第14課 安河内アキラ

2016年 第4期 ヨブ記

第14課 ヨブ記からの教訓

今週の聖句 Ⅱコリント5:7、ヨブ記1:1~2:8、マタイ13:39、ヨハネ8:1~11、ヘブライ4:15

今週の研究   確かに、とりわけ人生の最も難しい疑問がたくさん提起されているヨブ記のような本においては、謎が残ります。しかしそれにもかかわらず、私たちはこの物語から得ることのできるいくつかの教訓に目を向けましょう。それは、ヨブのように、悩み多き世界の中で主に忠実でいられる助けとなる教訓です。

日曜日:私たちの目に見えない放射線や重力などから、見えざる力が単に存在するだけでなく、私たちの生活に影響を及ぼしている事実から、霊的教訓を得ることができます。ヨブ記が示しているように、関係者たちは実際に起こっていることを、だれ1人としてわかっていませんでした。彼らは神を信じ、神や、神の御品性と創造力について、ある程度理解もしていました。しかし、彼らが目にすることのできた現実(つまり、ヨブの災難)という明らかな事実を超えて、彼らは舞台裏で起こっていることについて何もわかりませんでした。同様に、ときとして私たちも見えざる現実について何もわからないのではありませんか。それゆえヨブ記は、私たちが自分の弱さや、自分の見ているもの、知っていることの少なさを自覚しつつ、信仰によって生きる必要があることを教えています。

水曜日:ヨブ記が私たちに言えることは、神がそこにおられ、神はご存じであり、神はそれが無駄になることはないと約束しておられるということです。世俗の作家、無神論の作家たちは、永遠の死で終わる人生の空しさを受け入れるためにもがいています。彼らは答えを求めてもがき苦しみますが、何も見いだせません。なぜなら、この世の人生は、何ももたらさないからです。しかしヨブ記は、死を免れない命を持つ私たちがおびえる「無」の向こう側に、超越的な現実があることを指し示しています。ヨブ記は、私たちに起こるすべてのことは他と無関係に起こるのではなく、起こっていることをすべてご存じである神、いつの日かすべてを正すと約束しておられる神がいる、と教えています。ヨブ記がどんな重要な疑問を答えのないまま残すとしても、それは私たちの手に命の灰以外に何も残さないということはありません(創3:19、ヨブ2:8参照)。むしろヨブ記は、希望の中の希望、私たちが直接感じられるものを超えた希望を私たちに残します。

木曜日:ヨブ記1:1とⅠヨハネ2:1、ヤコブ5:6、使徒言行録3:14を比較すると「正しい人」という共通点があります。マタイ4:1~11を読むと、イエスとヨブの間に「悪魔から誘惑を受けた」共通点があります。マタイ26:61、ルカ11:15、16、ヨハネ18:30を読むと、これらの聖句は、「悪いことをしていると思われた」ヨブの経験と類似しています。ヨブ記1:22とヘブライ4:15を比較すると、「試練にあった」という共通点があります。
 このようにこれらの聖句は、ヨブとイエスの経験の間に興味深い共通点があることを明らかにしています。言うまでもなく、ヨブは、イエスように罪がなかったわけではありません。しかしそれにもかかわらず、彼はその生き方が神に栄光を帰すような忠実で正しい人でした。ヨブは、イエスと同じように悪魔によって激しく試みられました。ヨブ記全体を通じて、彼は不当な非難を受けましたが、イエスもまた、不当な非難に直面されました。

 通常よりも一週多くヨブ記から学んで来ました。この学びからあなたには何が語られましたか?
 わたしたちは今という時しか生きることができません。今起こっていることからしか残念ながら判断をすることができないのです。その限界を認めて謙虚に生きること、そして神さまはもっと広く深い道を用意されていることを信じて進むしかありません。
 もう一つは、どんなことがあっても神さまを信頼して忠実に歩むことです。これからも悪魔は様々な誘惑や苦しみを与えて、わたしたちの信仰の灯を消そうと働きかけて来るでしょう。けれども光を信じて歩み続けてください。またもし灯が消えていることに気づいたら、また点灯すれば良いのです。
 今年もいろいろなことがありましたが、生かされて一年を終えることができました。新しい年もきっといろいろなことがあるでしょう。どんなことがあっても神さまに信頼して歩む、そんな一年にしたいですね。