第2課 安河内アキラ

2016年 第3期 地域社会における教会の役割

第2課 支配権の回復

今週の聖句 創世記1:26、27、申命記6:5、創世記3:8~19、ヤコブ4:4、ガラテヤ4:19、マルコ2:1~12、ヨハネ10:10

今週の聖句 創世記1:26~28、創世記2:15、ローマ8:20~22、出エジプト記20:1~17、ローマ1:25、Ⅱテサロニケ3:10

今週の研究  人類は罪に堕ちたあと、「支配権」を含む多くのものを失いました。失われたこの支配権とは、どのようなものだったのでしょうか。「支配権」という考えは、今日しばしば否定的な意味合いを持っていますが、エデンにおいてはまったくそうではありませんでした。地球に対する支配権が人間に最初に与えられたとき、その支配権とは何を意味したのでしょうか。私たちの最初の両親がエデンでの悲劇的な堕罪のあとに失ったものをいくらかでも取り戻すために、教会はどのように人々を助けることができるでしょうか。

月曜日:私たちは創世記2:15の中に、この支配という概念のもう一つの側面を見いだします。その聖句では、神がアダムを園に住まわせ、そこを耕し(ヘブライ語で「アバド」―働く、仕える、耕す)、守る(ヘブライ語で「シャマール」―制限を設ける、見張る、注意を払う、注意して見る、監視する、保護する、注視する)ようにさせておられます。
 このことを心に留めるなら、支配というのは、思いやりと愛情をもって世話すること、管理することなのだとわかります。神との関係において、私たちの最初の両親は、彼らの支配権を行使するのに必要な資源と権威とをすべて持つことになっていました。そしてそれは、御自分の被造物に対する神の愛を反映していたのでしょう。

水曜日:罪を犯す前、アダムとエバは、神が2人に託されたあらゆるものの管理を委任されていました。彼らは植物や動物を支配しました。しかし罪を犯したあと、彼らが神に反逆したのと同じくらいに、自然界のすべてが彼らに歯向かったかのようでした。人間は自然の厳しさ(気候、農業、動物界)を前にして、自分たちが無力であると自覚し始めました。
 生態環境というのは、とりわけ地球の開発が激しい苦痛を人々にもたらしうる時代にあって、道徳的、倫理的、神学的な問題です。「セブンスデー・アドベンチスト教会は、質素で健全な生活様式を提唱し、抑制のない消費主義や商品購入、廃棄物の産出に加担しない。私たちは被造物を尊重し、世界の資源の使用を抑制、人間の必要を再評価し、創造された命の尊厳を再確認するように求める」(『環境に関するアドベンチスト教会の公式声明』〈1995年、英文〉より)。

木曜日:状況はそれぞれ異なり、必要も違いますが、私たちは地域社会における光、また、いやしと希望の源になるよう、神から召されました。これは、私たちが愛情深い救いの神をこの世にあかしする者であることの不可欠な部分です。私たちは、困窮している人々にとっての灯台、希望の光となるためにできることを、主の力によってすべてやる必要があります。クリスチャンとして、私たちは手を抜けません。この奉仕の役割を果たすとき、私たちは、神がどのような方なのかを彼らが学ぶ手助けをしています。さらに、彼らの身体的な必要を助けることで、私たちは、彼らの心が聖霊に触れられるための下準備もしています。これがイエスのなさったことであり、これが、私たちもするようにと召されていることです。

 天地創造された直後の地球はどんな場所だったのでしょう。創世記には創造の第六日目を終えて神さまが「極めて良かった」と語られています。(創世記1:31)それはどんな状態だったのでしょうか? 神さまが極めて良いと言われるのですから、すばらしかったのでしょうね。
 人類のあけぼのに、ノアの洪水後に箱舟から出た一同は、地球の変動ぶりに落胆した様子が書かれています。洪水直後なので緑も少なかったこともあるでしょうが、自然の様相が、全く異なっていたのでしょう。水曜日の学びで「しかし罪を犯したあと、彼らが神に反逆したのと同じくらいに、自然界のすべてが彼らに歯向かったかのようでした」と書かれています。罪を犯す前と後では、自然界も異なっていったのでしょう。それでもノアの洪水以前は以後よりも、自然界に最初の様相が残っていたのではないでしょうか。
 イザヤ書には天国の情景が「乳飲み子は毒蛇と戯れ……狼は小羊と共に草をはみ、獅子は牛のようにわらを食べ…」(イザヤ11:8、65:26)とあります。聖書に書かれているので、そのとおりだとは思っていますが、肉食獣が草食に、どうなって行くのでしょうね。
 いつもではありませんが、しばしば自然界がわたしたちに牙を向いて来るように感じる時があります。そのような時に、人間の無力を感じます。天国での情景、それは自然界が決してわたしたちを襲って来ない、互いに調和している情景なのでしょうね。それはわたしたちが想像しているよりもはるかにすばらしいものなのでしょう。