第1課 安河内アキラ

2016年 第4期 ヨブ記

第1課 結 末

今週の聖句 ヨブ記42:10~17、創世記4:8、マタイ14:10、Ⅰコリント4:5、ダニエル2:44、ヨブ記14:14、15

今週の研究  今週、ヨブ記の研究を始めるに当たって、私たちはその結末から始めます。というのも、それは私たちの結末―現世の結末のみならず、永遠の結末―に関する疑問を提起するからです。

序言:今期の研究では、ヨブの物語を(物語の中の目前の出来事に)近づいて見たり、(物語の結末だけでなく、この物語がより大きな背景の中で展開していることを知っているという点において)遠くから眺めたりします。そして、ヨブ記だけでなく、聖書全体の知識を持つ読者として、私たちにとっての極めて重要な一つの課題は、それらをすべて動員して、できるだけ次の二つの疑問を理解しようと努めることです。「私たちはなぜ悪(災い)の世に生きているのか」「私たちはそのような世界の中でいかに生きるべきか」

火曜日:そして私たちが知る限り、ヨブは彼の身に降りかかったすべての災難の裏側にある理由をまったく知りませんでした。確かに、彼は多くの子どもを得ましたが、失った子どもたちに対する彼の悲しみや嘆きは、どうだったのでしょうか。きっと彼が残りの人生の間抱え続けた心の傷は、どうだったのでしょうか。ヨブは幸福な結末を迎えましたが、それは完璧に幸福な結末ではありませんでした。数え切れないほどの未解決なこと、答えられていない疑問が残っています。
 これは意外なことではないはずです。結局のところ、この世においては現状がそうであるように、私たちの「結末」が良かろうと悪かろうと、不完全なまま、答えられぬまま、実現せぬまま残るものが何かしらあります。
それゆえ、ある意味においてヨブの結末は、あらゆる人間の悲しみや苦しみの真の結末の象徴と見ることができるかもしれません。それは、私たちがイエス・キリストの福音によって持っている、(ヨブの回復を色あせさせるような)十全で完全な回復という究極の希望と約束を予示しています。

水曜日:聖書は私たちに、終末時代に関する多くのことを教えています。確かに、ヨブ記はヨブの死で終わっていますが、もしこれだけが私たちの読むべき書巻であるなら、ヨブの物語は私たちの物語と同様に死で終わった、そういうことだ、と人は思うでしょう。ほかに期待すべきものはありません。なぜなら、私たちがわかり、知っている限りにおいて、そのあとには何もやって来ないからです。
 しかし、聖書は私たちに別のことを教えます。終末時代には、神の永遠の王国が打ち建てられ、それは永遠に存在し続け、贖われた者たちの永遠の住まいになると、聖書は教えています。現れては消えるこの世の王国と違い、神の王国は永遠に続きます。ダニエル2:44、7:18を読んでください。

金曜日:そして今日、私たちは「いま持っている真理」(Ⅱペト1:12、口語訳、「現代の真理」とも訳される)を知る機会に恵まれ、ヨブよりも諸問題に対する多くの光を確かに与えられていますが、依然として答えられぬままの疑問を抱えながら生きることも身に着けなければなりません。真理の開示は漸進的であり、現在すでに大いなる光が私たちに与えられていますが、学ぶべきことはまだたくさんあります。それどころか、私たちは次のように言われています―「贖われた群衆は、さまざまな国から集められた者たちであり、彼らの多くの時間は、贖いの神秘を探るために用いられるであろう。そして永遠にわたって、この主題は絶えず彼らの探求の対象となるのである」(『アドベント・レビュー・アンド・サバス・ヘラルド』1886年3月9日号)。

 今期の学びはヨブ記について学びます。今期の特徴は、まず久しぶりに14課までありますね。今年は12月24日と大晦日が安息日です。そして近年の教課で聖書の書簡について学ぶ時は、その書簡を順序良く学ぶのでは無く、主題に沿って学んで来ましたが、今期も同じように主題ごと学びます。

ヨブ記ではヨブが出会った試練について書かれています。そこに彼らは知らない善と悪の闘いが描かれていますね。今週の学びは、ヨブ記の終わりから始めますが、ヨブは最後は多くの祝福に包まれて人生を終えています。けれども突然敵に襲われて命を落としているヨブの家族のことも聖書は記録しています。彼らのことをどう考えたら良いのでしょうか。

 高齢者福祉の働きをしていると、多くの死に立ち会います。人生の最期に和解をした家族がいらっしゃいました。このように神さまが最後の最期まで愛してくださっているのが伝わって来るような出会いが多くあります。
 「神のなさることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなさるわざを初めから終わりまで見きわめることができない」(伝道の書3:11)。 わたしたちは永遠の生命の希望を与えられています。けれどもそこへ至る過程は、すべてわかりません。しかし神さまはわたしたちのことを愛してくださっている、この約束を信じて様々なできごとを受け入れつつ前に進んで行くしかありません。