第7課 安河内アキラ

2016年 第3期 地域社会における教会の役割

第7課 イエスは人々の幸福を願われた

今週の聖句 ヨナ3:4~4:6、ルカ19:38~42、マタイ5:43~47、Ⅰコリント13章、マルコ8:22~25、フィリピ2:3~5、ヤコブ2:14~17

今週の研究  イエスは、人々の幸福を願う無欲で思いやりのある態度を体現しておられます。神の恵みによって、私たちも、イエスが失われた者たちに示されたのと同じ態度を示すことができますように。

月曜日:この「黄金律」は、私たちを利することを真っ先に考えるのではなく、私たちが仕える人たちの利益になることを真っ先に考えるという、働きの考え方の基本となるものです。
 マタイ5:43~47、ルカ6:27、35、23:34を読んでください。私たちの敵であるという事実「にもかかわらず」、その人たちに愛をあらわし、親切にしなさいとイエスは命じておられます。このような行為や態度を、イエスが神御自身の品性と結びつけておられることにも注目してください。「しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである」(ルカ6:35)。

水曜日:私たちは人を「木」として、つまり物として見ているのかもしれません。私たちの目に、人々が深刻な必要を抱えた現実の人間としていまだに見えていないという意味なのかもしれません。彼らは、バプテスマ数を押し上げたり、私たちをよく見せたりするために教会に加えたい対象、項目、数字なのかもしれません。そういう利己的な態度があれば、多くの人はそのような教会にとどまらないでしょう。
 教会の外にいる人たちだけが、イエスのいやしの接触を必要としているのではありません。教会の中にも盲目があります。人々を数や物として見る弱視の教会員たちは、キリストによって生まれたばかりの多くの子どもが教会の裏口からそっと出て行くのを気にもしなければ、気づきもしないでしょう。あらゆることがもっとはっきり見え、イエスが愛されたように人々を愛すようになるために、彼らはイエスにもう一度触れていただく必要があります。

金曜日:私たちは、ヤコブが警告した―信仰は持っているのに、それを示す行動がないという―罪を犯さないように注意する必要があります。彼がこの警告を述べているのが、食事や服装や個人的な行動との関連においてではなく、貧しい人たちを助けることとの関連においてであるという点は、なんと興味深いことでしょう(ヤコ2:14~17参照)。自分は信仰を持っていると、だれでも言うことはできます。しかし、「隣人」に対する私たちの対応の仕方が、その信仰の真の尺度です。

 セブンスデー・アドベンチスト教会の大きな特色は、全世界でさまざまな事業を経営していることです。学校や病院、福祉、出版や食品事業まで幅広く行っています。このような働きを通して、教会との関わりを持っていただき、救霊につながることを願っています。
 けれども、様々な事業を行うもう一つの役割は、みなさまの幸せの実現のお手伝いをするためです。アドベンチストの病院を受診する方々は、クリスチャンになろうとして病院を訪れるでしょうか。病の癒しを願い、アドベンチストの病院は親切だからとやって来られるのではないでしょうか。福祉事業でアドベンチストが運営する機関に助けを求める場合は、たまたまわたしどもが介護サービスを提供しているエリアにお住まいだったから、アドベンチストが運営する施設を選ばれることが多く、キリスト教会が運営しているからと選ばれる方は皆無です。
 しばしば教会の中で何かを行い、それによってどれだけ救霊があったかで成果を判断しようとします。これは教会が救霊を目的として建てられたのですから当然のことです。けれども教会の働きを通して、まわりの方々がどれだけ笑顔に、幸せになれたかどうか、このような評価をしたことがありますか? まず最初にこちらで評価を判断したいものです。教会の役割は地域に奉仕をする、このような働きもあるのです。