第11課 聴覚しょうがい者用:羅 明勲

2017年 第2期 「わたしの羊を飼いなさい」—ペトロの手紙Ⅰ・Ⅱ

1. 誤った教えの危険性
偽教師の教えが危険なのはそれが持っている破壊的影響力のゆえです。彼らは自分たちの主張を正当化するためにみ言葉の真理を曲げます。彼らは作り話などで聖書を自分の主張に当てはめ、神学的な知識と背景のない人を惑わし、原則から離します。
教会では外部からくる問題よりは内部から起きる問題がもっと危険です。特に、偽教師の異説は教会に深刻な害をもたらすので注意しなければなりません。

1. キリストにある自由
教会内に存在する誤った教えはいわゆる恵みと自由を装って私たちに以前の堕落した世の罪の生活に戻しその奴隷になるようにします。
一般的に人は自由を放銃と間違えます。しかし、罪に束縛されている人は自分が望んだからではなく、それに縛られて罪を犯します。キリストにある自由とは罪を犯さなくてもいい自由です。それはまるで何かに依存している人が、それから解放されることと同じです。ところが、もし十字架の恵みは強調しながらも、ささやかな罪は犯してもいいように教えているならそれは聖書の教えと合いません。また、罪を犯してはならないと言いながら、人を裁く態度もキリストにある自由と程遠いものです。
神様を信じ、新しい人生を受け入れてから以前のような生活に戻るのはとても不幸なことです。そうならないために霊的生活を続けていかなければなりません。

1. 神様の裁き
教会で誤った教えを伝え、原則を無視し、不道徳を容認するなどの罪は神様の直接的な裁きを避けることができないと警告しています。
ソドムとゴモラは神様の恵みに逆らうよに臨む裁きを予表し、バラムのことも偽教師たちへの警告のメッセージです。