をかくしてくれる雑踏(ざっとう)をつくり、自分の初めての子どもをエノク(はじまりという意味)と名付(なづ)け、過去を忘れて新しい生き方を求めたのです。彼は、生涯(しょうがい)をかけて子々孫々(ししそんそん)にわたって、町の人ごみをつくり、人口増加に励(はげ)みつづけたのです。
 町は、神様をすて、放浪者(ほうろうしゃ)となった神なき人類の建造物(けんぞうぶつ)であることを覚えておきましょう。
  信仰者たちは、田舎(いなか)に住み、一次産業(いちじさんぎょう)(農業・牧畜(ぼくちく)業・林業など)につき、自然を相手に神様の目に見える恵みを感じつつ、「落穂(おちぼ)ひろい」という有名な絵画(かいが)にみるように、常に神様のみ手のわざを見つつ感謝と祈りの生活でした。
 
2.都市の性質 9月11日(日曜日)
 カインから3代目には、イラデが生まれたと書いてあります。イラデは「イール(町)」ヘブル語から来ていると思われます。イラデとは「町の人・都会人」という意味です。カインが建て始めた「町」は、このころは相当(そうとう)発展(はってん)し、人口も増え、都会人(とかいじん)があふれてきました。ホワイトカラー族が街を占(し)めています。
 イラデの祖父(そふ)のカインは「わたしはあなたを離れて、地上の放浪者(ほうろうしゃ)とならねばなりません。わたしを見付(みつ)ける人はだれでもわたしを殺すでしょう」。(創世記4:14)と他人の目におびえたものですが、もう今では、私を見る者はわたしを殺しはしない、人間同士(どうし)関心も持たない、人間砂漠(にんげんさばく)は犯罪者の隠(かく)れみのになっています。もう神様の約束だの、保証だの、めぐみのしるしなどにすがる必要もなくなったのです。
 都会で生まれ育った人は、人工物(じんこうぶつ)に囲(かこ)まれて、稲や麦がどのように育ち食物を生み出しているかさえ知りません。子どたちは、夜空(よぞら)の星の神秘(しんぴ)や美しさに触(ふ)れることもなく、テレビやスマホンゲームにはまっています。都会の産業が生み出す経済的な金銭さえあれば、食べる物にも事欠(ことか)きません。「隣(となり)は何をする人ぞ」といって、住(す)まいが壁一つでつながっていても、互いに知りあうこともないのです。
 そのような、人間関係に希薄(きはく)(うすい)なところ、科学や文化に心を奪(うば)われ、人間とは、人生とは何かなどを問(と)うことなくそれらの人工物の追求(ついきゅう)と発展だけで一生を終るのです。
 そのような街に、大部分の信仰者たちも住み、都会の恩恵(おんけい)を受けつつ生活しています。教会も町に集中しています。都会に住む私達の伝道の使命は、この複雑(ふくざつ)な環境、人間関係をふまえてなさなければならないのです。

3.不満(ふまん)の声を聞く 9月12日 (月曜日)
 都会は、交通網(こうつうもう)や通信網(つうしんもう)が発達し、便利さを提供(ていきょう)します。人工的な光のはなやかさがあります。その華(はな)やかさの陰に、他の人との接触(せっしょく)、交わりを、つながりを求めています。携帯やスマホを用いて、ラインなどのアプリケーションンで、一度に多人数(たにんずう)と情報を交わすことできます。多くの学生たちが、人とのつながりを求めて利用しているようです。多くの人と何らかの情報を共有(きょうゆう)することによって、かろうじて人間性を保(たも)っているのです。
 そのつながりの欲求(よっきゅう)が、かえって人と人との断絶(だんぜつ)あるいは、死に追いやられることさえあります。先日も、そのラインに、一人の学生の対して、「死ね、おまえは消えろ」など攻撃(こうげき)てきな言葉が集中的(しゅうちゅうてき)に送られてきて、その少女は自殺に追い込まれる痛(いた)ましい事件がありました。
 そのような、マイナスの言葉が来ても、そのスマホを見なければいいと思いますが、若い人は人とのつながりがほしいために、スマホ中毒と言われるほどこれに頼っています。
 イエス様は、大勢の人が集まったとき、誰にも共通(きょうつう)の真理のみ言葉を語られましたが、多くの場合は、ひとりひとりに個人的にお会いになって、その人の願っているもの、必要を知られて対応(たいおう)されました。都会の中だからこそ、人間関係の希薄(きはく)な中で、知人、友人の個人的な関係の中で伝道する機会も生まれてきます。

4.都市における種まきと収穫 9月13日(火曜日)
 種蒔(たねま)きをして、植物が実って収穫(しゅうかく)するには、土壌(どじょう)作りが大切であるとガイドに説明されています。都会の良さもあります。大勢の人が集まりやすい点です。良く準備すれば伝道集会をひらいて、一度に大勢の人に効果的(こうかてき)に福音を伝えることができます。
 都会は、通信の手段も発達していますから、インターネットなど利用しての伝道も考えられてすでに実施(じっし)されています。しかし、ガイドにあるように、大衆にむけての伝道には、その後のケアが大事です。最後は、個人的な関(かか)わり合いが大切です。

5.個人的なものにする 9月14日 (水曜日)
 大都市にある教会は、会堂もそこに集まる人数も多くなり、教会にせっかく出席しても、礼拝が終わると蜘蛛(くも)の子を散らすように、さっさと散会(さんかい)してしまいます。教会役員の方々は、教会に残って、話し合いや会合をもって親しくなることもありますが、いわゆるお客様信徒は、深い教会員との交わりの体験なしの信仰生活になります。
 提案(ていあん)されているように、小グループなど個人的な接触(せっしょく)・交わりが出来る機会を通して教会員どうしがしんみつになり、イエス様との関係が深くなる工夫(くふう)をしなければならないと思います。そこに、求道者も入ってもらえば、福音が生活のなかに定着(ていちゃく)していくのに役立ちます。
 
6.都会の人々に手を差し伸べる 9月15日(木曜日)
 SDAの大部分の教会は、久慈川教会や地方の集会所を除いては、小都市や大都市にあります。ですから、ガイドのタイトルのように都市の人々に対する伝道と言うことを意識的(いしきてき)にしなくても、伝道の対象(たいしょう)はほとんどが都市の人々に対するものです。
 日本の場合、逆に地方の田舎の人々にどのように、福音伝道の道を開くか、実施すべきかを考えるべきではないでしょうか。