第5課 山口 豊

2016年 第4期 ヨブ記

第5課 その日を呪いなさい

はじめに
 ヨブが体験したことは、この罪の世界では起こりうることであることを理解してヨブ記を読む必要があります。ヨブの立場に身を置いてみましょうとすすめられていますが、それは、私たちがこの堕落した世界で、悲劇や苦しみがもたらす当惑を多少なりとも味わっているからです。神様に従って歩む人にもそのようなことが起こることを私たちは知っています。

日曜日 その日は消えうせよ
 人生に意味があるのかといろいろな場面で考えるときがあると思います。そして、本当に苦しい場面に立たされたとき生まれてこなければよかったと口にしたいと思うときもあるかもしれません。しかし、私たちが無神論者や懐疑論者と違うのは、命の源である創造主である神様を知っていて信じていることです。私たちの命は神様からいただいたものです。だから、どんなときも希望を持つことができます。

月曜日 墓の中での憩い
 生まれてこなければよかったという言葉と、もう死にたいという言葉も苦難の場にあってはよく聞く言葉かもしれません。10人の子どもに先立たれる苦難は想像するに恐ろしい体験です。なので、ヨブは死ぬことにより憩いを得たいと発言します。聖書が教える「死後の状態」についての理解を助けてくれる表現をヨブがしています。ヨブが考えている死後の状態は、コヘレト9:5や、ヨハネ11:11~14に書かれていることに一致しています。死者はなにも知らず、眠っているのです。気をつけたいことは、死後は何も知らないから楽になるということで現在の苦痛から逃れる道があるというわけではありません。

火曜日 ほかの人たちの苦痛
 身体の痛みを伝えるのは非常に難しいことです。ズキズキと痛むのか、ガンガンと痛むのか、キリキリするのか。それがどれくらいの広さでどのように痛むのか。他の人の身体の痛みをはっきりと理解することはできません。同じように他の人が味わっている心の苦痛も理解することはできません。子どもが病気で苦しんでいるときに親が代わりになってあげることはできません。人間の苦しみが個人に限定されていることを考えましょう。それとともに、苦しみの中にある人に寄り添い、和らげることについても考えましょう。

水曜日 機の梭(補足)
 布は縦の糸と横の糸を織ることで出来上がります。機織り機はそれを早く行うために作られました。縦糸を張り、そこに横糸を通します。それを通す道具を梭(ひ)と呼びました。布を織ることは時間がかかりますが、梭を使うと横糸がサッと通ります。一瞬にして梭が縦糸を横切る様を、とても早いと感じる人の一生になぞらえた表現です。早く死んで楽になりたいと思っていたヨブは、今度は自分の人生が早く過ぎ去ることを嘆いています。病いと向かい合っている人が、アドベンチストは長生きするので、苦難が長引くのがいやだと言っていることについて、私たちはなんと答えますか。神様を信じている私たちが持っている希望は、何を教えてくれますか。

木曜日 「人間とは何なのか」
 苦難を目の前にすると、自分になぜこんなことが起こるのかと考えます。そして誰の上にも苦難が訪れます。それなので人は「人間とは何なのか」と考えるのです。自分の命が何のために存在するのか、こんな苦しいことがあるのにこの生命に意味があるのか。人間が偶然に生まれたのであればその疑問に答えることはできずに終わってしまいます。暗唱聖句をもう一度見てみましょう。「主よ、わたしたちの神よ、あなたこそ、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方。あなたは万物を造られ、御心によって万物は存在し、また創造されたからです。」それとともにヨハネ3:16、Ⅰヨハネ3:1を読むと神様が人間にどれだけの愛を注がれているかがわかります。それは罪の世界にいる一人ひとりに向けても変わらず注がれている愛です。罪が存在するこの世界で、罪が引き起こすさまざまな苦難によって人はその愛から目をそらしがちです。金曜 日の引用文はそのあらわれです。

 ヨブの体験から苦難の中にあるときは、神様に忠実な人であっても、神様の愛から目をそらしてしまうことがあることを学びました。しかし、神様を信じている私たちが取る立場は一つです。神様から注がれている愛を受け、それに応答することです。