第9課 聴覚しょうがい者用:山地 宏

2016年 第3期  地域社会における教会の役割

第9課 イエスは人々の必要に応(こた)えられた

1.はじめに
 あなた自身(じしん)には、今どのような必要がありますか。人間には生きていくために、これだけは必要だというものがあります。たとえば、誰でも生きるためには、食べるものが必要ですよね。また、着るものも必要です。住む家も必要です。でも食べ物と、着るものと、住む場所があれば、それでぜんぶの必要が満たされるわけではありません。場所や年齢や自分の気持ちが変わると、必要なものも変わってきます。たとえば、病気やけがをしている時には看()病(かんびょう)や治療(ちりょう)や薬が必要です。いろいろな人たちと話をしたり、周(まわ)りの人たちや、外国の人たちと一緒(いっしょ)に仲良くやっていくためには、教育も必要です。悲しい時や苦しい時には、慰(なぐさ)めや励(はげ)ましが必要です。人はそれぞれ、おかれている状況(じょうきょう)によって、それぞれ違ったさまざまな必要を持っています。
 私たちが住んでいる日本の社会は、生きていくのが大変(たいへん)で困っているという人は、それほど多くはないかもしれません。でも、私たちが住んでいる地域(ちいき)をよく見てみましょう。なにか問題をかかえて困っている人はいませんか。わかりやすい問題もあるかもしれませんが、ぱっと見ただけではすぐにわからないような問題で困っている人もいるかもしれません。イエス様は、人々がどのような必要を感じているのかということを、いつも見ておられました。イエス様の体(からだ)である教会も、地域の人たちの必要に応えることが大切です。
 
2.働きの中断(ちゅうだん) 8月21日(日)
 マルコ5:22-43を読んでください。イエス様はいつもたくさんの人たちにかこまれていました。イエス様のところに押(お)しかけて来る人たちの多くは、イエス様に何か助けてほしい人たちでした。会堂長(かいどうちょう)ヤイロもそのような1人でした。ヤイロの幼(おさな)い娘が死にそうで困っていました。イエス様は人々のために何かをなさっているところだったのかもしれません。でも、それを途中(とちゅう)でやめて、ヤイロの家にその娘を助けに行くことにしました。行く途中で今度は12年間も出血(しゅっけつ)の止まらない女性との出会(であ)いがありました。彼女は人に気づかれないように、イエス様の後ろからイエス様の服にさわりました。すると彼女の病気は治(なお)りました。イエス様は彼女の信仰を励(はげ)ますために、わざわざ立ち止まって彼女と会話をなさいました。ヤイロの家に行く途中で、こんな風に時間をとっている間に、ヤイロの娘が死んだという知らせが来ました。でもイエス様は、信じていれば心配ないよと言って、ヤイロの家に行き、娘を生き返らせてくださいました。
 イエス様が何かをやろうとしていると、誰か他の人が、もっと別の必要を訴(うった)えてイエス様のところに来ることが多くありました。でもそのように、仕事の途中(とちゅう)で話しかけられたり、止められたりするとき、そこには、助けてほしい人がいます。その人の必要に応(こた)えるチャンスなのです。私たちも、もし、自分の仕事を途中でやめて、その人の話を聞かないと、そのようなチャンスは、二度と来ないのかもしれません。

3.どうすればお役(やく)に立てますか 8月22日(月)
 マルコ10:46~52とヨハネ5:1~9を読んでください。どちらの聖句でも、イエス様は相手の人に、何をしてほしいのか聞いています。イエス様は彼らの必要がわからなかったから質問をしたのではなかったでしょう。彼らの話を聞くために、イエス様は彼らに質問をしたのだと思います。私たちは「あなたが困っていることは何ですか」と聞かずに、「この人は、このことで困っているのだろう」と勝手に自分で考えて行動することが多いのではないでしょうか。それで、人を助けていると思っていることがありますね。でも、実は実際(じっさい)に助けることと同じぐらい大切なことがあります。それは、相手の声に耳を傾(かたむ)けることです。質問をして、相手の気持ちを言ってもらうことです。そうすることで、相手の気持ちを大切にしたいのだ、という私の思いも相手に伝わるでしょう。

4.より深い必要 8月23日(火)
 マルコ2:1~12を読んでください。4人の男の人が、1人の中風(ちゅうぶ)の病気の人をベッドにのせて、イエス様のところに連(つ)れてきました。イエス様はベッドにのせて連れて来られたその人に対して、まず最初(さいしょ)に「あなたの罪はゆるされましたよ」と言われました。どうしてでしょうか。その人の1番の必要は、中風という病気がいやされて、元気になることなのではないでしょうか。イエス様はその中風の人の、より深い必要を見られました。それは罪の重荷(おもに)でした。神様からゆるされていない。神様から受け入れてもらっていない。その気持ちが、この中風の人を一番苦しめていることが、イエス様にはわかりました。それで、まず最初に、罪がゆるされていることを、中風の人に言われました。病気は治(なお)っても、年を取ればいずれ死にます。でも、罪から救われたならば、死んでもよみがえる希望が与えられます。これは、すべての人に共通の、より深い必要です。
 
5.ヤッファのドルカス 8月24日(水)
 使徒言行録(しとげんこうろく)9:36~42を読んでください。ドルカスという女性が出てきます。彼女は、「やもめたち」のために下着(したぎ)や上着(うわぎ)を作ってあげていたようです。彼女は病気で死にましたが、そのことをたくさんの「やもめたち」が悲しんでいました。「やもめたち」の中には教会員も教会員でない人も含まれていたかもしれません。人々の必要に応える働きというのは、教会の外だけにあるのではありません。教会の中にも困っている人や助けを必要としている人はいます。クリスチャン同士(どうし)が教会の中でお互いに助け合っている姿が、クリスチャンとはどういう人たちなのかということを周(まわ)りの人たちに教えます。つまり、私たちが互いに愛し合うことによって、私たちがイエス様の弟子であることを、周りの人々が知るようになります。ドルカスは神様のあわれみによって、ペトロをとおして生き返らせてもらいました。

6.活動している教会 8月25日(木)
 ルカ14:25~35を読んでください。33節(せつ)までのところを読んでわかることは、伝道をすることを軽く考えてはいけないということです。いろいろなところから情報(じょうほう)を集めて、よい計画を立てることが必要です。ガイドでは、少なくとも次の3つの場所(ばしょ)から意見(いけん)をよく聞いて計画を立てることをすすめています。①聖書とホワイト夫人の本からの意見。②地域の必要は何かを教えてくれる意見。③教会員からの意見。
 34節、35節には、塩気(しおけ)のなくなった塩のたとえ話が出てきます。ここに出てくる塩気とは、私たちの献身(けんしん)のことだとガイドに書かれています。つまり、教会が地域(ちいき)の必要に応えてよい奉仕をするためには、神様のみこころを求めて聖書や証(あかし)の書をよく調べることや、地域の人たちとよく交わって話を聞くことや、教会の人たちとよく話し合って、どのようなことができるかを知ることだけでなく、地域の人たちの必要に応えるために、自分自身をささげる覚悟(かくご)が必要だということです。私たちを救うために、ご自分の持っているすべてを犠牲にされたイエス様によって、自分たちを動かしていただくことです。