第4課 朴 哲漢

2016年 第3期 地域社会における教会の役割

第4課 旧約聖書における正義と憐れみ(その2)

はじめに
 神様は暗闇の中で絶望的状況の中にある人々に、ご自分の子ら、真の教会を通して光・希望をお与えになります。今週の研究は、神の慈愛の御品性をこの世にあらわしなさい、と神の民に呼びかける旧約聖書の声に耳を傾け続けます。

日曜日 キリストにあって生きる
 私たちが神に受け入れられるのは、間違いなく神の愛する御子によってのみであり、善い業は罪を赦す神の愛の働きの結果に過ぎない。それは私たちの功績ではない。私たちは、自分の善い業が、救いにおける役割の一部を果たしたと言うことは全くできない。救いは信じる者への神の無償の賜物であり、キリストのためだけに与えられる。私たちはキリストの功績によってのみ受け入れられるのであり、私たちがなす憐れみの行為や慈善は信仰の実である。

月曜日 流れる川
 最初は小さくても、神殿から流れ出る川は勢いと影響力を増し、「水は増えて、泳がなければ渡ることのできない川になった。」(エゼ47:5)あなたの教会のいやしの影響力は、最初は小さいかもしれませんが、あなたの地域社会を変えるまでに大きくなりえます。「私たちの働きは、初期の段階には小さな、とても小さな川として私に示されました」(「教会への証」第7巻、171ページ 英文)

火曜日 教会 — 命の源
 いつの日か、神の民は新しい地に行きますが、そこには神の玉座から流れ出ている別の川があります。砂漠や乾燥地帯や死は、そこにないでしょう。そのような喜ばしい現実を私たちが待つ間、神は、ご自分の教会がいやしと豊かな命を地域社会へ流し出す場所であってほしい、と願っておられます。神は私たちを通して、私たちの領域における荒れ野、窪地、死海を再生し、変えるために働きたい、イエスにある豊かな命を与えたい(ヨハネ
10:10)と願っておられます。

水曜日 ヨベルの年の約束
 7の倍数の年は安息の年(7年毎)で、これを7回迎えて(49年)、その翌年50年目がヨベルの年です。出エジプトしてカナンに着き、イスラエルのすべての民(レビ族を除く)に分け与えられた土地(ヨシュア記13〜19章)をなんらかの理由で失ったとしても、ヨベルの年になると元の主人に戻されます。このサイクルは50年毎に繰り返されたので、もし親が怠けて貧しい生活、借金、奴隷になったとしても子どもまでには続きませんでした。子どもたちは再出発できる、貧富の格差がエスカレートしない素晴らしい制度でした。という意味で、このヨベルの年はヨハネの黙示録21、22章の天国での生活を象徴します。各教会は経済的に貧しい人々はもちろん、心の貧しい人々(マタイ5:3)を探し出し、ヨベルの年の思想である、すべての束縛から自由になれる神の国を紹介しましょう。

木曜日 教会 — 変化をもたらす主体
 私たちの宗教的形式は、それ自体が目的ではありません。それは目的への手段であり、その目的は、私たちの中にあらわされるキリストです。一つの小さな教会が実際に役立つ形でイエスの愛を熱心に実践し、それが地域社会を変えられます。