第5課 平田和宣

2017年 第1期 聖霊と霊性

第5課 バプテスマと聖霊の満たし

◆はじめに
 今課の学びを通して、次のような大切なことについて知識的整理ができるようになっていると思います。①「聖霊によるバプテスマ」と呼ばれるものに二種類があること、②「水のバプテスマ」と「聖霊によるバプテスマ」の関係、③「聖霊によるバプテスマ」と「聖霊による満たし」の関係、④「聖霊による満たし」の必要性、⑤「聖霊によるバプテスマ」(聖霊を受ける)ための条件、⑥聖霊の導きに従っている人とそうでない人の違い。分かり易い文章で書かれています。祝福された学びとなりますように。

◆世の光であるために
 「あなたがたは世の光である。…あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」(マタイ5:14、16)とイエス様は言われました。世の光として生きる─これこそが私達クリスチャンに求められている生き方であり、この世に私達が置かれている存在目的です。反対に言えば、世の光として生きていなければ、この厳粛な終末時代にあって存在目的を果たしていないということになってしまいます。
 では、世の光として生きるとは、どのようにして生きることなのか。そのことがエフェソ5:18~20には、次のように書かれています。「酒に酔いしれてはなりません。それは身を持ち崩すもとです。むしろ、霊に満たされ、詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。そして、いつも、あらゆることについて、わたしたちの主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい」。
 私達の多くは、酒に酔いしれる習慣は無いかも知れません。しかし、聖霊に満たされて生きているかと言えば、それも怪しい。そして酒ではないにしても、その他のもの─TV、ゲーム、インターネット、異性、趣味、仕事、噂話など─に時間と心を奪われていることが多いのではないでしょうか。それこそが、或いは日本で宣教が躍進していかない大きな原因なのかも知れません。
 私達の多くは、ひょっとしたら神様が与えたいと望んでおられる祝福の内、ほんの少しだけしかまだ受け取っていないのではないでしょうか。聖霊に満たされて生きることの本当の喜びを、私達の多くはまだ体験していないのではないでしょうか。このような問いかけが失礼なことだと感じられる方がおられましたら、どうぞお赦し下さい。

◆映画『ハクソー・リッジ』
 昨年の秋、米国で封切された映画『ハクソー・リッジ』が今年の夏、日本にもやってくるようです。この映画はセブンスデー・アドベンチスト信徒・米国人青年デズモンド・ドス兄の体験談をもとに製作されました(監督/メル・ギブソン)。第二次世界大戦の末期、沖縄の前田高地(現在の浦添市)で米軍と日本軍が死闘を繰り返したとき、彼は武器を持たない衛生兵として活躍しました。
戦場に赴く前、武器を持ちたくないと宣言する彼を、仲間であるはずの同部隊米兵たちは暴力で迫害。しかし、いざ戦場へ行くと立場が逆転。弾が飛びかい爆弾が炸裂する中で次々と負傷する米兵を、勇敢にも彼は次々と救出。不思議にも弾は彼に当たりません。注意して想像してみて下さい。かつて自分に対し散々ひどい暴力を振るった人達を、彼は命懸けで救出し続けた訳です。彼に弾が当たらなかったことも不思議ですが、彼のこの行動もまた不思議です。どうしてこのような行動が取れたのでしょうか。
私は思うのです。彼は聖書が教えている、聖霊による改変力を体験していたのではないだろうかと。そして彼は戦場でさえ、安息日を遵守しようとしていました。戦場で、です!普通は考えられないことではないでしょうか。彼は礼拝の時を持つことの意味─その支え、癒し、力、喜び、平安を知っていたのだと私は思います。そして彼は勇気づけられ、憎しみから解放され、力の限り戦場で役割を果たした。

◆私達はどうするのか
私達の日常も、視点を変えれば戦場です。様々な情報・価値観・誘惑が弾のように飛んできます。爆弾が炸裂するがごとく、困った出来事が突然襲ってきます。戦場でドス兄に聖霊による助けが必要だったように、私達にもそれが必要です。そうでなければ、世の光であることなど到底望めません!今一度、真剣に祈り求め、聖霊に満たされて生きるということを神様から体験として教えて頂き、世の光として歩ませて頂きましょう。★お勧め参考書/E.G.ホワイト著『キリストへの道』、第8章「成長」