第5課 安河内アキラ

2017年 第1期 聖霊と霊性

第5課 バプテスマと聖霊の満たし

今週の聖句   マルコ1:8、エフェソ5:18、使徒言行録13:52、ルカ11:8~10、使徒言行録5:32、ガラテヤ5:16~26

今週の研究   私たちは今週、聖書が聖霊のバプテスマについて述べていること、聖霊によってそれが成し遂げられることの意味について学びます。また、私たちが聖霊に満たされていることを証明するいくつかの証拠についても目を向けます。

月曜日:エフェソ5:18、使徒言行録13:52、ローマ8:9を読んでください。私たちがひとたびバプテスマを受け、キリストのものになったら、私たちは聖霊の力の下で生きるべきです。そのためには、私たちは聖霊に満たされる必要があります。新約聖書の中には、人々が聖霊に満たされたという言及がたくさんあります(ルカ1:41、67、使徒2:4、4:8、31、9:17、13:9)。使徒パウロは、「満たされ」という言葉を用いて、人が完全に神に服従し、聖霊の導きの影響を受け入れることを始めるなら、神の働きがその人の人生の中で成し遂げられると言っています。
 使徒言行録13:52の原語(ギリシア語)では、霊に「満たされていた」という動詞が未完了時制であり、連続的な動作を意味しています。つまり、文字どおりの意味は、「満たされ続けていた」ということです。聖霊に満たされることは、一度限りの出来事ではありません。それは、私たちが毎日求め、受けるべきものなのです。この満たしは、私たちの生活のあらゆる部分が聖霊の存在で満たされ、私たちが生きるための力を与えられるように、繰り返される必要があります。
 聖霊によって満たされるというのは、私たちが聖霊をより多く持つというよりも、むしろ聖霊が私たちをより多く持ってくださることを意味します。私たちが生活のあらゆる面を聖霊に日々ささげるときに、聖霊は私たちを用いて、神に栄光を帰すことがおできになるのです。

火曜日:使徒言行録2:37、38を読んでください。聖霊を受けるための第一の条件は何ですか。聖霊の賜物を受けるための一つの条件は、悔い改めです。神の御言葉を聞くと私たちの良心が呼び覚まされ、私たちは自分の真の罪深さと失われた状態を意識させられます。真の悔い改めは、単に罪の悲惨な結果を悲しむことではありません。それは、心と思いが完全に変わり、私たちが罪をあるがままに―醜い悪、神に対する反逆として―受け止めるようになることです。私たちが真の悔い改めを体験する唯一の方法は、神の愛に触れることしかありません。「あるいは、神の憐れみがあなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と寛容と忍耐とを軽んじるのですか」(ローマ2:4)。

水曜日:使徒言行録5:32を読んでください。今も昔も、聖霊は神に従うすべての者に与えられます。聖書の中では、愛と服従が密接につながっており、真の信仰は従うことによってあらわされます。もし私たちが心の底から神を信頼しているなら、神の掟に従うでしょう。「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る」(ヨハ14:23)と、イエスはおっしゃいました。従うことは、神の律法の中にあらわされている神の御旨に従う生活スタイルをもたらす選択です。イエスを私たちの主として認めたいのなら、私たちは従い続けなければなりません(ルカ6:46)。Ⅰヨハネ2:4、5には、「『神を知っている』と言いながら、神の掟を守らない者は、偽り者で、その人の内には真理はありません。しかし、神の言葉を守るなら、まことにその人の内には神の愛が実現しています」と書かれています。

木曜日:神の霊に満たされている人の人生は、神の律法に誠実に従い、他者に対する柔和な心という特徴があります(Ⅱコリ5:14参照)。心と思いが刷新され、新しい心と人生観を得るとき、私たちの価値観や言動は変わります。私たちはもはや、自分の力で生きるのではなく、聖霊に服従して生きたい、と望むのです(ガラ3:3)。
 これは一生の業、浮き沈みのある業です。しかし、もし私たちが神に服従するなら、私たちの内になすと、神が約束しておられる業です。「あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています」(フィリ1:6)。

 聖霊による満たし、これはどのような状態なのでしょうか。ペンテコステのように聖霊の働きによって特別な何かが起こるのでしょうか。もしそうだとしたら、今日のわたしたちは異言を語るわけでもなければ、目の前で癒しの業が行われるわけでもありません。
 けれども今週までの学びをふりかえってください。聖霊の働きはわたしたちをキリストへ導くものなのです。つまり聖霊に満たされること、それはキリストに心から近づきたいと願う時、また神さまの導きを深く感じた時なのです。
 そのためには火曜日と水曜日の引用文で、悔い改めと服従が必要であると教えられています。聖霊がキリストへ導くことによって、罪深さに気づかされて罪を悔い改め、生活を改めてみことばに従って歩んでいく、このような歩みを通して感謝に満たされるように聖霊は導かれるのです。
 そして今週は四ヶ所の引用文を掲載しましたが、月曜と木曜日の両方に書かれていますが、これは洗礼を受けた時だけことではなく一生の業なのです。そして浮き沈みがある業と書かれています。人生でいろいろなことが起こるでしょう。その中で、日々服従をして行くこと、このような歩みを一生続けて行くのです。