第4課 聴覚しょうがい者用:浦島智加男

2016年 第4期  ヨブ記

第4課 神と人間の苦しみ

1.初めに
 ヨブ記は、私たちの教会では、モーセの著書であるとなっています。モーセがエジプトにいるとき、 自分はエジプトの王子としての身分を得ていましたが、自分と同じ民族のイスラエル人がエジプトで奴隷にされて虐待(ぎゃくたい)(いじめる)されているのを見るに忍(しの)びず、その虐待している人を殺してしまいました。
そしてモーセは、エジプトを追(お)われてミディアンという土地(死海のずっと南にある地方)に逃げ込み、エテロという人の家族に助けられて、40年間この地にかくれ住んでました。
 ここで、神様と出会い、彼に啓示(けいじ)(神様から与えられる真理の言葉・これが聖書になる)が与えられて創世記とこのヨブ記を著(あらわ)しました。ヨブはウズの地に住んでいたと書いてありますが、ウズがどこにあったかは分かりません。 ヨブも族長として描(えが)かれているのでその頃の時代の人でしょう。そのことからすると、アブラハムが住んでいたパダン・アラム(メソポタミヤの北部)の地方が考えられています。
 ヨブ記の1章から3章までは、神と天使が集まる会議にサタンが顔を出して、神様に疑問を投げかけました。彼はその当時の人間が住んでいる所をあまねく回って、人間の思想や傾向などをずっと調べて来たようです。彼は人間の弱点や過(あやま)ちを取り上げて、罪を犯した者は、救わるべきではないと神に主張する存在として描かれています。
 「我々の兄弟たちを告発するもの、昼も夜も我々の神の御前で彼らを告発する者」とヨハネ黙示録12章10節にある通りです。神が人間を取り扱う方法は間違っている、これがサタンと神様の間の問題、すなわち大争闘の論点がヨブの存在をめぐって展開されているわけです。

2.10月16日(日) 自然の中の神
 人間とそれを取り巻く自然は、人間を中心にした世界であって、人間の幸せのために神が設計されたものとして大部分の人が、特別な疑問をいだいていなかったのです。ところが19世紀の半ばに、ダーウィンという人がこれに疑問を投げかけました。世界は、神が創造されたのではない、地球の自然が整(ととの)っていたので、そこらにある物質が寄り集まって、微生物(びせいぶつ)になり、それが長い時間をかけて次第に進化してきて、今私たちが目にしている、植物や動物のように発展してきたのだ、と言い始めました。
 そのころ、科学が発達しつつあったこともあって、化石(かせき)や地層(ちそう)などを調べて、あたかもこの進化論を科学の学問のようによそおっては発表したのです。神様の存在(そんざい)を信じない人々は、それに飛びつき、いまでは、進化論(しんかろん)が科学の真理のように人々は受け入れられ、信じ切っています。とくに日本では、学校の教科書にのせられ、教えられていますので、神様の創造を信じて疑わない私たちの悩みの種です。また、伝道のさまたげにもなっています。
 しかし、いま世界中で、創造論者(そうぞうろんしゃ)といわれる科学者たちによって、この進化論がいかにウソであるかが解(と)き明(あ)かされています。そのうち、ローマ書1章、ヨブ記12章にあるように、「神の創造(そうぞう)の力と神性(しんせい)は被造物に現れていることが」しれわたり「彼らには弁解(べんかい)の余地(よち)がありません」ということになる日が近いのです。

3.10月17日(月) それ自体から生じたものは何もない
 進化論を信じている人たちは、今、私たちの周囲にあるもの、とくに植物や動物、昆虫(こんちゅう)などは、何もないところから、自然に発生してきたと考えました。たしかに、水たまりがあるとそこに「ボウフラ」が湧(わ)いてきて「蚊」がでてきます。肉が腐(くさ)るとウジ虫が出てきます。しかし、パスツールという科学者が、フラスコ(ガラスびん)にお湯を沸かして、上からしっかり蓋(ふた)をしめておきましたら、何日経(た)っても、中の水が腐っても何も出てきませんでした。これから、物は自然に発生しないことが分りました。
 特に動植物など命は、多くの科学者たちが、生命(せいめい)発生(はっせい)装置(そうち)を考えて、命あるものを作り出そうとしましたが、これまで一度も成功したことはありません。そこに、あるものは、誰かが造ったか、自然にできたかの二つしかありません。あらゆるものは、偉大な知恵と力をもつ神様がお造りになったと考えるほうが理(り)にかなっています。進化(しんか)論者(ろんしゃ)の人たちは、それでも理にかなわないことを懸命(けんめい)に信じ、しがみついているのです。

4.10月18日 (火) 最古の書簡
 私たちは、聖書の中で創世記が、最初に書かれて一番古い書簡(しょかん)だと考えていますが、じつは、創世記を書く前にモーセがヨブ記を書いたことが、歴史の研究からわかってきました。
 人間が罪を犯して以来、この世界はどのようにして造られたかという疑問より、なぜ人間には、このような苦しみがあるのか、人生の苦難はどこからやってきたのか、つらい苦しみをどのように乗り越えていったらよいのか、という事の方が切実(せつじつ)な問題だったかもしれません。モーセは、ヨブにおきている様々(さまざま)な出来事(できごと)の情報(じょうほう)をどこから手に入れたのかもわかりません。
 メソポタミヤ地方では、「最初のヨブ」とか「バビロニヤの神(しん)義論(ぎろん)」などヨブに似通(にかよ)った、知恵(ちえ)文学書(ぶんがくしょ)がいくつか発見されています。モーセもそのあたりからヨブの生きざまの情報を得ていたと思われます。

5.10月19日 (水) 難問
 ヨブが苦難と災害を受けたとき、最も近くにいて慰(なぐさ)め励(はげ)ましてくれるはずのヨブの奥さんが、反対に信仰を失った人のような言葉を投げつけました。「これほどまでに、災害が起きたのは神様からあなたは見捨てられたのよ。呪(のろ)って死んだほうがましでしょう」
 これは、これまで受けた被害の傷口(きずぐち)に、塩を塗(ぬ)るような痛みでした。これは、ヨブが神を呪うようになるだろうというサタンの計画に沿(そ)うものでした。ヨブに向かって信仰を捨てるような勧(すす)めであり、彼女自身も信仰を失っていることを表しています。この女自身も気づいてはいなかったでしょうが、この試練(しれん)によって、先週のガイドで問題になっていたヨブの妻の信仰は「御利益(ごりやく)信仰(しんこう)」であつたことがはっきりしました。
 「あなたは、愚(おろ)かな女だ」とヨブは妻を非難(ひなん)していません。「あなたらしくもないことを言ってはいけないよ」と言って、「私たちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではではないか」とさとしています。これはまよっている妻を立ち上がらせようという思いにあふれた言葉です。その結果は何も書かれていませんが、おそらくは、神様の恵みによって立ち直ったのではないかと思われます。ヨブ記の最後を見ると、また子供が10人与えられている現実(げんじつ)があるからです。

6.10月20日 (木) 神義論
 ヨブの受けた災害が異常(いじょう)なことであることを知った親しい友達3人がヨブを慰めようと「相談して」それぞれの地方からやって来ました。テマン人のエリファズ、テマン人もどの地方の人かわかりませんが、エドムの地を指(さ)していると思われます。シュア人ビルダド、シュアというのは、ユウフラテス川の西岸の地にあるという説と、アブラハムの子シュハの子孫であるという二つの説があります。ナアマ人ツフォファル、ナアマとはこれもはっきりしませんが、北西アラビヤのジュベル・エン・ナーメという地の人という説があります。この3人とヨブの4人で、それぞれ意見を述べ合い、ヨブが自分の神観(しんかん)、世界観、信仰の問題を述べ合って、人間苦難の問題をときあかしていくという設定(せってい)になっています。大争闘の中心は、神の義が主題(しゅだい)です。この4人の討論(とうろん)はこの「神の義」について固い愛なので「神義論(しんぎろん)」という表題(ひょうだい)になっています。