第13課 柳 鍾鉉

2016年 第3期 地域社会における教会の役割

第13課 私たちはどのように待てばよいのか

はじめに
今期、私たちは教会が地域社会にあって魂を救うメッセージを伝えるためにどのような関わりを持つべきかについて学んで来ました。それはイエスが話された「地の塩・世の光」としての役割を教会が地域社会の中で担う事です。従って、最も大切なテーマは 、もうすぐ帰って来られる主イエスを教会がどのように迎えるかなのです。何もしないでただ待つ事ではありません。ですから、私たちにとって重要な問題は、待つ間に何をしているか、ということです。その答えに、人々の運命がかかっています(カイドP88)。

日曜日 イエスを待つ間に
マタイ24:36〜25:46を読んでください。人の子が来るのは、ノアの時と同じであって、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、人々は食べたり、飲んだり、めとったり嫁いだりして霊的なことに無関心無頓着で何も気が付きませんでした(マタイ24:37〜39)。イエスは終末時代に生きている教会の状態をノアの時代に例えて話されました。預言の民として私たちはそれに対して霊的な準備が必要です。私たちはいかにイエスのご再臨を待つべきでしょうか(カイドP89)。「目を覚ましていなさい」とはどういう意味かを考えましょう。

月曜日 待つ間のリバイバルと改革
Ⅱペトロ3章を読んでください。使徒ペトロは世の終末時代に欲望の赴くままに生活して主の再臨の約束に対してあざける人々が現れることを警告しながら、主のご再臨の遅延の理由についても説明しています。「一人も滅びないで皆が悔い改めるように」(Ⅱペトロ3:9)。教会はこの尊い主の御心を遂行するために一人一人が後の雨を祈り求め聖霊に満たされる必要があります。教会はリバイバルと改革を経験して一人でも多くの人々を主の再臨に備えさせる尊い使命を担っているのです。「真の敬虔が私たちのうちに回復されることは、すべての必要の中で最大の、最も急を要するものです。これを求めることが、私たちの第一にしなければならないことです」(『セレクテッド・メッセージ1』P157)。

火曜日 待つ間の教会の使命
ヤコブ2:14〜26を読んでください。使徒ヤコブは 行いが伴っていない霊的に死んでいる信仰を持っている教会を辛辣に批判しながら行いの伴う信仰を持っている教会が主の御心を行うことの大切さについて強く訴えています。また、神は終末時代にあって黙示録14:6〜12の三天使のメッセージを全世界に宣べ伝えるためにアドベンチスト教会を先駆者として選び立ててくださいました。このような理由でアドンチスト教会の使命はマラキ書4:4〜6(口語訳)、3:22〜24(新共同訳)に書かれている預言者エリヤの回復への働きへと繋がります。私たちはこの世界に神の御心を正しく伝える使命があります。

水曜日 待つ間に最後の収穫に備える
ヨハネ4:35〜38を読んでください。「刈り入れまでまだ四か月もある」と「色づいて刈り入れを待っている」という異なった二つの表現がありますが、それは弟子たちの見方とイエスの見方が正反対であることを示しています。魂の収穫において私たちが見る所とイエスが見る所が違っていて、従って、その収穫の時期が異なることが分かります。霊的ではない人間的な憶測や判断で収穫されるべき魂が収穫されずに色づいて待っているのではないかを考えてみましょう。『まだ』ではなくて『既に』という霊的な信仰の目で刈り入れの喜びに参加していただきたいものです。

木曜日 待つことは終わった
黙示録21:1〜4を読んでください。ここで描写されている世界は罪のない新しい天と地です。即ち、神がイエス・キリストを通して私たちに与えようと約束された世界です。罪のある古い世界での善と悪の戦いは終わり、まるで花嫁が花婿のために着飾ったような美しい姿へと回復された世界です。「最も微細な原子から最大の世界に至るまで、万物は、生物も無生物も、かげりのない美しさと完全な喜びをもって、神は愛であると告げる」(『希望への光』1930ページ)。愛する我らの救い主に会うために待っている時間が退屈ではなく喜びであるように祈ります。もうすぐ主は天から帰って来られます。