第6課 聴覚しょうがい者用:英田恭司

2016年 第4期  ヨブ記

第6課 呪(のろ)いは原因不明(ふめい)なのか

はじめに
 今週はエリファズの言葉を吟味(ぎんみ)(【そのまま受け入れて良いかどうか】念(ねん)入りに調べること)します。ガイドの学びと共に、中心の箇所(4-5章)を何度(なんど)も読んでみましょう。
 エリファズは、ヨブの身(み)に起こったことを聞いて、ヨブを見舞い慰(なぐさ)めようと相談してそれぞれの国からやってきた3人の親(した)しい友人の一人でした。(あとの二人は、ビルダドとツォファル。彼らの言葉は来週のガイドで取り扱います)
 先週は、ヨブの嘆(なげ)き(3章)とエリファズの弁論(べんろん)(筋道(すじみち)を立てて自分の意見(いけん)を述(の)べること)に答えたヨブの言葉(6-7章)を中心に学びました。今週はエリファズの弁論(べんろん)(4-5章)を、来週はビルダドとツォファルの弁論(8章、11章)を学びます。ヨブ記の大部分(3-31章)は、ヨブとこの3人の友人との対話(たいわ)で占(し)められています。先週と今週そして来週扱(あつか)うヨブ記の箇所(かしょ)は、主にヨブと3人の友人の対話(ヨブ⇒エリファズ⇒ヨブ⇒ビルダド⇒ヨブ⇒ツォファル⇒ヨブ)の第一回目の議論(ぎろん)を扱(あつか)っています。同じような議論があと二回繰(く)り返されます。このような構成(こうせい)を理解(りかい)して、ヨブ記に親(した)しんでください。

ヨブと3人の友人の対話は、下記のとおりです
第一回目の議論(3章~14章)
第二回目の議論(15章~21章)
第三回目の議論(22章~31章)

1.エリファズの言葉
ヨブ記4-5章に書かれているエリファズの言葉を、調べてみましょう。

① ヨブ記4:8 わたしの見てきたところでは/災(わざわ)いを耕(たがや)し、労苦(ろうく)を蒔(ま)く者が/災いと労苦を収穫(しゅうかく)することになっている。
 5:6 塵(ちり)からは、災(わざわ)いは出てこない。土からは、苦しみは生(しょう)じない。

 エリファズは、呪(のろ)いは原因不明ではなく、必ず原因があると主張(しゅちょう)しました。
 エリファズの主張は、ヨブに災いや苦しみが起こるのは、ヨブが災いや苦しみの種(たね)をまいたからだ。わたしが見てきたところ(いろいろな経験を通して学んだところ)では、この道理(どうり)は確(たし)かだというものだった。

 ヨブ記6:10 仮借(かしゃく)ない(苦しい手加減(てかげん)しない)苦痛の中でもだえても/なお、わたしの慰(なぐさ)めとなるのは/聖なる方の仰せを覆(おお)わなかったということです。

 エリファズの説明に対してヨブの答えは、苦しい状態が続いているけれど、エリファズが道理(どうり)として示したことに思い当たらない。ヨブは聖なる方の仰(おお)せに背(そむ)いたことはないと主張しました。

② ヨブ記4:12 忍び寄る言葉があり/わたしの耳はそれをかすかに聞いた。
  4:13 夜の幻(まぼろし)が人を惑(まど)わし/深い眠りが人を包むころ
  4:17 「人が神より正しくありえようか。造り主より清くありえようか。」

 エリファズは、人間という存在(そんざい)は、どういうものかを説明しています。(人間は何者(なにもの)なのでしょう)
 エリファズは、わたしには特別な啓示(けいじ)(忍び寄る言葉、夜の幻)が与えられた。その啓示とは、人間は生まれながら、神より清くない存在だということを主張(しゅちょう)しました。

③ ヨブ記5:8 わたしなら、神に訴(うった)え/神にわたしの問題を任(まか)せるだろう。
   5:17 見よ、幸いなのは/神の懲らしめを受ける人。全能者の戒めを拒(こば)んではならない。
   5:18 彼は傷つけても、包み/打っても、その御手(みて)で癒(いや)してくださる。

 ヨブが直面(ちょくめん)している問題の処理(しょり)について、エリファズの提案(ていあん)(ヨブ記5:8-27)
 神は大いなることをなさる偉大(いだい)な方(かた)であるが、同時に癒(いや)しの神でもあり、弱い者の味方である。だから、神の懲(こ)らしめを受け入れて神に立ち返りなさい。そうすれば、元のような生活に戻れるようにしてくださる。全能者である神の懲らしめを軽んじてはいけないとヨブに勧(すす)めました。

2.エリファズの問題点
 ガイドにはエリファズの発言(はつげん)は正しくても、ヨブには的外(まとはず)れ(一般的には妥当性(だとうせい)【(()実際(じっさい)のいろいろな場合によくあてはまること】があったにせよ、ヨブが直面(ちょくめん)していることには当てはまらない)であり、それらのことを言った状況がふさわしくなかったと解説(かいせつ)しています。また、エリファズの態度(たいど)がヨブに対して無神経(むしんけい)であったと述べています。