第6課 聴覚しょうがい者用:島田隼人

2017年 第1期  聖霊と霊性

第6課 聖霊と聖(きよ)い生活

1.今週のテーマ
 神さまは愛であり、聖(きよ)いお方です。神さまは、私たち一人一人に愛の生活、聖い生活をおくってほしいと願っておられます。日々聖霊を通して、私たちを愛にあふれた聖い生活へと導いておられるのです。

2.神の聖さ(日)、聖の性質(月)

 「だから、いつでも心を引き締め、身を慎んで、イエス・キリストが現れるときに与えられる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。無知であったころの欲望に引きずられることなく、従順な子となり、召し出してくださった聖なる方に倣って、あなたがた自身も生活のすべての面で聖なる者となりなさい。」Ⅰペトロの手紙1:13〜14
 
 「聖なる者となりなさい。」私たちに対する神さまからのわかりやすいメッセージです。一人の男の子が泥(どろ)んこ遊びをして家に帰ってきました。お母さんは男の子に、「お風呂にはいりなさい」と言いました。なぜなら、泥まみれの体を洗ってきれいになってほしいからです。聖書は、私たちが罪人であることを教えています。つまり、泥まみれの男の子と同じ状態なのです。お風呂できれいになった男の子にむかって、母親は「お風呂にはいりなさい」とは言わないはずです。同じように、もし、私たちが罪人でないのならば、神さまは「聖なる者となりなさい。」とは言わないはずです。
 神さまは、罪で汚れた私たちを見てかわいそうだと思っているのです。そして、神さまのように聖なる姿にしたいと望んでおられるのです。
 神さまが求める「聖」とは、罪から離れること、罪を憎むことです。罪から離れるには、何が罪であるかを知らなければなりません。では、一体どのようにして自分の罪、自分の泥を発見することができるのでしょうか。
 月曜日(聖の性質)、「キリストへの道」の引用文一行目にこう書いてあります。
「イエスに近づけば近づくほど、ますます欠点が多く見えてきます。」私たちの欠点(罪、泥)は、イエスさまに近づくほどはっきりと見えてくるのです。「私は世の光である」と言われてイエスさまに近づけば近づくほど、自分の汚れがはっきりと見え「聖くなりたい!」と望むようになるのです。

3.聖化の働きをするもの(火)、聖さの物差しは神の律法(水)
 
「わたしたちは皆、顔の覆(おお)いを除かれて、鏡(かがみ)のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。」
                         Ⅱコリントの信徒への手紙3:18
 
 自分の罪(汚れ・泥)にきづいた私たちは、「聖(きよ)くなりたい!」と望みます。その時のために、福音(グッドニュース)があるのです。福音とは、私たちを洗ってくださる方、イエス・キリストがいるというニュースです。キリストの血によって汚(けが)れは流され、私たちは日々「主の姿に」造りかえられていくのです。
 子供は親に似ます。それは、いつも親を「見ている」からです。私たちがイエスさまのようになりたいと願うのならば、イエスさまを見つめる必要があるのです。私たちの弱い力ではなく、「聖霊」の助けによって私たちはイエスさまを見つめることができるのです。
 
 神さまによって与えられた律法も私たちをイエスさまへと導きます。律法は神さまの品性をあらわしています。神さまの律法(品性)を知れば知るほど、自分の罪(汚れ・泥)が明らかになってくるのです。そして、救い主イエスさまを求めるのです。
 律法によって罪人であることを知り、救い主を求めるのです。そして、救い主イエスさまを知った時に、神さまの愛を知る者となるのです。律法を知るとは、神さまの愛をしることになるのです。

4.清潔さの追求(木)、さらなる研究(金)
 
 「聖霊」の力と導きによって私たちは聖なる者へと造り変えられます。自分の力では不可能ですが、聖霊の導きを通して新たにされていくのです。しかし、私たちにもできることがあります。それは、心を静めて神さまの召しを聞くことです。神さまが私たちに何も求めているのかを知る時間が大切なのです。「聖霊」の導きを信じて、日々「心の耳」で神さまからのメッセージを聞きましょう。そして、イエスさまを見つめながら神さまの求める「聖い生活」へと導かれたいと思います。