第9課 松本裕喜

2016年 第3期 地域社会における教会の役割

第9課 イエスは人々の必要に応えられた

日曜日  働きの中断
 私たちは自分の目標ややるべきことに向かって邁進し忙しくしていますが、しばしばそれが妨げられることがあり、緊急の用事や家庭の子供たちの問題などが急に入ってくることがあると思います。自分の計画が狂わされると私たちはストレスを感じますが、イエス様はそれらひとつひとつに愛情を込めて対応されました。神様は私たちがその時に向き合わなければならない問題に向き合わされるように導かれます。
 「ボクがけんかをして高校を停学になったときには、親父は停学勧告に同行してくれ、その日は半日仕事を休んで一緒に家にいてくれた。子どもの『ここぞ!』という時に、子どものそばにいること。これをボクは親父から学んだ。・・・きっと父親には『ここぞ!』という時があるのだと思う。いつもいつも家族と一緒にいられるわけではない日本の親父たち。でも『ここぞ!』の時にいないと、取り返すのに多くの犠牲を払わなければならないことがあるのだと思う。父なる神は、いつだって『ここぞ!』にいてくれる。(大嶋重徳著『おかんとボクの信仰継承』57,112頁)
月曜日  どうすればお役に立てますか
 イエス様は私たちが祈らなくとも、私たちの必要が何であるかをご存じです。しかしイエス様は「何をしてほしいのか」と尋ねられます。私たちの祈りの内容は具体的であるべきです。
「イエスは、御自分が彼らの声に耳を傾けていること、また耳を傾けることによって、彼らが苦しんでいる事柄に関心を寄せていることを示されました。」(62頁)
火曜日  より深い必要
 「(救いについて)まず私どもがしっかりと心に留めておかないといけないのは、病気、貧しさ、社会的な矛盾、私どもが直面する様々な問題、それらからの救いではないということでございます。」(河村襄著『教会へようこそ 3つの大切なこと』本文より引用)
 詩編139編には、神様が私たちのすべてをご存知であることが書かれています。確かに私たちは表面的で物質的な必要を特に求めているように見えますが、人間の本当の必要はその内面にあることを知る必要があります。神が一人ひとりを愛しておられるということを認め、自分だけでなく他者がその愛に与ることができるために、私たちは何ができるでしょうか。
水曜日  ヤッファのドルカス
 ガイドに書かれているように、使徒言行録9:41の「聖なる者たち」は教会員、「やもめたち」には教会員とそうでない人も含まれているだろうと考えますと、ヤッファのドルカスは教会内外問わず多くの人々から愛された人でした。ドルカス自身も愛を持って人々に接しました。ヨハネ13:34,35,15:12の言葉は、私たちがキリストの弟子である証拠として、互いに愛し合っているということが挙げられています。またそれは神の掟であり、「わたしたちは、神の掟を守るなら、それによって、神を知っていることが分かります」(1ヨハネ2:3)とも書かれています。「神を知る」とは知識として知る以上に、神との関係に生きているかどうかという意味です。ですから、互いに愛し合うことのスタートは、神との関係に生きることから始まります。神との関係なしに人を愛することには限界がありますし、それは心からの交わりを生じさせることはないでしょう。
木曜日  活動している教会
 伝道をするためには様々な情報が必要ですが、65頁に示されているように、まずは「①聖書と預言の霊の原則からの情報」が必要です。情報というよりは、原動力と言い換えても良いでしょうか。神の言葉によって私たちは心が燃やされ、神に献身する心を与えて頂く事ができます。また、イエス様の方法を聖書から知る事ができます。「人の心を動かすには、キリストの方法だけが真の成功をもたらす」とエレンホワイトは書いていますので、尚更私たちは聖書から学ばなければ伝道の原動力にはならないのではないでしょうか。