第3課 城美崇光

2016年 第4期 ヨブ記

第3課 「利益もないのに神を敬うでしょうか」

はじめに
 私たちは神様から沢山の祝福を頂いています。しかしそのことに気が付いていない時の方が多いのではないでしょうか。ヨブはヨブ記2:10では、「われわれは神から幸をうけるのだから、災をも、うけるべきではないか」と言っています。「なぜこのような悲劇が自分に、また自分の周りに起こるのだろうか。」わたくしたちが不幸にあったとき、ヨブのように、神様からの祝福を思い起こすことが出来るでしょうか。キリストとサタンの戦いが他人事ではなく、私たち自身の中で起こっている。とヨブ記を通して言っています。

日曜日 神の僕、ヨブ
 1章8節で、神様がサタンに「わたしのしもべヨブのように….」とヨブの存在を問うています。この時点でサタンはまだヨブの存在を口にしていません。もしこの問いがなかったなら、このヨブ記は始まらなかったかもしれません。東の人々の中で一番多くの財産を所有していました。言い換えるなら、ヨブは神様から当時一番祝福された人物でした。考えてみてください。私たちに益になることをしてくれる人を憎んだりすることはありえません。むしろ感謝の気持ちを表現しようとするでしょう。ヨブの経験は神様が与え、そして取られる。神様が全ての支配者であるということを教えています。

月曜日 皮には皮を―戦は続く
 私たちが所有する物すべては神様から与えられたものです。たとえそのことを良く分かっていたとしても、ヨブのように立て続けに災難に見舞われすべてを失うことは想像できません。もしもわたくしたちがヨブの立場に置かれたならば、耐えがたい精神的な困難を感じるでしょう。それに加えてヨブの身体には異変が生じるのです。ヨブが体験した災難はヨブの知らないところで、神様とサタンの間でのやり取りの中で許された出来事です。私たちが体験する様々な出来事の中には、理解出来ないようなことが沢山あります。しかし、神様は全てをご存じです。その神様に私たちの全てをゆだねる信仰を日々頂きましょう。

火曜日 主の御名はほめたたえられよ
 ヨブはなぜ、「主の御名はほめたたえられよ」と言ったのでしょうか。神様が祝福して下さり、災いから守ってくださるからでしょうか。ヨブがこう言った時の状況は、まったく正反対でした。このことは、たとえどのような状況にわたくしたちがおかれても、「主のみ名を賛美します。」ということができることを教えています。たとえ神様の祝福や、守りを感じることが出来なくても、神様をほめたたえる。ということは、真の神様に対するヨブの信仰の表明です。

水曜日 ヨブの妻
 日本は自ら命を絶つ人が年間3万人ほどいます。残された者の悲しみは計り知れません。ヨブの妻は、ヨブと同じようにこの物語における犠牲者です。大切な自分の子供達が次々と亡くなっていくことは、たえられない悲しみであったことでしょう。その悲しみはヨブに向けられているのかもしれません。ヨブの物語は他人事ではなく、私たちにもあてはまることを覚える必要があります。そして、残された者がどのように支えあっていくべきか教えています。

木曜日 死に至るまで従順
 「死に至るまで従順」とありますが、神様とサタンとのやり取りの中で、ヨブは全てを奪われ、身体はおもい皮膚病に犯されました。しかし、命は保障されていました。そのなかでヨブは信仰を試されています。
 イエス・キリストは悪魔に試みられるために40日の間を荒野ですごされました。サタンはイエス・キリストを誘惑し、罪を犯させようとしましたが、ヨブも罪を犯さなかったように、イエス・キリストも罪を犯されませんでした。イエス・キリストとヨブの違いは、ヨブの命は守られていましたが、イエス・キリストには命は保障されていませんでした。イエス・キリストの試練は十字架の死まで続きました。まさにイエス・キリストは死に至るまで従順でした。私たちの信仰の模範はイエス・キリストです。イエス・キリストに倣いましょう。日々祈り、その祈りの中で神様と繋がり、神様から力をいただきましょう。