第8課 聴覚しょうがい者用:山路俊晴

2016年 第4期  ヨブ記

第8課 罪のない者の血

1.「今週のテーマ」
 ある安息日の朝、教会に行く途中(とちゅう)で、大きなトラックがぶつかってきて、お母さんが死んでしまいました。お父さんや妹も大変大きなけがをしました。なぜ、教会に行くときに、神様を熱心に信じている人がこんな苦しみに遭(あ)わなければなければならないのか。だれも答えることはできません。私たちがそのような苦しみや悲しみにあったとき、どうしたらよいのかを神様から教えてもらうことが 今週のテーマです。

2.「ヨブの抗議(こうぎ)」(日曜日)
 ヨブがほんとうに苦しかったことは、なんであったのでしょうか。それは、自分は正しいのに なぜ苦しむのかが わからないことでした。ヨブは神様を信じて、正しく生きていました。神様も、ヨブは正しい人と言っています。それなのになぜ、苦しい人生(じんせい)があたえられたのか、ヨブは神様に聞きました。でも答えがないので、ヨブは抗議(こうぎ)(強くうったえる)しています。ヨブはイエス様と同じように、自分の罪(悪いこと)のために苦しんではいなかったのです。だれにでも、苦しいことや悲しいことがおこります。しかし、理由(りゆう)がわからないことがあるのです。

3.「罪のない者の血なのか」(月曜日)
 「私はどんな悪いことをしたのでしょうか。これだけ苦しむだけの悪いことはした覚(おぼ)えがありません。」とヨブが何回も言っています。学校に行く途中(とちゅう)で、子供たちがきちんと道を歩いているときに 車がとびこんできて、子供たちが死んでしまう事故(じこ)があります。または、だれでもいいから殺したいと言って、通(とお)りがかった人が殺されてしまいます。何も悪いことをしていないのに、傷(きず)つけられ、殺されてしまいます。聖書では、ヨブだけでなく、すべての人は罪びとですとはっきり教えています。悪いことは誰(だれ)にでもあります。しかし、殺され、ひどい悲しみや苦しみにあうほど悪いことはしていなくても、そのようなことが起こるのはどうしてなのでしょうか。自分が苦しくなった時に、わたしたちもヨブと同じ質問(しつもん)がしたくなります。

4.「不公平(ふこうへい)な運命(うんめい)」(火曜日)
 二つの本当のことがあります。ひとつは、すべての苦しみは、罪(神様に従(したが)わないこと)によって始まったこと。もう一つは、罪びとの私たちが神様に従うようになるために、神様は苦しみを与えられること。しかし、ヨブの場合はどちらにも あてはまらないのです。ヨブの子供たちやヨブの召使(めしつかい)たちは なぜ死ななければならなかったのでしょうか。日本でも、東日本大震災(だいしんさい)の地震と津浪(つなみ)でなぜ多くの人が死ななければならなかったのでしょうか。わからないことだらけです。わからないのに、死んだ人たちに罪があったからとか、神様がきめたことだからといって わたしたちが、決(き)めつけてはいけないのです。ヨブの友だちは、そのような態度(たいど)をとったので、さいごには神様にしかられています。

5.「その日だけで十分(じゅうぶん)・・・」(水曜日)
 神様であったイエス様は、人間となってくださいました。そして、だれよりも、わたしたちの苦しいこと、悲しいこと、つらいことをわかってくださいました。イエス様はだれよりも苦しまれました。十字架で体(からだ)の苦しみだけでなく、心も苦しまれました。弟子たちは逃(に)げてしまうし、みんなを救うために一生(いっしょう)けんめい生きてきたのに、だれもわかってくれないのです。しかも、とてもつらい十字架での死が与(あた)えられたのです。聖書には、正しく生きたけど苦しみや死が与えられた人がたくさん書かれています。私たちがその人たちのようになったら、きっと「どうして!」とヨブのようにさけぶことでしょう。イエス様も同じでしたが、どのように考えていたかを教えてくださいました。その考えとは、神様が将来(しょうらい)のことをきちんと考えてくださることを信じて、今生(い)かされていることを感謝することです。苦しいことがあっても、神様と一日(いちにち)一日(いちにち)生きていくことを大切(たいせつ)にする生き方を、イエス様は私たちに教えてくださいました。

6.「見えないもの」(木曜日)
 「なぜ私が苦しまなければならないの?」「神様がいるならなぜ?」などの 説明できないことや答えられない苦しみや悲しみが 私たちの人生にはたくさんあります。今日のガイドにすばらしい文が書かれていますので、そのままをここに書きます。「答えがすぐわからないときや、身(み)の回(まわ)りの災(わざわ)いや苦しみから何も良いものが生じたとは思えないときでさえ、私たちは神を信頼(しんらい)することを学ぶ必要があります。」 「見えないもの」とは、わたしたちにはわからないもの、説明や答えがないもののことです。そのようなときに、それでもこころから神様を信頼することを、神様は求めておられます。信仰(しんこう)は信じることです。神様を信頼(しんらい)することです。

7.「さらなる研究」(金曜日)
 苦しいとき、悲しいとき、神様を信じている人と信じていない人は大きな違いがあります。信じていても、苦しみや悲しみの答えがないことが多いです。しかし、神様を信じている人には、「希望」が与えられています。今はつらくても、神様が天国を与えてくださり、かならず幸せを与えてくださる希望です。今はわからなくても、いつかきって答えがわかって、納得(なっとく)できる日がくる希望です。神様を信じて生きることは、ほんとうにすばらしいことなのです。どんなときも、神様がよくしてくださることを 最後(さいご)まで信じ続けましょう。