第1課 平田和宣

2016年 第4期 ヨブ記

第1課 結 末

はじめに
 今期はヨブ記を学びます。全42章に渡る結構長い内容ですが、その概要の流れは次の通りです。①ヨブの紹介、②主とサタンの論争とヨブの試練、③ヨブと友人たちとの議論、④主の語りかけとヨブの応答、⑤ヨブの回復。一般的な価値観からすればヨブは非常に理不尽な体験をしました。理不尽に思える事件が起きるこの世にあって、私達がどのように生きていくべきか、何を心に留めておくべきかを考える三か月間となりますように。そして第一課は、ヨブ記の結末について考えることにより、今期の学びをスタートします。

ヨブの回復
 ヨブ記の結末と言えば、ヨブの回復です。試練の後にヨブに与えられた回復の様子を列挙すると、だいたい次のようになります。①元の財産の二倍を受けた、②新たに10人の子供達を得た(娘達は絶世の美人揃い!)、③更に140年間生きた(孫、曾孫、玄孫にまで会えた)。
 さて、ヨブは回復後の日々を幸せに過ごしたのでしょうか? 確かに回復前にヨブが経験した試練は壮絶なものであったはずです。神の御前に清く正しく生きてきたにも拘らず、です。突然、牛・ろば・らくだを全て略奪され、牧童たちは殺され、羊と羊飼いたちは天から降ってきた不可解な火によって焼け死んでしまった。そして何よりヨブにとって最も衝撃だったと思われるのは子供達のことです。愛する大切な我が子達が嵐により倒壊した家の下敷きになって皆一度に死んでしまった。更に、これらのとてつもなく悲しい知らせにただただ打ちひしがれているヨブ自身を襲う全身の皮膚病。
 やはり辛かったに違いない。特に、親の死は納得できても、我が子の早過ぎる突然の死はなかなか納得できるものではありません。しかし、その悲しみを完全にではないとしても癒してくれる存在が、新たに与えられた10人の子供達だったのではないか。そのように考えるのは、あまりに短絡的でしょうか?
 最近、世界一長寿の島と言われるイタリアのサルデーニャ島を紹介するTV番組を見ました。日本人の専門家が島民の食生活に注目する内容でした。ミネストローネ(豆入り野菜スープ)、オリーブオイル、ペコリーノチーズ(羊乳チーズ)、天然酵母パン、赤ワイン等が紹介されていました。確かに体に良いとされる食品を食べているのかも知れません。しかし良い食品だけで果たして幸せな長寿が可能だろうか? 疑問に思った私はヒントを探して同番組を観続けました。そしてついに納得するシーンが。登場した陽気なジュリオさん(103才、男性)は殆ど毎週末、一族が集合する楽しい食事会に出席しているとのこと。ジュリオさんはその食卓の真ん中の席で、民謡を楽しそうに歌っていました。
 仲の良い家族の存在は、幸せに生きていくために大きな助けとなります。恐らく悲しい記憶は消えないことでしょう。しかしだからこそ、仲の良い新しい家族の存在はヨブにとって大切なものであったはずです。
 私達の教会に目を転じれば、教会には様々な人が集まります。中には一人で暮らしている方もいます。信仰のゆえに家族内で孤立している人も。だからこそ神の家族としての絆を確かなものとしていけますように。互いに祈り合うこと、語り合うこと、耳を傾け合うこと、共に食事をすることを大切にしたいものです。

もう一つの回復
 ヨブの回復を語るのに、決して忘れてはならないものがあります。それはヨブが経験した回復の中で、一番大切なものであり、それは他の全ての回復に先駆けてヨブが手にした回復でした。それは、神への信頼の回復です。理不尽な経験をし、恐らくは悔しさから「自分は神よりも正しい」と主張したヨブでした。が、神からの語りかけを聞き、知識も無いのに偉大な神のご計画に口出しをする自分の愚かさを悟らされ、悔改めて神に全面的に信頼する心の変化を経験したヨブでした。そこにはこの世のものからは得られない平安があったのでは。神への全面的なこの信頼こそ、その後のヨブの人生を支える本当の土台であったはずです。

不幸な結末?

「忠実で、立派で、高潔であった人たちでさえ、必ずしもヨブのような状況で終わるとは限らないのです」本文6頁、3行目

 聖書を読めば読むほど、本当にそうだと思います。問1のエリやヨシヤ王はともかくとして、アベル、ウリヤ、バプテスマのヨハネ、ステファノ、あるいは12使徒、パウロ。皆、恐らく忠実で、立派で、高潔であったにも拘らず、この世の一般的価値観からすれば悲惨な最期を迎えています。
 しかし彼らは「不幸」だったのか? 本当の幸せとは何でしょうか? 本当の意味で神に信頼する心が与えられていて、自分が何のために生きるべきか、何のために命をかけるべきかを知っている人こそ、本当の意味で幸せな人なのではないでしょうか。おまけに彼らは死の向こう側に何が待っているのかを知っている人達でした。復活、再臨、永遠の御国…これらは私達の希望です。そして最大の希望は、どんな時にも平安を約束しておられ、共にいて支えて下さる主イエス様です。この希望が益々私達の内に真実となりますように。