第11課 安河内アキラ

2016年 第4期 ヨブ記

第11課 嵐の中から

今週の聖句 ヨブ記38~39章、ヨハネ1:29、マタイ16:13、ヨブ記40:1~4、42:1~6、ルカ5:1~8

今週の研究   ヨブ記の主題はヨブの苦しみですが、議論のおもな焦点は神です。しかし最初の2章を除けば、物語が進む中で、神は背景にお隠れになったままでした。
 しかし、すべてが変わろうとしています。ヨブ記における多くの議論と論争の焦点である神御自身が、今や御自分のために話されます。

月曜日:聖書の至る所で、神は人間に質問をしておられます。それは、神がその答えをご存じでないからではありません。そうではなく、神がお尋ねになるのは、良い教師がしばしば質問をするように、私たちが自分の状況について考え、自分自身を見つめ、問題に取り組み、適正な結論を出すうえで、そうすることが効果的な方法だからです。ですから、神がお尋ねになる質問は、神がご存じでない何かを神に教えるためのものではありません。むしろ、人間がよりよい理解のために必要なことを学べるように、それらの質問はしばしば問われます。神の質問は、人間に真理を伝える助けとなる修辞的技法です。
 ヨブは神について言いたいことがたくさんありましたが、主はヨブに、実際のところ、彼が創造主について知らないこと、理解できないことがたくさんあるという事実を知ってほしい、と明らかに望まれました。ヨブに対する神の最初の質問は、多くの点で、友人たちがヨブに語った言葉のいくつかと似ています(ヨブ8:1、2、11:1~3、15:1~3参照)。

水曜日:隠されていた現実の様相を科学が明らかにしてきたことは、疑いの余地がありません。しかし、私たちが学ぶべきことは、依然としてたくさん残っています。科学は、いろいろな意味で、神の被造物のすばらしさや神秘を取り除くどころか、一層それを魅力あるものとし、これまでの世代が知らなかった自然界の深遠さや複雑さを明らかにしてきました。
 「『隠れた事はわれわれの神、主に属するものである。しかし表されたことは長くわれわれとわれわれの子孫に属』する(申命記29:29)。神が、どんな方法で創造の働きをなさったかは、人間にあらわされていない。人間の科学は、至高者の秘密をさぐり出すことはできない。神の創造の力は、神の存在と同様に理解することはできない」(『希望への光』24ページ、『人類のあけぼの』上巻32ページ)。

木曜日:ヨブ記40:1~4、42:1~6を読んでください。神が御自分をあらわされ示されたことによって、ヨブは圧倒されました。実際、ヨブ記42:3で、「これは何者か。知識もないのに/神の経綸を隠そうとするとは」と彼は言っていますが、それは神の最初の質問の繰り返しにすぎません。今やヨブは答えがわかったのです。彼が本当にわからないと語っていたのは、彼自身だったのだ、と。
 彼がヨブ記42:5で言っていることにも注目してください。ヨブは神について聞いていただけでしたが、今や神を見た(つまり、神についてよくわかるようになった)ので、自分自身をあるがままに見ています。それゆえ、彼は自分を嫌悪し、塵と灰の上で悔い改めるという反応を示したのです。

 もし神さまにお目にかかることができたら、聞いてみたいことはたくさんありますよね。ヨブも同じだったはずです。けれども神さまはヨブ記の最後に嵐の中から語られました。それはすべてを創造されて守っている神さまと被造物である人間とのちがいでした。木曜日の学びで「ヨブは圧倒されました。」とあります。そして「彼は自分を嫌悪し、塵と灰の上で悔い改めるという反応を示した」のでした。
 わたしたちが天国で神さまから話を聞けるとしたら、千年期なのでしょう。その時に、神さまの御前で、おそらくヨブと同じ想いになるのでしょう。神さまの前に立たなくても、自らのまちがいや弱さを突き付けられて、悔い改めの祈りをささげ赦しと導きを求めます。このように神さまの前に心砕かれてひざまずく時、それはヨブが神さまの前に圧倒され自らの弱さを突き付けられたのと同じなのかもしれません。