第2課 聴覚しょうがい者用:武田将弥

2016年 第4期  ヨブ記

第2課 大争闘

1・『今週のテーマ』
 聖書は創世記(そうせいき)から黙示録(もくしろく)まで、常に善と悪の大争闘(だいそうとう)というテーマを「神様」と「サタン(悪魔)」そして「人間」という図式(ずしき)で説明していますが、その中でヨブ記のストーリーは、聖書全体を通して伝(つた)え続けている大争闘を、とても分かりやすく伝えている物語(ものがたり)となっています。サタンは自分が滅(ほろ)ぶ運命にあるので、人間を誘惑(ゆうわく)して滅びの道連(みちづ)れにしようとしますが、神様はそれを何としても止(と)めようと必死(ひっし)に働きかけておられます。
 この大争闘は、善なる神様の正しさを証明し、サタンは欺瞞者(ぎまんしゃ)(嘘(うそ)つき、ペテン師(し)、サギ師などの意味)であったことを全宇宙(ぜんうちゅう)のみんなが納得(なっとく)し、罪の恐ろしさを心の底から知るための聖なる戦いでもあるのです。今週はヨブ記を学びながら確認(かくにん)していきます。

2・『地上の小さな天国(日)』
 ヨブ記は最初に、大金持(おおがねも)ちで何不自由(なにふじゆう)なく暮(く)らしていた男(ヨブ)がいたことの説明(せつめい)から始まります。しかしなぜその男が幸(しあわ)せで豊(ゆた)かであったかの理由が判明(はんめい)します。それは天の神様が信仰深いヨブを愛し、守ってくださっていたからでした。このヨブの姿は創世記のアダムや現在の我々ととても似ていて、人間は神様(イエス・キリスト)を近くに感じ、守ってもらうからこそ安心と平安な毎日を送ることが出来るのです。
 ヨブ記の1:4~5を読むと、ヨブの子供たちは家のパーティの準備をしており、恒例(こうれい)のこの宴会(えんかい)が一巡(ひとめぐ)りするごとに、息子(むすこ)たちを集めて「聖別(せいべつ)」するために、家族の数と同じだけイケニエを捧(ささ)げていたようです。「もしかしたら私の知らない内に息子たちが罪を犯(おか)したり、心の中で神を呪(のろ)ったりしたかもしれない…」と思ったからでした。これは今の我々でいう「礼拝」です。ヨブのいた場所はエデンの園(その)ではなく、我々と同じ罪の影響(えいきょう)を受けた、呪(のろ)われた大地(だいち)でした。ですから気を抜(ぬ)くと簡単に罪を犯したり、神様を悪く思ってしまったりする危険がありました。本来(ほんらい)ならば罪を犯した場合、本人が生け贄(にえ)を捧げるのが筋(すじ)ですが、ヨブは一家(いっか)の代表であり祭司(さいし)でもあったので、神様と人間の間に入って執(と)り成(な)しの働きをしたのです。
 このようにヨブは大金持ちでしたが傲慢(ごうまん)にならず、神様に対して精一杯(せいいっぱい)に仕え、責任を一生懸命に果(は)たしておりましたので、神様もヨブを特別に愛し、いつも優(やさ)しく見守っておられたのです。

3・『宇宙規模(うちゅうきぼ)の争い(月)』『地上での争い(火)』
 ヨブ記の1:6~12では突然(とつぜん)お話の場面(ばめん)は変わって、神様や天使たちの前に悪魔(あくま)サタンが現(あらわ)れます。神様の質問に対して悪魔は「地上を自由に巡回(じゅんかい)していました」と言い放(はな)ちます。これは明(あき)らかに神様に対する挑戦(ちょうせん)でした! 要(よう)するに「地球は私の土地ですから自由に歩き回(まわ)っていました」と言っているのと同じです。
 考えてみて下さい。もしも皆さんが自分の家の外を見た時に、知らない人がまるで自分の庭のように歩き回り、あなたが大事に育てた花や野菜を勝手に引っこ抜いたり、食べ始めたり、変な薬や、謎(なぞ)の種(たね)を蒔(ま)き始めたらどうでしょうか? あるいはブルドーザーで乗り込んできて、勝手に庭の雰囲気(ふんいき)を造り変え始めたらどうでしょうか? 普通なら「コラー! 私の大切な庭で何をしているんだ。出て行けー!!!」と怒って当然(とうぜん)です。しかしその人が「黙(だま)れ、うるさいぞ。この庭と土地は私のものだ。自分のものを自分の好きにして何が悪い! お前こそ出て行け。」と開(ひら)き直(なお)ったらどうでしょうか。きっとあなたの家族や友人も、この知らない人を追い出そうとして一緒(いっしょ)に怒ってくれるでしょう。
 しかし神様の場合(ばあい)はそうではありませんでした。周(まわ)りにいた天使たちはきっと心の中で(サタンめ、我らの王の前で無礼(ぶれい)なことを…何という恥知(はじし)らずな奴(やつ)だ、許(ゆる)せん!)と思ったはずですが、天使たちは全宇宙(ぜんうちゅう)の王様である神様の前に居ましたから、誰も神様より先に口を開きはしません。自分達の主人がどうなさるかを見守っていたのです。
 人によっては(早くサタンなんか滅(ほろ)ぼしちゃえばいいのに…どうして神様はサタンを放(ほう)っておくのだろう?)と思うかもしれませんが、それこそまさに敵の思う壺(つぼ)なのです。もし神様が「無礼者(ぶれいもの)! サタンよ、滅(ほろ)びてしまえ!」と怒(いか)りにまかせてやってしまったら、サタンにはしっかりと反撃(はんげき)の用意ができており、「おい、みんな聞いたか? 俺(おれ)が悪魔(あくま)だなんてとんでもない! コイツこそいつも正義とか言って、気に入らないやつはすぐに消(け)そうとするとんでもない奴(やつ)だぞ。厳(きび)しくて怖(こわ)くて心の狭(せま)いコイツこそ悪魔じゃぁないか! みんな目を覚(さ)ませ、コイツは愛の神なんかじゃなくて恐ろしい悪魔だ! あ~あ、命をかけてそのことを証明したのに、滅(ほろ)ぼされちゃう俺(おれ)って本当にかわいそうだな~(ニヤリ)」と、サタンはきっとこんな感じで切(き)り替(か)えしてくるでしょう。だからサタンは神様を怒らせようとして、いつも色々な方法で挑発(ちょうはつ)・挑戦(ちょうせん)しているのです。
 しかし神様はそこの話には触(ふ)れません。宇宙で一番忍耐強く、愛に溢(あふ)れる神様は、その場でサタンを滅ぼしてしまうような事はせず、聖書にある「毒麦(どくむぎ)のたとえ」や、他のたとえ話にもあるように、神様とサタンのどちらが善で聖なる存在(そんざい)なのかを、全宇宙(ぜんうちゅう)の者たちに分からせるため、終わりの時までサタンを滅ぼさずにいるのです。
 そして神様は代(か)わりに話題(わだい)を変えて、自分の愛する人間ヨブの話をします(ヨブ記1:8)。神様が嬉(うれ)しそうに語(かた)っているのが印象的(いんしょうてき)です。『言っておくが、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間(なかま)であると言い表(あらわ)す者は、人の子も神の天使たちの前で、その人を自分の仲間であると言い表す。しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、神の天使たちの前で知らないと言われる(ルカ12:8~9)』という聖句があるように、ヨブは神様のことを家族の前だけではなく、いつも多くの人達の前で伝道や証しをしていたので、全(すべ)てをご存知(ぞんじ)の神様は、ここでヨブの名前を出されたのでしょう。この点は非常に大事です。
 
4・『宇宙の縮図(しゅくず)としてのヨブ記(水)』『十字架での答え(木)』『さらなる考察(こうさつ)(金)』
 聖書を読み進めていくと、創世記から黙示録にかけて、必ず神様と人間の関係について勉強することになります。そこで必ず邪魔(じゃま)をするサタンの存在(そんざい)があり、人間は神様とサタンのどちらを選(えら)ぶのかを、自由意志によって常に迫(せま)られています。これが聖書のテーマである大争闘です。神様は命令によって無理やり強制(きょうせい)された服従(ふくじゅう)や信仰ではなく、自らの意思と愛情で従う信仰心を求めておられます。聖書の話は他人事(たにんごと)ではなく、私達に起こっている問題です。
 これから始まるヨブのお話は、サタンが暴(あば)れまわっている終わりの時代を生きていくクリスチャンにとって、とても役(やく)に立つ重要(じゅうよう)な学びとなるでしょう。この苦しい時代を共に生きる皆様の上に、神様の豊かな祝福がありますように!