第4課 安河内アキラ

2016年 第3期 地域社会における教会の役割

第4課 旧約聖書における正義と憐れみ(その2)

今週の聖句 エゼキエル37:1~14、エフェソ2:10、エゼキエル47:1~8、マタイ5:16、黙示録22:1、2、イザヤ61章

今週の研究  今週の研究は、神の慈愛の御品性をこの世にあらわしなさい、と神の民に呼びかける旧約聖書の声に耳を傾け続けます。

日曜日: エフェソ2:10を読んでください。
 「私たちが神に受け入れられるのは、間違いなく神の愛する御子によってのみであり、善い業は罪を赦す神の愛の働きの結果にすぎない。それは私たちの功績ではない。私たちは、自分の善い業が、救いにおける役割の一部を果たしたと言うことは全くできない。救いは信じる者への神の無償の賜物であり、キリストのためだけに与えられる。悩める魂はキリストを信じる信仰によって平安を見いだし、その平安は彼の信仰と信頼に比例するだろう。彼は自分の魂の救いを求めるための嘆願として、彼の善い業を提示することはできない。しかし、善い業には本当に価値がないのだろうか。罰を受けることなく毎日罪を犯している罪人は、キリストへの信仰によって誠実に働こうとしている者たちと同等の好意をもって神から見られているのだろうか。聖書には、『わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです』と書かれている。
 主は聖なる御計画のうちに、身に余るその好意を通して、善い業が報われるようにお定めになった。私たちはキリストの功績によってのみ受け入れられるのであり、私たちがなす憐れみの行為や慈善は、信仰の実である」(『セレクテッド・メッセージ』第3巻、199、200ページ)。

火曜日:エゼキエル47:12と黙示録22:1、2を読んでください。いつの日か、(教会員の無我の働きを通して神によっていやされ、生き返らされた近隣の人々を含む)神の民は新しい地に行きますが、そこには神の玉座から流れ出ている別の川があります。砂漠や乾燥地帯や死は、そこにないでしょう。
 そのような喜ばしい現実を私たちが待つ間、神は、御自分の教会がいやしと豊かな命を地域社会へ流し出す場所であってほしい、と願っておられます。神は私たちを通して、私たちの領域における荒れ野、窪地、死海を再生し、変えるために働きたい、イエスにある豊かな命を与えたい(ヨハ10:10)、と願っておられます。要するに、それが全体的なアドベンチストのメッセージです。

金曜日:神は私たち(神によって救われ、キリストの恵みによって覆われている民)に、何を探し求めておられるのでしょうか。その答えは、他者や神との私たちの関わり方の中に示されます。
 第一に、私たちは「正義を行」うために存在しています。今期の主題が、しばしば不公正の犠牲者である人々をいかに助けられるかということである点を考えるなら、この第一の点は極めて適切です。
 第二に、私たちは「慈しみを愛」するために存在しています。私たちは、時折とても無慈悲になりうる世界に生きています。私たちが慈しみを愛し、私たちの生活の中で他者を憐れむことによってその愛を示すならば、私たちはなんと力強いあかし人になれるでしょうか。
 第三に、私たちは「へりくだって神と共に歩」むために存在しています。ミカ6:4で、神の前にへりくだり、忠実であるべき理由として、主がエジプトからの解放に言及しておられるのであれば、イエスの血によって贖われた私たちには、そのことがさらにどれほど当てはまるでしょうか。十字架の事実と、私たちを贖うために必要とされた代償とが、神の前にいつも私たちをへりくだらせ続けるでしょう。

 神さまのみこころは、いつの時代も一人でも多くの人が、神さまの救いを受け入れることです。そしてその光はわたしたちを通して語ろうとしています。パウロは「ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。」(コリント第二4:7参照)わたしたちを土の器と表わし、高価ではないものとしています。けれども大切なのは、その器の中に入れられた恵みなのです。この恵みをわたしたちが伝えるよう望んでいらっしゃいます。
 今週の学びである旧約聖書の時代は、マスコミやインターネットなどは無く、聖書を一人ひとりが持っていません。だからこそ、神さまは救われたわたしたちを通して、恵みが多くの人に伝わって行くように働かれています。たとえばアブラハムをカナンの地へ導かれました。外国人であった彼が祝福されるのを見て、その背後に働かれている神さまがあかしされる機会となりました。そしてカナンの地は交通の要衝だったので、それが世界中に伝わって行ったのです。
 人が人を導く、これは今日でも最も有効な伝道方法なのは今でも変わりません。神さまのみこころも変わっていません。わたしたちが恵みの通路として、置かれた場所でどのような働きができるでしょうか。今期の学びで深めてください。