第3課 聴覚しょうがい者用:武田将弥

2016年 第3期  地域社会における教会の役割

第3課 旧約聖書における正義(せいぎ)と憐(あわ)れみ(その1)

1・『今週のテーマ』
 「虐(しいた)げられている人のために裁(さば)きをし、飢(う)えている人にパンをお与えになる。主は捕(とら)われ人(びと)を解(と)き放(はな)ち、主は見えない人の目を開き、主はうずくまっている人を起こされる。主は従う人を愛し、主は寄留(きりゅう)の民を守り、みなしごとやもめを励(はげ)まされる。しかし主は、逆(さか)らう者の道をくつがえされる。(詩編146:7~9)」
 この詩編の言葉は、イエス様がこの地上に来られる前に書かれたものですが、御存知(ごぞんじ)のとおりイエス様はこの預言(よげん)通(どお)りのお人柄(ひとがら)であり、実際(じっさい)にこの聖句(せいく)の通りに人生(じんせい)を渡られました。有難いことに私達には新約聖書の「福音書(ふくいんしょ)」が与えられています。そこには旧約聖書よりも分かりやすくイエス様が描(えが)かれていますが、今週の暗唱聖句(あんしょうせいく)からも分かるように、旧約聖書からも主のことを知ることは十分(じゅうぶん)に出来るのです。
 ところで聖書では、教会や主(しゅ)を待ち望む人達(ひとたち)のことを「女」とか「花嫁(はなよめ)」と表現(ひょうげん)していますが、これは実(じつ)に的(まと)を射(い)た表現(ひょうげん)で、もしも我々がイエス様と夫婦(家族)であるならば、旦那様(だんなさま)であるイエス・キリストと協力(きょうりょく)し、一緒(いっしょ)の気持で行動(こうどう)するはずです。今週の勉強を通して、今までよりも深くイエス様のご品性(ひんせい)を学び、クリスチャンの生き方や教会の在(あ)り方(かた)を考えていきます。

2・『正義(せいぎ)と憐(あわ)れみ-神の民の特徴(とくちょう)(日)』『普遍的(ふへんてき)な関心(かんしん)(月)』
 最初(さいしょ)の頃(ころ)から神様は、選(えら)び出したイスラエルの民に対して、世界中(せかいじゅう)のみんなにクリスチャンとしての振(ふ)る舞(ま)いをしてほしいと望(のぞ)まれました。要(よう)するに神様は、人間たちに自分に似(に)た者となって、正義と愛に溢(あふ)れた者達(たち)になってほしいと望まれたのです。これは今も昔も変わらない、神様が私達にずっと望(のぞ)んでおられることです。それによってまだ神様のことを詳(くわ)しく知らない人が、クリスチャンと交(まじ)わることによって(この人達は、ただの良(よ)い人とは少し違うな…どうしてこの人達はこのような考えや、生(い)き方(かた)をしているのだろう?)と不思議(ふしぎ)に感じるはずです。そこでイエス・キリストを紹介(しょうかい)(伝道)する絶好(ぜっこう)のチャンスが訪(おとず)れるわけです。その時に私達が人や社会に対しての接(せっ)し方に気(き)を配(くば)っているのは、イエス様がそう望まれているからだと理由を説明できるわけです。
 旧約聖書(きゅうやくせいしょ)を見てみると、出エジプトを果(は)たしたイスラエルの民に向(む)かって、神様が生き方について色々と指示(しじ)をされました。その一部(いちぶ)を確認(かくにん)してみましょう。
・外国人や未亡人(みぼうじん)、孤児(こじ)など立場(たちば)の弱い人を大切にしてあげなさい(出22:21~23)
・畑(はたけ)を全(すべ)て収穫(しゅうかく)し尽(つ)くさないで貧(まず)しい人のために少し残してあげなさい(レビ19:10)
・相手(あいて)が貧しい人でも軽(かる)く見ず、大切な存在(そんざい)として向(む)き合(あ)ってあげなさい(箴言29:7)
…などです。如何(いかが)でしょうか、この命令を出しているお方は、非常に親切で弱い人を助けようとされる性格(せいかく)をしていると感じませんか? そうです、イスラエルの民に向かってこの命令を出したお方はイエス・キリストご自身(じしん)なのです。
 そして主の願(ねが)いは、一部(いちぶ)の人だけに祝福と神様に出会(であ)う幸(しあわ)せが与えられるのではなく、一人漏(も)れなく全世界(ぜんせかい)の人間に行き渡ることなのです。いま私達はイエス様の十字架での苦しみと引(ひ)き換(か)えに、天の国へと入(はい)れるチャンスをいただきました。その感謝の御礼の印(しるし)として、私達は神様の証(あか)し人(びと)として生きることを求められているのです。
 気を付(つ)けなくてはいけないのは、神様はしっかりと見ておられるということです。だから誰(だれ)も見て居(い)ないと思ってズルいことをすると、大恩人(だいおんじん)であるイエス様と天の父を悲(かな)しませることになるので絶対(ぜったい)に気を付けましょう。

3・『預言(よげん)の声(こえ)(その1)(火)』『預言の声(その2)(水)』
 「あなたの口を開(ひら)いて弁護(べんご)せよ、ものを言(い)えない人を、犠牲(ぎせい)になっている人の訴(うった)えを。あなたの口を開(ひら)いて正しく裁(さば)け、貧(まず)しく乏(とぼ)しい人の訴(うった)えを。(箴言(しんげん)31:8~9)」
 この聖句(せいく)は私達に「弱く困(こま)っている人を、あなたが守ってあげなさい。」と呼(よ)び掛(か)けておられます。神様はまさにこういう性格(せいかく)のお方で、困っている人を放(ほう)っておけないヒーローであり、いつも弱い者の味方(みかた)なのです。だから我々(われわれ)にも自分と同じように振(ふ)る舞(ま)うことを求(もと)められています。他人(たにん)を助けるという献身(けんしん)の行為(こうい)は、実(じつ)は礼拝(れいはい)に匹敵(ひってき)するほど大事(だいじ)なことなのです。たとえ神様を一生懸命(いっしょうけんめい)に礼拝したとしても、神様が喜ぶことをしないでいるならば、それは「片手落(かたてお)ち(片方(かたほう)に対する配慮(はいりょ)・バランスが欠(か)けていること)」であると主は言われます。
 イエス様はこう言われました。「『心を尽(つ)くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最(もっと)も重要(じゅうよう)な第一の掟(おきて)である。第二も、これと同じように重要である。『隣人(りんじん)を自分のように愛しなさい。』(マタイ22:37~39 )」と。他人(たにん)を大事にしながら一生懸命に神様を礼拝する、これが神様の求めておられるクリスチャンの生き方なのです。
 ところで人によっては「他人を助けると自分は損(そん)するのではないか?」という疑問(ぎもん)が出るかもしれませんが、実(じつ)はその心配(しんぱい)はいらないのです。なぜなら支(ささ)える者と支えられる者の両方(りょうほう)を、神様は祝福(しゅくふく)を授(さず)けてくださる約束ですが、これは事実(じじつ)なのです。「大きな災害(さいがい)で困(こま)っている人達(ひとたち)をボランティアで励(はげ)ましに行ったのに、逆(ぎゃく)にこちらが励まされて元気をもらって帰ってきました。」というような話を、テレビのニュースなどで見たことがあるのではないでしょうか? 2011年の東北大震災の時に、私自身(じしん)も数ヶ月だけ福島県へボランティアに行きましたが、やはり多くの人と同じような経験をさせてもらいました。神は祝福する者を祝福されるのです。

4・『善(ぜん)のための力(木)』『さらなる研究(金)』
 私達は幸運(こううん)にも神様と出会(であ)い、真理(しんり)を勉強する機会(きかい)が与えられました。しかし伝道(でんどう)が大事(だいじ)なことだと、勉強して分かっているのに、なかなか実行(じっこう)に移(うつ)せない事が多いのではないでしょうか。分かっていても出来ないのが、罪と終わりの時代の特徴(とくちょう)なのです。しかし勇気(ゆうき)と信仰(しんこう)は神様から出るものです。ですから主に祈り求めることによって実行が可能(かのう)となります。結局(けっきょく)はキリストの方法だけだということです。これが出来た時に教会とその信徒は、神様から力をもらって想像(そうぞう)もつかない程(ほど)の影響力(えいきょうりょく)を発揮(はっき)することが出来るのです。だから(自分にはそれが出来るだろうか?)とか(伝道する機会(きかい)が与えられるだろうか?)などと余計(よけい)な心配をする必要はありません。神は自由自在(じざい)だからその程度(ていど)のことは問題ではないからです。だから我々はいつでも奉仕が出来るように、常日頃(つねひごろ)から様々(さまざま)なことに祈りながら備(そな)えておきましょう。イエス様はハッキリと確信(かくしん)をもってこう断言(だんげん)されました。「人にはできない事も、神にはできる(ルカ18:27)」と。