第9課 聴覚しょうがい者用:浦島智加男

2016年 第4期  ヨブ記

第9課 希望の兆(きざ)し

1.初めに
 ヨブは、その地方に名の知れた財産家(ざいさんか)でしたから、仕事の関係であちこちに友達(ともだち)が沢山(たくさん)いたようです。ヨブが受けている災難(さいなん)と苦しみを聞いたあちらこちらの地方(ちほう)にいた3人の友達が相談(そうだん)して彼をお見舞(みま)いし、苦難(くなん)を乗(の)り越(こ)えていけるように励(はげ)ましにやってきたのでした。
 以前(いぜん)に会った時のあの福々(ふくぶく)として、幸(しあわ)せそのものであったヨブが、一文(いちもん)なし(貧乏(びんぼう))になって、全身(ぜんしん)皮膚病(ひふびょう)におかされ、はれものが痒(かゆ)くてたまらず、自分の爪(つめ)で掻(か)くのも間(ま)に合(あ)わず、茶碗(ちゃわん)のかけらで掻いている、あわれな姿を見て、3人の友達は話しかけるのもためらって、だまって彼の様子(ようす)をみているしかありませんでした。
 その状態(じょうたい)が、1週間も続いたのです。でも、折角(せっかく)遠くからやってきたのだから、なぜそのような悲惨(ひさん)な状態(じょうたい)になったのか、原因(げんいん)をさぐり、そこに立(た)ち返(かえ)って、ヨブがなすべきことをしたら、きっと彼もそれに気(き)づいて元気になるだろうと自分たちが持っているあらゆる知識(ちしき)をもってアドバイスを試(こころ)みたのでした。

2.11月20日(日) 偽(いつわ)りをもってうわべを繕(つくろ)うもの
 エリファズから始めて、友人(ゆうじん)たちはヨブにいやしを与(あた)えようとして、語(かた)りかけるのですが、いやすどころか、ヨブの苦しみはますます大きくなるばかりでした。ヨブは、友人たちを「能(のう)なしの医者(いしゃ)」だと言ってます。友人たちの説得(せっとく)は、因果応報(いんがおうほう)という思想(しそう)で、神は良いことをした人には、良い報(むく)いを、悪いことをしたり、考えたりする人には、悪い結果(けっか)を与える、と言うものです。友人たちの語(かた)っているぐらいの知恵であれば、誰でも知っている常識(じょうしき)ではないか、それならいっそ最初(さいしょ)来(き)た時のように、黙(だま)っていてくれた方が良かったとヨブは言ってます。(ヨブ記13:5)
 友人たちは、ヨブが神様を非難(ひなん)している、自分たちは神の側(がわ)に立っていると思い込(こ)んでいて、私たちは神様に代(か)わってヨブにアドヴァイスしている、神様のために語(かた)っていると思っています。もし、その人が神様の側に立っているのなら、語ることは神様について正しい判断(はんだん)をし、正しく表(あらわ)さなければなりません。ヨブは、神に代わって語っていると思っている友人たちは正しくない、自分を欺(あざむ)いているとみています。彼らは、自分の意見が一番正しいと思っていたのですが、ヨブが彼らの自説(じせつ)を聞き入れないので、ますます強い調子(ちょうし)でヨブに説得(せっとく)し、ヨブを困らせてしまいました。
 ヨブは、これ以上友人たちと議論(ぎろん)しても、なぜ自分がこれほどの苦しみをしているのかの理由がわからなかったので、神様に直接(ちょくせつ)話しかけたい、神様と議論(ぎろん)したいと思うようになりました。

3.11月21日(月) 神がわたしを殺したとしても
 13章24節に「なぜ、あなたは御顔(みかお)を隠(かく)し、わたしを敵とみなされるのですか」ヨブは、神様と議論しようと神様に呼びかけるのですが、神は沈黙(ちんもく)(だまって)しておられます。
 4課でも書きましたが、ヨブは神様と契約(けいやく)(約束)関係にありました。彼が祭壇(さいだん)を作っていけにえを捧(ささ)げていたことは、自分は罪びとだから、救い主の義で自分の罪を覆(おお)ってくださる、信仰による義人であるという確信でした。恵みによって覆われていない罪があれば、それを私に示してください、と訴(うった)えたいのです。
 ヨブが、苦しんでいるもう一つの問題は、主が恵みによる契約(けいやく)をお忘れになったのではないか、との思(おも)いです。それさえ、思い出して下さって、恵みによって主の御前(みまえ)に立たせてくださるなら、私は、死んでもよいと思っています。

4.11月22日 (火) 希望の兆(きざ)し
 ヨブは、友人たちに、あなたたちが言うような罪を犯していない、私は正しいと主張(しゅちょう)していますが、そう言えるのは、罪びとである自分を主が恵みによって、その罪を覆(おお)ってくださっているという確信(かくしん)があるからです。決して、私は自分が罪を犯したことのない、生まれながらの義人であると主張しているのではありません。
 14章16,17節で、ヨブは、自分の気づいていない不義、罪、とががあることを認めています。もしあればそれを示して下さるように神に願っています。したがって、その恵みによる罪の赦(ゆる)しを信じる限(かぎ)りにおいて、知らないで犯した罪、気づいていない罪も、清算(せいさん)(きれいに片(かた)づけられる)されて義(ぎ)とされているのです。それを確信(かくしん)し続ければ、たとえ惨(みじ)めな姿であっても希望があります。

5.11月23日 (水) この世が始まる前の希望
 ヨブは、今は悲惨(ひさん)な生活をしいられていますが、自分は、神様との契約関係は、失(うしな)われていない、救われている確信と希望は保っていました。
世の初めから、世の終わりまで罪が人間にもたらした不幸(ふこう)は、なくなることはありませんが、ヨブを初めとして、信仰の先輩(せんぱい)たちがアダムとエバに神様が約束された福音(ふくいん)を信じ続けたあかしを読むと、私達にもおなじ希望が湧いてきます。
 私たちが信じている福音は、神様が地球を造られ、その上に自然と生物(せいぶつ)とあらゆる生命(せいめい)が調和(ちょうわ)して、人間が幸福に生きるために計画された神様の理想(りそう)がありました。人が罪を犯して、その計画が損(そこ)なわれてしまいましたが、神の独(ひと)り子イエス様がなしとげてくださった功績(こうせき)によって、またこの希望が繋(つな)がれたのでした。

6.11月24日 (木) 希望(きぼう)の例(れい)
 次の聖句(せいく)に示されている希望
 ⓵ 創世記3:15-人間の罪を贖(あがな)う救い主が与えられる預言(よげん)。
 ② 創世記22:8-自分の愛子(あいし)を惜(お)しまないで神に差し出したアブラハムのように、神も独(ひと)り子(ご)イエスを私
たち人類に救い主として送って下さる希望
 ⓷レビ記17:11-旧約聖書の時代にキリストをあらわす身代(みが)わりによって罪が許される希望
 ④ヨハネ1:29-預言(よげん)されていた救い主が実際(じっさい)においでになった。
 ⑤ガラテヤ2:16-キリストへの信仰によって義とされる希望。
 ⑥フィリピ1:6―自分の努力ではなく、キリストがわたしに信仰を与え、最後まで育(そだ)ててくださる。
 ⓼1コリ10:13-試練は与えられるが、その人の限界(げんかい)を知っておられる神様。
 ⓽ダニエル書7:22-物ごとを見通(みとお)される神様が正しいさばきをして下さる。
 ⓽ダニエル12:1,2-キリストを信じた人が確実(かくじつ)に永遠の命を受ける日が来る希望
 ⓾マタイ24:27-永遠(えいえん)の命を与える救い主が再臨されて創造前(そうぞうまえ)の神様の理想(りそう)が回復(かいふく)する日の希望
 ⑪ダニエル2:44-再臨後(さいりんご)天国(てんごく)での生活が叶(かな)えられる希望。