第8課 平本光

2016年 第3期 地域社会における教会の役割

第8課 イエスは同情を示された

第8課ではキリストが示された慰めや同情、助けを通して癒し慰めを受け、私たちが同じように隣人に対してどのように寄り添っていくことができるかをみていきます。
日曜日  うめき声を聞く
 神が私たちにお与えになる平安は、どんなに動揺し荒れ狂っている中においても揺らぐことのない平安です。出エジプト記において、苦しみの中にいた人間には神に「うめき、また叫んで」祈ることのみが残されていました。この祈りを神はすでに祈る前からご存じで、モーセを備えておられたのです。ヤコブの手紙の中で旧約聖書の預言者たちを「忍耐」の模範とするように言っています。ヨブの長く苦しみ忍耐してきたこの問いに神が答えてくださっている。神は憐れみ深く、憐れみに満ちた方であることを知るのです。私たちもキリストの十字架と復活を通してそのことを知ることができるのです。
月曜日  同情的な私たちの救い主
キリストは同情を示すだけでなく憐れみ深い行動が伴うことを教えられました。憐れみと同情は、私たちが人々の苦しみの内容を理解するだけでなく、その苦しみを和らげ、取り除く手助けをしたいと望むことです。罪によって神との関係が壊れてしまいました。神との関係が壊れることは人と人との関係にもおよんできます。罪に支配されている人間の特徴は人を支配しようとすることや優位な位置に立とうとすることです。キリストの示された同情や憐れみを学んでも私達は、神に逆らったり、背いたりすることがあります。しかし、その度に悔い改めが与えられ、主イエスが愛と赦しの中に置いていて下さるのです。このことを受け入れることは枝が幹につながっており、神に背く罪のために死んでいたのに主の憐みによって生き返らされたということなのです。
火曜日  彼らの立場を経験する
 私たちは神に愛されています。ずっと前に愛されたことがあるという過去のことではなく、神からの愛を継続して受け続けています。Ⅰペテロ3:8「最後に言う。あなたがたは皆、心をひとつにし、同情し合い、兄弟愛をもち、あわれみ深くあり、謙虚でありなさい」とあるように心を一つにし、同情する気持ちを持つためには自分の弱さに気づくことが必要です。自分自身を神にゆだねなければ生きていけないと感じることができたときに自分の弱さに気づきます。自分の弱さを知ることによって、他の方の苦しみを理解することができるようにもなるのです。
水曜日  イエスは涙を流された
キリストは私たちの悩みや苦しみを共に担ってくださる方です。私たちは他者の幸せや喜びは自分のことのように喜べるのに他者の不幸や悲しみを担うということは難しく、むしろ苦しんでいる相手と比較して自分を優位に見てしまうこともあります。簡単に私たちにはできないかもしれません。これはキリストにのみ可能なことだからです。「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい」この言葉を人に向けて使うことは、パリサイ人のようにできていないことをさせようとしています。自分の弱さを知り、「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい」ということができるようになれるよう祈り求めていきましょう。
木曜日  もう1人の慰め主
 キリストは私たちの苦しみに同情されるだけではなく、私たちに代わって、私たちの根源的な罪のために起こる苦しみを担って下さいます。私たちの苦しみに同情され、代わりに苦しまれ、私たちが神に支えられ大胆に生きることが出来るようにして下さるのです。このキリストによって与えられる私の「慰め」が、隣人の「慰め」につながるのです。そのようにして慰めの共同体としての教会が生まれます。ここでは弱さの中で打ちのめされた自分を隠す必要はなく、受けた慰めを通してその方自身も慰めを与える者になっていくことを教えています。地上におられたときキリストも人間のすべての苦しみを終わらせることをされていません。ご自分のできる範囲の方を助け癒しておられます。私たちも同じように与えることのできる隣人に同情や慰め、助けを注いでいくように祈り進んでいきましょう。