第2課 朴 哲漢

2016年 第3期 地域社会における教会の役割

第2課 支配権の回復

はじめに
 サタンはアダムに当初与えられた地球に対するその支配権を奪いました。しかしキリストは、罪の代償を支払う御自身という犠牲によって人間を購うだけでなく、人間が失った支配権をも回復しようとなさいました。「支配権」という考えは、今日しばしば否定的な意味合いを持っていますが、エデンにおいてはまったくそうではありませんでした。人間に最初に与えられたとき、その支配権とは何を意味したのでしょうか?

日曜日 支配するために造られる
最初の夫婦、アダムとエバには地上の造られたものたちを育て、世話し、管理することを託されました。宇宙の君である神様から地球という惑星を任されたのがアダムとエバでした。私の親には3人の子どもが託されました。二人の姉たちにはそれぞれ子どもたちが託され、妻と私にも子どもたちが託されました。親に我が子の支配権(?)がありますでしょうか?子どもに対する責任、仕えるアガペー的愛(自己犠牲の愛)、それがアダムとエバに最初に与えられた「地球の支配権」でした。「人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである」(マタイ20:28)

月曜日 支配する特権
 創世記1:28「従わせよ」という言葉はヘブライ語の「カバシュ」に由来する「従わせる」という動詞からきました。ここで地球を従わせるということは、神のかたちに造られた罪のない夫婦が地球を管理するということ、創造主に代わって被造物に善意で奉仕することだと見なすことしかできません。これは決して搾取などではありません。創世記2:15を読んでみると支配というのは、思いやりと愛情をもって世話すること、管理することだとわかります。すなわち、被造物に対する神の愛を反映することです。

火曜日 境界線
 聖書の歴史は、(「管理」とも理解される)支配には境界線がなければならないことを示しています。エデンの園では「善悪を知る木からは取って食べてはならない。」(創2:17)という境界線がありました。アダムとエバはその境界線を踏み越えてしまいました。その結果、支配権(管理の任務)をサタンに奪われ、サタンは「この世の支配者」(ヨハ12:31)になりました。しかし、サタンが支配するゆがんだ支配、圧制の下でも暗闇の中で輝く星のような神様の子どもたちは境界線を見極めて過ごします。その境界線とは不文律である良心(ローマ2:14、15)と成文律である十戒(出エジプト20:1〜17)です。

水曜日 地球の世話
 「人間よりも下級な被造物の中にあって、アダムは王としての立場にあった。彼が神に忠誠心を保っていた間は、自然界の万物は、彼の統治に従っていた。しかし彼が神の戒めにそむいたときに、この統治権は失われた。アダム自身によってこの世界にもたらされた反抗心は、動物界にまでひろがった。このようにして、人の生命だけでなく、獣の性質、森の木々、野の草、人の呼吸する空気までも、悪の知識について、悲しい教訓を告げるようになった。」(教育18ページ)

木曜日 「支配権」の回復
 私たち人間は堕落によって、エデンで最初の両親に特権として与えられた支配権を含む多くのものを失いました。キリストがおいでになったのは、私たちが失ったものを私たちに取り戻すためでした。状況はそれぞれ異なり、必要も違いますが、私たちは地域社会における光、またいやしと希望の源になるよう、神から召されました。私たちは、困窮している人々にとっての灯台、希望の光となるためにできることを、主の力によってすべてやる必要があります。さらに、彼らの身体的必要を助けることで、彼らの心が聖霊に触れられるための下準備をすることです。