第2課 和田耕次

2017年 第1期 聖霊と霊性

第2課 聖霊――舞台裏の働き

 聖霊の明らかにする真理は、新しい真理を語る事ではなく、主イエスが語られ、また行われた事のうちに含まれていた真理です。聖霊の働きは、キリストの働きの継続であり、キリストを証言し、キリストに栄光を帰すことにおいてキリストを遣わされた方を証言し、キリストにおいて示されている神の栄光を人々に明らかにすることです。                注:文中のギ語はギリシア語の事です。

日曜日 聖霊の捉えどころのなさ  「風」のギ語:プニューマは「霊」と「風」の両義を持ちます。「風」は人間の期待に応じて吹くものではありません。それは突然、「風」自らの力に従って吹きます。それは始源を天に持ちます。風と同様に聖霊はどのようにして働くか見ることも、把握することも出来ませんが、しかし確かに働き、人を新たに生まれさせます。主イエスは生まれたままの人間が、どんなに知識を重ね、教養を積んでも、それによって神の国に入ることは出来ないと言われました。それは古い人間を飾りたてることにすぎないのです。「新しく生まれ」るとは、今迄人間が持っていたものを引きのばしたり、その上に何かをプラスすることではなく、人間の生き方、考え方の根本的な方向転換を経験することです。

月曜日 天地創造の際の聖霊
「創世記1:2で用いられている、地球の表面『・・・の上を動く、漂う』に相当するヘブライ語(メラヘフェット)は、申命記32:11でも用いられており、そこでは、神が雛の上を飛んでいる鷲にたとえられています。聖霊は、この地球上に命を創造することと密接に関わり、鷲が自分の雛にするように、新たに造られた生物の世話をしておられます」ガイド13頁。

火曜日 聖霊と聖所
「聖所の建設に、聖霊は関りました。そして、神の住まれる場所を造った者たちを、聖霊はお助けになりました。聖所は、神と人の和解がなされ、聖なる神が罪人と会われた中心の場所でした。聖書は、その聖所の建設の場にも聖霊がおられた、と語っています」ガイド14頁。この事は私達自身の事でもあります。「あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか」(Ⅰコリント3:16)。「神の宮(宮 ギ語:ナオス 至聖所)」ここに聖霊の内住という形を取って、大祭司キリストがお入りになります。私達が「神の宮」である証拠は、私達に信仰が与えられているということでわかります。主イエスを私の救い主と信じさせて下さったのは聖霊の働きなのです。

水曜日 イエス・キリストに栄光を与える聖霊
「栄光」とは、それによって神である方が自らを神として認識出来るように与えるところの光の輝きです。その「栄光」は低きに降る神、十字架のイエスによってあらわされました。その事を私達は聖霊の導きによって知らされ、その救いにあずかりました。父と子なるキリストは天におられるだけではなく聖霊という形で、私たちの内におられます。私達は神からの賜物を受け取るというのではなく、父と子なるキリスト御自身にあずかるのです。主イエスは肉体をとっておられたので、パレスチナの地で活動されただけでありましたが、聖霊は誰のところにも、いついかなる時も、主の御業が起り、主の御言葉が聞えるようにして下さるのです。「聖霊」(ギ語:パラクレートス 弁護人、助け主)の到来は、私達のもとへ主イエスが帰還されることです。ヨハネ1:14で主イエスが天に留まらないで、この地上に来られたように、復活の主イエスもまた、天に留まらないで「聖霊」において、主イエスのものとなった私達のうちにおられ神の意志、働きの何たるかを「語り」「知らせる」(ヨハネ16:13,14)のです。今、という私達の時において、永遠の事柄を悟らせて下さるのです。

木曜日 聖霊とキリスト「永遠の聖霊によって、ご自身を傷なき者として神にささげられたキリストの血は、なおさら、わたしたちの良心をきよめて死んだわざを取り除き、生ける神に仕える者としないであろうか」(ヘブル9:14)。私達は毎日罪を犯します。そこに主イエスの恵みが聖霊の働きによって楔(くさび)のように打ち込まれて、私達は敗北の連続であるにもかかわらず、主イエスの贖いのゆえに勝利の連続としていただけるのです。伝道とは私達のうちに聖霊として宿り、語り、癒し、共に食し給う命の言キリストを知らせる事です。