第14課 山本義子

2016年 第4期 ヨブ記

第14課 ヨブ記からの教訓

日曜日 見えるものによらず、信仰によって
すべての試練は、私たちが永遠のみ国に持っていくことのできる唯一の品性の形成のためにゆるされています。ですから私たちが理解できない大きな苦しみや悲しみを経験しようとも、信仰の目を通して全ては益になることを知って主を喜ぶことができます。「一時的なことに我々の全注意を寄せるべきではない。・・・天の経路の中で考え、また霊的な洞察力によって見えない永遠の事柄についてよく考えることができるように、我々は心を訓練し、しつけ、教育しなければならない。我々が心の強さと霊の活力を得ることができるのは、見えないお方を見ることによるのである」(サインズ・オブ・ザ・タイムズ1893. 1. 9)。

月曜日 邪悪な存在
神さまはヨブに天地創造について語り、60以上の質問をしている中で「あなたはレビヤタンを打ち負かし、殺すことができるのか?」(ヨブ記41:1参照)。と言われました。この時代の人々は、レビヤタンの名前を知っていたようです。それは「7つの頭を持った生き物で、神がこの世界を創るためには、レビヤタンと戦い打ち負かす必要があった」(神話)ということです。多くの聖書学者によれば、レビヤタンは口から火と煙を吐き、水を沸騰させるワニだそうです。また、ドラゴン、龍ともいえる破壊しがたい、強靭無敵の存在です。小さな黙示録とも言われているイザヤ書27:1を見てみますと、レビヤタンの実体が見えてきます。
ヨブは天地創造の唯一の神さまを信じてはいましたが、本質的にレビヤタンがヨブの体験した全ての苦難の火元であることを悟りました。

火曜日 このような友人たちと
サタンはヨブの友達を使ってヨブに敵対させ、ついにヨブが最後の砦として持っている「高潔さ」を放り投げて、神さまを呪って死ぬようにけしかけています。人を裁く、非難することは自分を神さまの立場に置くことです。「クリスチャンの愛はいつも、人を非難するのに遅く、悔い改めをみとめるのに早く、人をゆるし、励まし、さまよっている者を聖潔の道に歩ませ、彼の足をそこにしっかりとどめるようにするのである」 (希望への光 913頁)。

水曜日 茨とあざみ以上のもの
パウル・ティリッヒは3つの実在的不安として「死の不安」「罪の不安」「無意味さの不安」を挙げています。人間は無意味な苦難には耐えられませんが、「なぜ生きるかを知っている者は、ほとんどあらゆる如何に耐えられる」(ニーチェ)。のかもしれません。詩篇記者を悩ました難問は、彼が聖所に行き神さまとの出会いを経験する時、人生に対する自分の見方が変えられました。聖書のみ言葉(預言)を通して世界歴史の結末、新しい永遠の世界の現実を知る時に真の希望の光が心を明るく照らします。

木曜日 イエスとヨブ
ヨブは勝利を得ることにより、神さまへの正当性が立証されました。彼はたとえ疑いと混迷の中にあっても神さまに忠実であり続け、神さまの手を決して離すことなく信仰を守り通しました。ヨブ記には大争闘のテーマがあります。歴史を通して神さまのご品性と律法、宇宙に対する主権をめぐる戦いが繰り広げられています。その戦いのクライマックスである十字架において、キリストが示された自己犠牲の愛と父なる神さまに対する信頼と忠誠は、サタンの最終的な敗北を確かなものとしました。

終わりに
ヨブ記は艱難の時に神の民が体験することを正に描いています。恩恵期間終了後、神さまはサタンに地球の全てを支配することを許可されます。艱難の時の間、神の民は全てを失ってしまうはずです。そのような危機に備えて、今私たちはヨブの体験を自分の体験として受け止めていく必要があります。父なる神さまが全宇宙の前で、ご自分のご品性の無実を証明するために、キリストを通して私たちの世界に来られたのです。