第7課 聴覚しょうがい者用:武田将弥

2016年 第4期  ヨブ記

第7課 報復的(ほうふくてき)な罰(ばつ)

1・『今週のテーマ』
 残念ながら罪の影響(えいきょう)を受けてしまったので、この地上は天国ではありません。だからどんな人にも必ず幸福と不幸がやってきます。そして不幸になると「神様がいるならどうしてこんな目に会うのだろう?」とか、人によっては「自分よりも悪い奴(やつ)がいるのに、どうして私なの?世の中って不公平(ふこうへい)だ!」と思ってしまう方が多いのではないでしょうか。人によっては悲しみで心が狭(せま)くなり、マイナス思考(しこう)になって「神様なんていなんだ!」とか「何も応(こた)えてくださらない冷たいお方なのかな?」など、実(じつ)は何も悪くない神様に対して、八つ当(やつあ)たりをしてしまう場合もあるかもしれません。聖書を勉強して頭では分かっていても、実際(じっさい)に窮地(きゅうち)に立たされると心が揺(ゆ)れてしまうのが人間です。実は人は環境(かんきょう)にとても弱い生き物なのです。また人情として世の中に不平等(ふびょうどう)を感じるかもしれませんが、忘れてはならない聖書的な視点(してん)もあります。それは「この世は地獄ではないので、悪人(あくにん)にも良いことが与えられるのだ」という考え方です。聖書に「神は、その独(ひと)り子(ご)をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅(ほろ)びないで、永遠の命を得(え)るためである(ヨハネ3:16)」「ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現(じつげん)を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔(く)い改(あらた)めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです(Ⅱペトロ3:9)」「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、 罪人を招いて悔い改めさせるためである(ルカ5:32)」とあります。
 主は信じる人だけではなく、出来れば悪人も一緒に、全ての人を救いたいと思っておられるのです。どんなに正しい人に見えても悪い所はありますし、逆に極(ごく)悪人(あくにん)といわれる人にも良い所はあります。結局(けっきょく)神様から見たら完(かん)ぺきな人はおらず、また救いの可能性(かのうせい)の無い人もいないのです。人はみんな罪人(つみびと)です。悪人でも良いことは起こるし、幸せそうに見える人でも必ず何か悩みや不安を抱(かか)えて生きています。ですから世の中は不平等だと感じるかもしれませんが、他人と自分を比(くら)べないで下さい。サタンも自分と他人を比べ始めたので、やがて傲慢(ごうまん)な悪魔(あくま)となってしまいました。すぐに他人と比較(ひかく)するサタンのマネはやめて、私達は主人(しゅじん)であるイエス様を目指(めざ)しましょう。今週はヨブを励(はげ)ますつもりで集まった友人たちの続きを読み、悩みと向き合って苦しむ仲間への対応(たいおう)などを学びます。

2・『さらなる非難(ひなん)(日)』『あなたの罪の一部(いちぶ)を見逃(みのが)して(月)』
 励(はげ)ましに来たはずの友人ビルダドは、ヨブの愚痴(ぐち)に我慢(がまん)できなくなり、頭ごなしに律法主義的(りっぽうしゅぎてき)に話します。全(すべ)てが間違っていた訳(わけ)ではありませんでしたが、彼の話しの内容は正義(せいぎ)に偏(かたよ)ったものが多く、しかも子供を失ったヨブに対して「お前の息子たちは何か罪を犯したからきっと死んだのだ」というキツい言葉も含(ふく)まれていました。何事(なにごと)にもTPO(ティーピーオー)(時間・場所・場合(ばあい))というものがあります。人が何かで苦しみ悲しんでいる時に「それはあなたの罪だ!」と言われては取り付く島もありません。確実(かくじつ)にビルダドはTPOを間違えたのです。イエス様ならどうなさるだろうか?と主を手本(てほん)として考えるべきです。苦しみ悲しんでいる人には寄(よ)り添(そ)い、高慢(こうまん)で間違った者には御言葉(みことば)で諭(さと)す。そしていずれの場合も祈りをもってなさるのが、キリストの方法なのです。
 同じくヨブを励ましに来たツォファルも、他の友人達と同じように、神様を説明しようとしましたが、やはり律法的(りっぽうてき)になり因果応報(いんがおうほう)のような内容(ないよう)になってしまいました。これでは神様のことをバランス良く説明したとは言えませんでした。

3・『神の報復(ほうふく)(火)』『もし主が新しいことを創造(そうぞう)されるなら(水)』
 ヨブと友人たちは神様を信じる熱心なクリスチャン仲間です。彼らが神様を説明した内容のバランスは悪かったですが、神様が正義のお方であることはヨブを含め全員の一致した理解(りかい)でした。いうまでもなく神様は恵み深い愛と、公正(こうせい)平等(びょうどう)な正義のお方です。神様は掟(おきて)を忠実に守ろうと努めている者を、素晴(すば)らしい祝福と繁栄(はんえい)を与えて守ってくださいます。しかし神様に背(そむ)いた反逆的(はんぎゃくてき)な生き方を始めると、そういう人は神様から直接手をくだされることがあると聖書は警告しています。神様は忍耐深く優しいお方ですが、神様を敬(うやま)う気持ちは持たなくてはなりません。我々はただの人間であり、主は全宇宙(ぜんうちゅう)の支配者(しはいしゃ)であられる神様なのですから、明らかに神様を軽(かろ)んじてケンカを売るような、失礼なことは絶対に避(さ)けるべきです。たとえば民数記(みんすうき)16章には神様と主が決(き)められた指導者(しどうしゃ)に反逆(はんぎゃく)した者たちが、地の底に飲み込まれた話が載(の)っていますが、これは同じようなことをした場合、私達がどのような運命を辿(たど)るのかを警告(けいこく)し、このような悲しいことが起こらないようにしたいという神様の思いが込められています。厳粛(げんしゅく)なメッセージなのです。

4・『第二の死(木)』『さらなる考察(こうさつ)(金)』
 生きているものはいつか必ず死にます。それは誰もが分かっていることですが、聖書によると「第二の死」というものがあります。それは私達が知っている一般的な死とは違って、世の終わりに全(すべ)ての人が神様の前に立ち、救いにあずかる者と滅びを受ける者とに分かれます。その時にサタンと共に滅(ほろ)びることを「第二の死」といいます。この死は神を信じない者には恐怖(きょうふ)ですが、イエス・キリストを個人的な救い主として認める者には全然(ぜんぜん)恐(おそ)れる必要のないものです。なぜなら主は、心から素直(すなお)に悔(く)い改(あらた)める者を憐(あわ)れんでくださるので、主を愛する者は滅(ほろ)びを免(まぬか)れて神の国に入ることが許されるのです。
 世の終わりと第二の死があることを知った者は幸(さいわ)いです。それを受けなくて済(す)む可能性(かのうせい)があるからです。また地上の再創造(さいそうぞう)の時には、煮(に)えたぎる炎(ほのお)によって清められ、地は新(あら)たに創(つく)り変えられますが、それは神様が直接的(ちょくせつてき)に下される大きなみわざです。
 ヨブの話に戻りますが、友人たちはヨブが罪を犯したから神様によって罰が与えられたのだ!と決めつけにかかりましたが、確(たし)かにそういう場合もあるでしょう。しかしそうではなく神様の試練(しれん)という場合(ばあい)もありますし、自分の生活習慣(せいかつしゅうかん)の場合もありますし、サタンの嫌(いや)がらせもあるでしょう。忘れてはならないのは全(すべ)ての苦しみはサタンと罪から発生したものであり、神様のせいにすることは絶対に間違いです。我々人間がわきまえるべき事は、神様ではないのだから、簡単に決めつけにかかったり、責(せ)め裁(さば)いたりしてはいけないということです。我々は友人に対して祈りと哀(あわ)れみの姿勢(しせい)を示しましょう。