第6課 聴覚しょうがい者用:浦島智加男

2016年 第3期  地域社会における教会の役割

第6課 キリストは人々と交(まじ)わられた

1.はじめに
 イエス様が、この世に生活しておられた頃(ころ)は、ユダヤの国はローマ帝国に支配され、国民は、ローマ帝国からも、ユダヤの国からも税金を強要(きょうよう)されました。貧しい人々はますます搾取(さくしゅ)(むりやり取る)されて貧しくなり、病気や体の弱い人は、誰からも顧(かえり)みられず、打(う)っちゃられていました。
 金持ちと強い人たちだけが、弱い人たちを奴隷(どれい)にして安楽(あんらく)に贅沢(ぜいたく)な暮しをしていたのです。
 ローマは、地中海を取(と)り巻(ま)く大きな国で、それぞれの国を州(しゅう)に分けて統治(とうち)していました。エルサレムが滅(ほろ)びてからクリスチャンたちも、散(ち)らされて行き、また使徒(しと)たちの伝道によって、各地に教会が出来ました。
 クリスチャンたちは、それぞれの教会に、施設(しせつ)みたいなものをこしらえ、弱い人や、病気の人をねんごろにもてなしていました。そこは、ホスビスと呼ばれ、今日の病院(ホスピタル)や末期(まっき)ガンの人々を看取(みと)るホスピスの原型(げんけい)になりました。
 それは、今週、学びにあるイエス様がなさった愛の行為(こうい)を見て学んだからでした。

2.キリストの方法(ほうほう)だけ 7月31日(日)
 イエス様が社会の身分(みぶん)の上下(じょうげ)を問(と)わず、売春婦(ばいしゅんふ)など罪深い人、らい病などの汚(けが)れた人、忌み嫌(いみきら)われた徴税人(ちょうぜいにん)たちと何の偏見(へんけん)(かたよった見方(みかた))なしに接(せっ)しておられる様子(ようす)を見て、世の常識(じょうしき)を逸(いっ)した行為(こうい)に驚きを超えて人々は「あれは、罪人の仲間だ」とか「大酒のみ」などと悪口を投げつけました。
 イエス様は、どの人も神に創造された尊(たっと)い人格(じんかく)として取り扱われたのでした。
 ガイドの中ほどに、イエス様が人々と接する方法が5つほど書かれています。人に奉仕をするときも、伝道する時もこのモデルを覚えておきましょう。

3.失われ、見出され 8月1日(月)
 ルカ福音書15章には、見失われた①羊、②銀貨、③青年の三つのたとえ話があります。①イエス様はご自分のことを「良い羊飼(ひつじか)い」と何度も言われました。ご自分が、ご生涯(しょうがい)を
 かけて、まず「イスラエルの失われた羊」を探し出して、神様のもとに連れ戻す努力をされました。その結果、12弟子がまず見出され、ユダヤ教の教えによって光を見失った多くの人々に福音の光をてらされた働きを示しているのでしょう。
②結婚の時持ってきた持参金(じさんきん)が、暗い部屋の隅(すみ)にごみに埋(う)もれていたのを努力して見つけた
話しです。これは、イエス様が地上の働きを終えてお帰りになった後、聖霊が、その後の
人々の救いを引き継(つ)がれました。いわば、夫人の持参金のように大事(だいじ)な救われる多くの魂をペンテコステで見出(みいだ)し、その後も使徒たち伝道者たちの伝道を導かれた聖霊の例えです。
③神から遠く離れてしまった人間が、イエス様の十字架の犠牲によって罪を悟り、聖霊に導かれて父の家こそ私の帰るべきところ、父なる神こそ私の霊の父親と悟った人が「本心(ほんしん)」を取り戻した話しです。
そのような人が自分のもとに帰って来る日を待ちわび、帰ってきたら最大のおもてなしをされる慈父(じふ)のような父なる神のたとえでしょう。
三つのたとえは、父・子・御霊の三位一体の神のお姿であると見ることもできます。

4.罪人と食事をする 8月2日(火)
 罪人は「つみびと」とも「ざいにん」とも読みます。神のおん目からは、すべての人々が罪びとなのですが、その当時(とうじ)は、律法を自分は守っていると自負(じふ)している人たちは、自分は罪人でないと思っていました。殺人罪を犯したとか、強盗をしたとか、いわゆる犯罪人(はんざいにん)を当時の人々は「つみびと」と呼んで、その人たちに近付くことを避(さ)けていました。
 今の日本もそうですが、大部分の人は自分が聖書が言っている「つみびと」でないと思っていますし、刑務所などに入った人を「ざいにん」「ふだつき」などと言って、関(かか)わりを持とうとしません。世間(せけん)から冷たい扱いを受けた人は、自暴自棄(じぼうじき)(やけくそ)になって再び犯罪に手を染めるという人が多いのです。彼らも、人間ですから暖かい交わりの素晴らしさを体験すれば、更生(こうせい)(生き方考え方を変えて)して普通の人に戻れるのです。
そのような道を開いて下さったのは、人々が忌み嫌(いみきら)っていた人を、一人の人間として、丁重(ていちょう)(たいせつに)に扱い、交わられたイエス様です。
  
5.賢(かしこ)く交わる 8月3日(水)
 キリストは、クリスチャンを地の塩と呼ばれました。世の中の人々と交わるために、異邦人(いほうじん)の中に置かれているのです。そして、塩のもつ力(腐敗(ふはい)防止(ぼうし)・味付け)を発揮(はっき)して世の中のあなたの周(まわ)りが悪くならないように努力し、また正しい生き方の模範(もはん)を示し、塩で味付けられた優しい言葉でイエス様のお姿を再現(さいげん)して見せるためです。
 「この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢(かしこ)くふるまっている」(ルカ16:8)とあるように、世の常識にたけた世の人に調子(ちょうし)を合せていると、彼らの知恵・価値観(かちかん)に引きずり込まれる危険性もあることをわきまえておかねばなりません。
 世の人と交渉(こうしょう)する場合は、前もって祈りをし、自分が「塩」であることの自覚を深めてから関(かか)わって行きましょう。
 
6.よこしまな時代の中で 8月4日(木)
 世の中の人に、丸めこまれて、信仰的な生き方が危うくなることをおそれて、交わりを断(た)つことは、神様のみこころではありません。やはり、地の塩であり、光を枡(ます)の下に隠さないで、あなたのよい行いを見せることを主は望んでおられます。
「また、異教徒(いきょうと)の間で立派に生活しなさい。そうすれば、彼らはあなたがたを悪人呼ばわりしてはいても、あなたがたの立派な行いをよく見て、訪(おとず)れの日に神をあがめるようになります。」(1ペトロ 2:12)
「教会に近い人は神様から遠い」という諺(ことわざ)がヨーロッパにあるそうです。そういえば、教会の近くには、教会員がいないところが多いですよね。みな、遠くから車で礼拝にやってきます。キリスト教国と言われたヨーロッパでそのような状態ですから、まして日本のように教会が少ない日本ではなおさらでしょう。
 ガイドに書いてある都市を中心に教会の所在地(しょざいち)を分析(ぶんせき)すれば、3つの型(かた)に分類(ぶんるい)できる国もあるでしょうが、日本ではあまり当てはまらないような気もします。それよりも、教会の置かれている場所が、どんな文化を持っているかを知ることが大切かも知れません。
 例(たと)えば、城下町(じょうかまち)など古くから昔からの伝統(でんとう)を重んじている街(まち)は、なかなか新しい思想を持ち込んでも受け容(い)れる人が少ないなどの風潮(ふうちょう)があります。街の文化的背景(ぶんかてきはいけい)を分析(ぶんせき)して、そこに見合った伝道が展開(てんかい)されることを祈ります。