第6課 安河内アキラ

2016年 第3期 地域社会における教会の役割

第6課 イエスは人々と交わられた

今週の聖句 マタイ1:22、23、ヨハネ1:14、ルカ15:3~24、マタイ9:10~13、詩編51:18〔口語訳51:17〕、Ⅰヨハネ2:16、フィリピ2:13~15

今週の研究  キリスト教は、だれかのために「イエス」になるということでしょう。ここからの数課は、イエスの伝道方法と、イエスの教会が彼の伝道をどのように実行できるかという側面に焦点を合わせます。
 今週の研究は、イエスの方法の第一段階に焦点を合わせ、第7課から第11課では、ほかの段階に焦点を合わせます。

火曜日:私たちはここでもまた、旧約聖書の時代に起こっていたのと同じ問題を見ます。他者をどう扱うかということよりも、宗教上の形式や儀式のほうが人々の心の中でずっと重要になっているという問題です。イエスが御自分の主張をなさるために、旧約聖書の聖句(ホセ6:6)をここで引用されたのは、なんと興味深いことでしょう。
 「マタイのふるまいの席でキリストから非難されたパリサイ人たちのように、幾千の者が同じあやまちを犯している。多くの者は心にいだいている何かの考えを放棄したり、何か大事な意見を捨てたりするよりは、むしろ光の父から与えられる真理をこばむのである。彼らは自分に信頼し、自分自身の知恵にたよっていて、自分の霊的な貧しさをみとめない。……自分を義とする精神に動かされての断食や祈りは、神の御目に憎むべきものである」(『希望への光』809ページ、『各時代の希望』上巻356ページ)。
 私たち自身の好みを基準にして他者の行動を裁くことは簡単です。私たちはへりくだって自己を捨て去り、聖霊によって憐れみの心を確信に変えていただくことを学ぶ必要があります。

水曜日:これらの聖書の実例は、Ⅰヨハネ2:16に列挙されている世俗的な価値観に従って生きている人々と交わる際には注意が必要であることを示しています。もし私たちが、用心すべきではないとか、この世の堕落した原則にはまり込む危険性はないなどと考えているとしたら、それは思い違いです。その一方で、もし私たちが人々の生き方によって否定的な影響を受けまいとして身を隠すなら、私たちは彼らのためにどんな役に立てるでしょうか。
 賢明でバランスの取れた次の勧告に注目してください。
「さて、クリスチャンと称する者たちは、回心していない人たちと付き合うことを拒み、彼らと交わらないようにするだろうか。いいえ、クリスチャンは彼らとともにいる存在である。この世にいるが、この世のものではない。未信者の生き方をまねたり、彼らに感化されたり、彼らの習慣やしきたりに心を開いたりしない。彼らとの交際は、彼らをキリストへ導くという目的のためにある」(『セレクテッド・メッセージ』第3巻231ページ、英文)。

金曜日:教会の使命は、この世に向けてのものであって、教会そのものにだけ向けられたものではありません。教会は、他者への奉仕のためにつくられました。ある他教派の教会は、彼らの私道の端の、町へと続く公道のすぐ手前に1つの看板を立てています。その看板には、「僕(しもべ)の入り口」と書かれています。まさにそのとおりではないでしょうか。
 あまりにも長い間、アドベンチストは、あたかもほかの世界が存在しないかのように、安全な避難地区や孤立した地区に自分たちを隔離してきた。そのような時代は終わった。私たちはこれ以上背教行為の中に生きることはできないし、あえてそうしない。個人として、また教会として、そろそろ地域社会に入って行くべき時である」
(ラッセル・ブリル『アドベンチスト教会をいかに成長させるか』50ページ、英文)。

 冒頭の今週の学びのところでも記載しましたが、今週から5回にわけてキリストがどのように地域の方々に接して行ったか学びます。今週は、最初に人々とどのように交わられたかについて学びます。会社の営業なども同じでしょうが、最初に接触して心を開いていただくのはとても大変なことです。お会いして、話しを進めて行く中で、お互いの何か接点を見つけて、たとえばふるさとが同じなどということがわかったら一気に親密になれたりするものです。
 このようにご縁のない方々との関係を深めていくためには、相手の心を開いていただかなければなりません。そのため重要なのには、こちらが伝えたいことを伝える前に、相手がほんとうに必要としているものを提供できるかではないかと思います。こちらが良いと思っても相手が必要としていなければ意味がありません。教会が地域のために働くときに、その地域の方々が何を必要としているか検討をしなければなりません。それは多様化していることでしょう。その中で、教会ができる身の丈にあった何かを探して行かねばなりません。
 最も重要なことは、そこに見返りを期待しないことです。相手が助かった、良かったという笑顔を見てそれを喜びとするのが福祉の心なのです。そうしたら次の扉が開くのではないでしょうか。