第8課 聴覚しょうがい者用:武田将弥

2017年 第1期  聖霊と霊性

第8課 霊の実と霊の賜物

1・『今週のテーマ』『霊の実と霊の賜物(日)』
 家族や友人など、相手を自分と同じに変えようと押しつけをしてしまった経験はありませんか?  一本の樹(き)には数え切れないくらいの葉っぱがありますが、完全に同じものは存在しません。どれも似ていますが注意して見てみると、葉っぱの模様(もよう)が全て少しずつ違っているのです。神様は全てのものを創られましたが、海の生き物も、宇宙の星々も、人間もみんな顔や性格が違うように、自分と似ている人はいても、やはり別人です。要するに神様は全ての存在に個性を与えて創造されました。神様はみんなの個性はそのままに、それぞれが自分のタラントを活かして、あなただけが出来る役割を果たすように望んでおられます。 
 今週の暗唱聖句(Ⅰコリント12:4~6)は「賜物(たまもの)にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。務めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。働きにはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です」とあります。
 確かに人はそれぞれ個性が違いますが、クリスチャンには必ず共通点があります。それは「イエス・キリストは私の神(ご主人様)である」という信仰(愛)の部分です。与えられたタラントや性格は違っても、与えてくださっているお方が同一人物なのですから、自分の能力を神様の為に使おうとする品性や性質が似てくるのは当然の流れです。これが「霊の賜物(タラント)」と「霊の実(品性・性質)」の違いです。神様に心を清めていただくと、少しずつイエス様の品性に似た者として変化してきます。この成長こそが一番大事であり、神様からいただいたタラントを正しく使うことが出来るのです。神様から頂いたタラントは自分の為に使うのではなく、教会や他の人達を助けることに使って、神様に喜んでいただきましょう。神様からの贈り物を大事に使ってください。

2・『神―霊的な賜物の主権を有する与え主(月)』
 神様が賜物をくださるのであれば、私はこういったタラントが欲しいなあ~と思う方もいるかもしれませんが、それは私達が決めることではありません。神様が我々の教会や置かれている環境を見て、必要な働きに応じて与えてくださるのです。
 ちなみに持って生まれた才能と、後から与えられる神様からのタラントは、似ているようで少し違います。しかしどちらも神様から与えられたものですし、どちらも神様に喜んでいただけるように使うことは出来ます。決して自分と他人を比べて、他の人をうらやんだり、自分に愚痴(ぐち)や不満を言わないように注意しましょう。実はそれは神様に文句を言うことになり、深く考えてプレゼントしてくださった神様に対して、とても失礼で恐ろしいことになります。私達クリスチャンが心がけるべき一番大事なことは、自分のタラントや才能を最大限に活用して、神様に喜んでいただくことだけなのです。

3・『霊の賜物の目的(火)』
 説明が繰り返しになりますが、タラントは自分の満足の為ではなく、神様に喜んでもらうためにあります。どうして何度もこの説明を強調するかというと、罪のある人間はタラントが神様に貰ったものだという事をつい忘れて、自分の実力だと勘違いして傲慢(ごうまん)になりやすいからです。古いことわざに「才子、才に倒れる(才能のある人は、才能に頼りすぎて失敗しやすい)」というものがあるように、才能が心を傲慢にしてしまい、神様から遠くはなれてしまう心配があるのです。実は元・天使のサタンもそうでした。
 彼がまだ天使長ルシファーだった頃、天から凄まじいタラントを与えられていました。しかし彼の心にやがて「自分は周りの連中とは違う存在だ。俺より偉(えら)い奴なんて許せない。俺が一番凄(すご)いんだ!」と、自分の才能に酔ってしまい、自分と他人を比べるようになってしまったのです。大いなる天使であった頃のルシファーですら心が変わってしまったのですから、それより弱い存在の我々は注意が必要なのです。ましてや悪魔(罪)の影響を受けてしまった人間は、いとも簡単に心に負けてしまいます。
 神様に一番に求めるべきは「霊の実(品性)」であり、自分の中に神様の愛が入っていないのに才能だけが与えられても、かえって悪い状況になってしまうのです。一番に求めるべきはイエス・キリストです。この祈りを皆さんはどうか忘れないでください。

4・『賜物―昔と今(水)』
 聖書を見てみると、科学が発達した現代の常識では考えられないようなタラントを与えられた者たちが記録されています。人によってこれは大昔の話であって、今はこういう種類のタラントは存在しなくなったと考える人もいるかもしれません。しかし聖書を読むと再臨というこの世の終わりが来るまでは、ずっと続いていると考えるべきです。
今と昔は変わっているようで実は何も変わっていません。世の中は相変わらず罪に影響されていますし、神様はどんなに時代が変わろうとも、お気持ちやお考えを勝手に変えたりしないお方のままです。主はアダムとイヴの時代からずっと人間を救う目的を変えたりせず、初めのからのお気持ちでいてくださっているのです。
 
5・『聖霊と見分ける力という賜物(木)』『さらなる考察(金)』
 最後に大事な注意点があります。もしかするとあなたは驚くかもしれませんが、タラントが必ずしも神様から与えられたものであるとは限らないという点です。神様だけではなく悪魔だって不思議な奇跡は起こせるのです。例えば悪魔だって人の病気を癒(い)やしたり、貧乏で困っている人に富を与えたり、空腹の人に食べ物を与えることだって出来るのです。悪魔は悪いことしかしないから、こういった奇跡はしないだろうと決めつけるのは危険です。悪魔は人の心を騙(だま)して神様から引き離す為だったら、どんなことでもやるのです。だから病気を癒やしたり、何も無い空間から食べ物を生み出したりすることが出来るからといって、神様の預言者だとは言えないのです。もしかするとその人の後ろでは悪魔が力を与えているかもしれません。ですから与えられた賜物が、どこの霊から来ているのかを判断する必要があります。ではどうやって見分けるのでしょうか? それは「イエス様こそ信じるべき神である」と宣言し、口だけではなく「聖書的な神に喜ばれる生き方」をし「神様に目を向けさせているかどうか」で見極(みきわ)めることが出来ます。もっと簡単に言うと「イエス様の様に生きているかどうか」で判断できるのです。