第4課 平田和宣

2016年 第4期 ヨブ記

第4課 神と人間の苦しみ

自然界の中の神
 「世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性とは被造物に現れており、これを通して神を知ることができます」(ローマ1:20)。神秘に満ちた自然界を観察するほど、何も無いところから自然発生的に出来上がるはずのない素晴らしい仕組みを見、同時に創造主の存在を意識せざるを得ません。私の安物の腕時計(安物のわりに、長年故障せず動いてくれています)でさえ、自然発生的に出来たものではありませんし、部品に分解して外に撒き散らし放っておいても何万年経とうと腕時計には戻りません。ましてやこの素晴らしく良くできた世界が、なぜ自然発生的に存在していると多くの人は言うのでしょうか?進化論教育に洗脳されているか、或いは創造主を否定することにこだわっているとしか思えません。

最古の書巻
 ヨブ記は聖書の全ての書巻の中で最古のもの、著者はモーセとされています。「最古」を裏付けるかのように、ヨブ記の記述中には「イスラエル」とか「神の民」とか、他の書巻に当たり前のように登場するイスラエル関係用語が出てきません。強いて言えば、40:23に「ヨルダン」が出てきますが、後は全く、です。しかし大切なことは、聖書の最古の書巻にも拘らず神とサタンの大争闘という背景が既に教えられており、また理不尽とさえ感じられる苦しみを経験したヨブの物語を通して人間の苦しみというテーマに触れ、神は全てをご存じで決して信じる者を置き去りにはされないことが教えられているという点ではないでしょうか。

難問
 さて、ヨブの経験した苦しみとは、一体どのようなものだったのか。
 この世で私達が経験する苦しみは、二種類に分けられるのではないでしょうか。一つは気付いていようといまいと自分で原因を作ってしまった結果としての苦しみ(認めることが難しい場合が多いですが)。もう一つは全く自分には原因が無いのに降りかかってくる苦しみ。ヨブが経験した苦しみは後者でした。なぜなら、彼について「無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きていた」と1:1にわざわざ明記してあり、決定的なのは神ご自身がサタンに対して同様の言葉を述べておられるからです(1:8)。神に認められるほどヨブは清く正しい人でした。私達(?!)、少なくとも私とは全く違う種類の人だったということです。
 そして、それにもかかわらず痛めつけられ様がひどかった。苦しくないはずがない! それまで神の御前に清く正しく生きてきたからこそ、そして大いに祝福されていたからこそヨブは苦しんだはずです。
 ここで注目しておきたいことがあります。通常なら、「神も仏もあるものか!」と言ってしまう場面ですが、ヨブは違いました。壮絶な苦しみを体験しながらも、神の存在を否定してはいません。神の存在を否定できないほどに、日頃から神と近しく歩んでいたからでしょう。だからこそ、「神がおられるのに、なぜ?」と彼の苦しみは激しかったに違いありません。
 ヨブが激しい苦しみの中で抱いていた疑問、それは神の御品性に関する問いであり、まさに私達の生きている世界の背後で繰り広げられている、時代を超えた大争闘のテーマでもあります。
 さて、ヨブはどのようにして激しい苦しみを伴ったこの問いに解決を得たのでしょうか。
 まず、ヨブは自分の苦しみを神のもとへ持っていきました。苦しい気持ちを神の御前に注ぎ出しました。「民よ、どのような時にも神に信頼し 御前に心を注ぎ出せ」(詩編62:9)と書かれてある通りです。
 そして主はそれに応えて下さった。そのやり取りの中でヨブは自分の高慢を悟り、悔改めて全面的に神に信頼する心の変化を経験しました。それはきっとそれまでとは違う更なる平安の深み、更なる信仰の深みへと入っていく経験だったのではないでしょうか。全てが明らかにされていないにも拘らず…。
 もう一つ忘れてならないのは、それまでの主との関係の積み重ねがヨブにはあったという点です。この苦しみを経験する以前の、主との近しい歩みの日々があったからこそ、今回の試練を通して更なる境地へと入っていけたのではないでしょうか。そのようにして壮絶な苦難さえも益とされていったように感じられます。

神義論
 千年期後の出来事として、黙示録にはこう書かれています。「また見ていると、大きな白い御座があり、そこにいますかたがあった。…また、死んでいた者が、大いなる者も小さき者も共に、御座の前に立っているのが見えた。かずかずの書物が開かれたが、もう一つの書物が開かれた。これはいのちの書であった。死人はそのしわざに応じ、この書物に書かれていることにしたがって、さばかれた」(20:11~12)。この時に全てのことが明らかにされ、「人類、サタン、罪に対する神のあらゆる扱いの中に、神の善、正義、愛、公平を見ることができるでしょう」(30頁、本文下から7行目)。こうして神も人も共に苦しんできた大争闘が、最終的に終結するに至ります。