第7課 青年用:朴 昌

2016年 第4期 ヨブ記

第7課 報復的な罰
青年用:朴 昌

 今週のポイント
① 今週はその苦しみと罰との関係、そして神の御品性について学びます。

② ヨブは原因も分からない苦しみを受けていました。ところがビルダドは、苦しみの原因は罪の結果であり、その報いとして受けることだと話しました。もちろん、その話は間違いではありませんでしたが、それは神の御品性の一つの側面だけを話し、歪めました。彼は律法と神の正義だけを強調して神の御品性を間違って表すミスを犯しました。私たちは神の御品性を理解する時にいつも正義と愛、その両側が大切であることを認識する必要があります。

③ 全知全能である神は私たちがすべてを理解することのできない方です。ヨブの友人であるツォファルはその神と苦しみについて人間の理解には限界があると正しく話しましたが、彼の間違いはそのことを言いながらも罪を捨てるならば、回復できると断片的に話したことです。神に関する断片的な理解は、断片的な信仰へ導き、そのような信仰は成熟した信仰へ導くことができません。ですから、信仰生活において最も大切なことは神を知ることです。ゆえに聖書は「我々は主を知ろう。主を知ることを追い求めよう」(ホセア6:3)と言います。

④ ヨブの3人の友人は同じような神に関する知識を持っていました。そして、彼らなりに神を擁護しようとしました。彼らが持っていた知識は、罪を罰する裁き主としての神です。それは間違いではありませんが、神は裁きと同時に恵みを与える方です。その恵みを通して私たちを罪とその裁きから救われます。

⑤ 何かを裁くためにはその裁きに対する基準が必要です。神は正しい裁きを行うために律法を定め、神に従うか従わないかを見られました。私たちは罪がそれに対する罰を伴うと考えがちですが、罪そのものが罰を伴うわけではありません。罰は神に対する罪と反逆に対する神の報復と関係があります。

⑥ アダムが罪を犯してからすべての人は死の運命になりました。なぜなら「罪の支払う報酬は死」だからです(ローマ6:23)。ところが、この死は私たちの罪の裁きによるものではなく、アダムの罪の裁きとしてあるものです。しかし、自分の罪による裁きがありますが、それが「第二の死」です。この裁きは最後まで悔い改めない罪人に下される神の最後の罰です。世の中のすべての苦しみは罪のゆえにあるのが確かですが、しかし、すべての苦しみが罪に対する神の罰ではありません。なぜ、その苦しみが訪れるのかは分かりませんが、神は大争闘の中にいる私たちを守り、導かれます。そして、最後の恵みの裁きを通して、やがて罪と苦しみを終わらせます。

 ディスカッションのためのテーマ
① 大争闘における苦しみについて考えてみましょう。