第11課 安河内アキラ

2017年 第2期 「わたしの羊を飼いなさい」 ペトロの手紙Ⅰ・Ⅱ

暗唱聖句 「その人たちに自由を与えると約束しながら、自分自身は滅亡の奴隷です。人は、自分を打ち負かした者に服従するものです。」Ⅱペトロ2:19

今週の聖句  Ⅱペトロ2:1~22、ヨハネ8:34~36、マタイ12:43~45
ユダ4~19、創世記18:16~33

今週の研究  サタンは二面攻撃を始めました。確かに、外部からの迫害―凶暴な力と暴力―は強力な道具です。しかし、教会はもう一つの脅威、おそらく外部からの迫害よりも危険な脅威に直面しました。それは内部からの脅威でした。
 ペトロが警告していたこういう教えとは、どのようなものだったのでしょうか。ペトロはそれらにどう反応したのでしょうか。そして今日の私たちは、やはり内側からの脅威に直面するときに、彼の警告からどんな教訓を得ることができるでしょうか。

月曜日:可能な限り強い言葉で、ペトロは偽教師の危険性に対する警告を読者に与えています。Ⅱペトロ2:18~21 において彼は、偽教師たちが自由を約束しながらも、実際には人々を束縛へ導くだろうと警告します。
なんという福音の完全な曲解でしょう!キリストにある自由は、罪の隷属からの自由を意味しなければなりません。(ロマ6:4~6)人を罪の束縛の中に残す「キリストにある自由」という概念は、いずれもペトロが警告しているような種類の誤りです。学者たちは、ペトロがここで取り上げている異端がどんな種類の異端であったかについ論じてきました。しかしそれが何であれ、罪の問題や人が罪の奴隷であるという問題全体とつながっていることは明らかです。

水曜日:ユダ4~19 はⅡペトロ2:1~3:7のほぼ繰り返しであると、多くの人が認めてきました。聖書がメッセージを繰り返すときは、神が重要な何かを伝えたいと願っていることに、私たちは留意すべきです。内容が似ているこの箇所において、ペトロとユダは1 つの重要な真理-神が悪人たちの運命を支配しているという真理-を私たちに知らせるために多くの行数を用いています。ペトロもユダも、神は悪を注意深く監視しているということに関して明快です。不正を行う人であれ、堕落した天使たちであれ、神は彼らの悪を特に注目し、裁きの日に彼らを罰することを計画してきました。(Ⅱペト2:9、17、ユダ6)
 このような厳しい罰を引き起こした罪とは、どのようなものだったでしょうか。それらには、破壊的な異端を持ち込むこと、権威を侮ること、自分を打ち負かした者に服従すること、神の恵みを不道徳への許可と曲げて解釈すること、唯一の支配者、主としてイエス・キリストを認めないこと、身体を汚すこと、無意味な大言壮語をすること、中傷することなどが含まれます。(Ⅱペト2:1、2:10、19、ユダ4、8、Ⅱペト2:18、ユダ10)

木曜日:ペトロはこの物語から二つの教訓を引き出しています。第一、二つの町(ソドムとゴモラ)は、不信心な者たちに罰が与えられることを例示している。(Ⅱペト2:6)第二、主は試練の中から正しい者を救い出す方法をご存じである。(同2:7 ~ 9)次にペトロは、ソドムとゴモラで滅ぼされた者たちの特徴をいくつか記しています。彼らは、汚れた情欲に溺おぼれ、権威を侮り、あつかましく、わがままで、天使たちを中傷することをためらいませんでした。(同2:10、11)これらの特徴には、偽教師と彼らに従う者たちについてペトロが説明していることと共通点があります。

 今年はマルチン・ルターが宗教改革から、今年は500年となります。それに関していろいろな書籍が出されています。その中で、書評で良くまとまっていると言われた本を一冊買って読んでみました。
 ルターの宗教改革を考えると、当時の世界の状況を考えねばなりません。まず、ルターは新しい宗教を作ろうとはしていなかったのです。カトリックの体制内改革を目指し、聖書に立ち返ろうと彼は訴えたのです。それはなぜかと言うと、当時ドイツでは領主がそこに住んでいる民衆を治めていました。領主が自分の領内に教会を作り、生まれたら幼児洗礼をして、毎週日曜日になると地域のみなさんが全員教会へ通っていました。江戸時代の寺請制度と同じでしたね。そこで領主がルターの改革を受け入れると、その地域の教会はルターの教えを語る教会となったのでした。1555年に宗教平和会議が行われて、領主はカトリックかルター派を選ぶことができるようになったのでしたが、民衆は自らの信仰を選べたわけではありませんでした。
 個人がキリストを救い主として受け入れて洗礼を受ける、このような時代になるのは17世紀からとなりました。そうなると大切なのは聖書の言葉から、個人がどのような確信を抱くかになります。そのため多くの教派ができ行きました。その中において異端と言われる教えも出てくるのです。
 ペトロの時代にも異なった教えの問題がありました。プロテスタントは万人祭司ということで、すべての人が個人的に神さまを救い主とすることが大切です。だからこそ、わたしたちは神さまの言葉に素直に耳を傾けること、自分の思いや願いで曲解しないことが大切です。また教会が祈りながら教えて来たことに謙虚に耳を傾けてください。今までに聞いたことのない新しい別の教えを聞いたら、また教団の許可を得ずに直接送られて来た教えなどは自分で判断をせずに牧師の助言を受けてください。あなたが神さまと正しいつながりを続けていくために大切なことです。