第11課 聴覚しょうがい者用:英田恭司

2016年 第4期  ヨブ記

第11課 嵐(あらし)の中から

はじめに
 ヨブ記の章(しょう)の多くは、ヨブの苦しみについての議論(ぎろん)を扱(あつか)っています。ヨブの嘆(なげ)き・三人の友人たちとの対話(たいわ)〈向かい合って話す〉・そして若いエリフの発言(はつげん)は、3章から37章(35章)に及(およ)びます。
 ヨブの苦しみの原因(げんいん)を探(さぐ)ろうとして〈探(さが)し求めて〉います。3人の友人は苦しみの原因(げんいん)はヨブにあると断言(だんげん)し〈きっぱり言い〉、神の赦(ゆる)しと哀(あわ)れみに頼(たよ)るようにと説得(せっとく)し〈納得(なっとく)させ〉ます。ヨブは苦しみの原因が自分の内(うち)にはないと主張(しゅちょう)し〈言い張(は)り〉、自分は正しいといって譲(ゆず)りませんでした。そしてエリフは、この4人の対話(たいわ)に対(たい)して怒(いか)りを燃(も)やして発言(はつげん)し〈意見を言い〉ました。
 これらの議論(ぎろん)〈意見を戦う〉はヨブの苦しみに関(かん)して話しているのですが、実(じつ)はその焦点(しょうてん)〈中心〉は神様なのです。神はどのようなお方(かた)なのか? 神の裁(さば)きは正しいのか? などを話しています。つまり神について議論(ぎろん)していたのです。エリフの話が終わって、気(き)がつけば主が登場(とうじょう)され〈あらわれ〉ます。この突然(とつぜん)の登場(とうじょう)に、読者(どくしゃ)(読んでいる私たち)は戸惑(とまど)う〈どうしてよいか分(わ)からない〉かもしれませんが、最もふさわしい時に主はお現(あら)われになったのです。

1.嵐の中から

ヨブ38:1 「主は嵐の中からヨブに答えて仰(おお)せになった。」

 「嵐」と訳(やく)されている言葉(ことば)を、口語訳聖書は「つむじ風」と訳(やく)しています。また「暴風(ぼうふう)」とも訳せるそうです。主は、ヨブの注意を確実(かくじつ)に引くように非常に効果的(こうかてき)な〈効(き)き目(め)のある〉(>)形(かたち)でご自身(じしん)をあらわされました。ヨブは「あなたのことを、耳にしてはおりました。しかし今、この目であなたを仰(あお)ぎ見ます」(ヨブ42:5)と言っています。

2.答えて仰(おお)せになった
 ヨブは、「わたしが呼びかけても返事(へんじ)はなさるまい。わたしの声に耳を傾(かたむ)けてくださるとは思えない」(ヨブ9:16)と語(かた)りましたが、主は、ヨブの声に耳を傾け、一切(いっさい)を聞いておられたのです。そして、ヨブに答えて仰(おお)せられた〈おっしゃった〉のです。

 エリフは、「今、光は見えないが/それは雲のかなたで輝(かがや)いている」(ヨブ37:21)とヨブに語(かた)りました。聞いてもらえていない(光は見えない)と感じても、聞いてくださる方の存在(そんざい)は確(たし)かなのです(それは雲のかなたで輝(かがや)いている)。
3.神の質問(しつもん)
ヨブ38:3 「わたしはお前に尋(たず)ねる、わたしに答えてみよ。」

 ヨブは神様に聞きたいことがたくさんありました。その一つを挙(あ)げてみます。
 「罪と悪がどれほどわたしにあるのでしょうか。わたしの罪咎(つみとが)を示(しめ)してください。なぜ、あなたは御顔(みかお)を隠(かく)し/わたしを敵と見なされるのですか。」(ヨブ13:23.24)
 しかし、神はヨブの質問には答えられませんでした。代(が)わりにヨブに質問されるのです。聖書の至(いた)る所(ところ)で、神は人間に質問しておられます。それは、神がその答えをご存(ぞん)じないからではなく、人が神の与(あた)えてくださった質問を考えることによって、よりよい理解(りかい)に導(みちび)かれるためでした.
 神にした質問の答えを、ヨブ自身(じしん)が見つけるために、ヨブは神が与えてくださった質問に取(と)り組(く)む必要がありました。
 神はヨブに、「男らしく、腰(こし)に帯(おび)をせよ。わたしはお前に尋(たず)ねる、わたしに答えてみよ。」(ヨブ38:3)と語りかけられました。わかりやすく表現(ひょうげん)すれば「さあ、遠慮(えんりょ)なく向(む)かって来なさい。これから幾(いく)つかの質問(しつもん)をするから、答えてみなさい」(リビングバイブル)となるでしょうか。

4.神が用意されたヨブへの質問とヨブの応答(おうとう)
 身(み)に降(ふ)りかかった災難(さいなん)についての詳(くわ)しい説明を望(のぞ)むよりも、もっと大きな神秘的(しんぴてき)な〈人間の知恵を超(こ)えた不思議(ふしぎ)な〉ことへとヨブの考えを導(みちび)かれました。その結果(けっか)、ヨブは次のように告白(こくはく)しました。
「わたしは軽々(かるがる)しくものを申(もう)しました。
どうしてあなたに反論(はんろん)などできましょう。わたしはこの口に手を置(お)きます。
ひと言(こと)語(かた)りましたが、もう主張(しゅちょう)いたしません。
ふた言(こと)申(もう)しましたが、もう繰(く)り返(かえ)しません。」(ヨブ40:4‐5)

 神の質問(しつもん)は、大地(だいち)・海・光・闇(やみ)の起源(きげん)について、気候(きこう)や天体(てんたい)の不思議(ふしぎ)な業(わざ)、野生動物(やせいどうぶつ)の命(営(いとな)み)などについてでした。ヨブは自分の知識(ちしき)の乏(とぼ)しさに比(くら)べ、神の偉大(いだい)さを悟(さと)りました。そして次のように告白(こくはく)しました。
 「『これは何者(なにもの)か。知識(ちしき)もないのに/神の経綸(けいりん)(計(はか)りごと)を隠(かく)そうとするとは。』そのとおりです。わたしには理解(りかい)できず、わたしの知識(ちしき)を超(こ)えた/驚くべき御業(みわざ)をあげつらって〈良いか悪いかなどを言(い)い立(た)てて>おりました。〉(ヨブ42:3)
 
「知識もなくて、摂理(せつり)をおおい隠した者は、だれでしょう。まことに、私は、自分で悟(さと)りえないことを告(つ)げました。自分でも知りえない不思議を。」(同上新改訳聖書)

 今週の研究によって、イエスの教えを思い浮かべました(マタイ6:30)
「今日は生(は)えていて、明日(あす)は炉(ろ)に投(な)げ込(こ)まれる野の草でさえ、神はこのように装(よそお)ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄(うす)い者たちよ。」